ワスレガ
チョコチーノ
饅頭話
ここに流れる時間は、あくびが出るほどに緩やかだ。
眩しくも程よい暖かさが心地良い太陽の陽は、僕の眠気を誘うには十分すぎるほどで、しっかり気を持っていないと船を漕いでしまいそうだった。
縁側に腰掛けながら、赤く色づき始める紅葉をぼんやりと眺める。風情があるっていうのは、こういうことを言うんだろうか。
眼前に広がる緑色と赤色のコントラストがなんとも美しい自然の芸術は、全ての雑念を吹っ飛ばしてくれる。ただ時間がゆるゆると流れるのを感じながら、少しずつ表情を変えたり元に戻ったりを繰り替えす景色を眺めるのは、心地が良い。
僕はこの景色が好きだ。少しでもヒマができたら、僕はいつもこの縁側に座ってぼうっと景色を眺めている。自分でも年寄りくさいなあとは思っているけど、好きなものは好きなのだから仕方がない。
きっと僕はおじいさんになっても、こうして
大きく口を開けて、僕は絞るようにあくびをする。
まずい、このままでは寝てしまいそうだ。ついさっき昼食を食べたばっかりということも手伝って、僕の頭は着実に睡眠の体制を取りつつある。
……いや、少し待った。
果たしてこのまま寝ることは悪いことなのだろうか? このままうつらうつらしたままの方がよっぽど良くないことのような気がしてくる。
別にこの後に用事もないわけだし、このポカポカとした日溜まりの中に
よし、寝てしまおう。
縁側で腰掛けていた体制から眠るための体制に変えようとしたが、それは成らなかった。後ろから、元気な声をした彼女に話しかけられてしまったからだ。
「人間殿ー! そこにおったか!」
なんてタイミングの悪い、とそう思いつつも僕は顔色一つ変えずに振り向く。そこには、お茶と菓子を乗せたお盆を持っている『お狐様』が立っていた。
そう、お狐様。
彼女の顔の横にはあるべき耳はなく、代わりに頭の上にぴょこんと狐の耳が飛び出している。さらには彼女の腰からは僕にはない、9本の太い尻尾が生えていた。
とどのつまり、彼女はいわゆる『九尾』という妖怪さんというわけだ。僕は彼女のことをお狐様と呼んでいて、お狐様は僕のことを人間殿と呼んでいる。
お狐様の尻尾を抱き枕なり布団なりにしたら、さぞかし良い夢が観れるだろうな……と思ったのは認める。事実、見たら分かるくらいモフモフしている。もふもふ。
ともかく。どうやら僕のことを探していたらしいし、なんで探していたのかというのも何となく想像できる。僕は横に倒しかけていた体を起こして、再び縁側に腰掛けた。
「人間殿、お菓子を作ってみたのじゃ! 一緒にどうかの?」
「ええ、もちろん。いいですよ」
「うむ! それじゃあ、隣に失礼するぞ」
お狐様が少しだけ間を作って僕の隣に座り、できた隙間にお盆を置いた。茶葉のいい匂いが、僕の鼻腔を掠める。
「これは……饅頭ですか?」
「そうじゃ。いいアンコが手に入ったものでの」
お皿の上には、真っ白な饅頭が4つ乗っている。そのうちの1つを手に取って、僕は迷いなく口に運ぶ。ふかふかの皮ごと、餡子を口の中に入れて一緒に混ぜ合わせながら味わった。ん、こし餡だな。
チラりと横に目線を流すと、お狐様が自作の饅頭を片手に持ったまま饅頭を頬張る僕の顔をじいっと見つめている。その表情は、どことなく期待に満ち溢れていた。これはもちろん、そういう事だ。
「美味しいです。さすがお狐様ですね」
「…! そうかそうか! 当然じゃ、余が作ったのだからな!」
花が咲いたように、お狐様は満点の笑顔を見せてくれた。そして上機嫌に饅頭を頬張る。9本ある尻尾がぶんぶんと左右に振られて、ちょっとした風が部屋の中に吹いていた。
でも、この饅頭はお世辞でも何でもなく本当に美味しい。皮の食感や餡子との甘さのバランスが、完璧に取れている。ひょっとしたら、僕の味覚に合わせてくれたのかもしれない。
三食の料理もそうだけど、お狐様は菓子作りに関しては飛び抜けて上手いのだ。きっと僕が何十年と料理の修行を積んでも、お狐様には追いつけないだろう。
半分くらい食べた饅頭を皿に戻して、
湯呑を口に近づけて、口の中が火傷しないように丁寧に冷ましてから口の中に流し込んだ。
饅頭の甘さとは逆に、少し苦味が目立っている。でもそれは決して悪くはなく、むしろお茶の旨味を引き出しているようだった。
僕とお狐様は、お互い無言でこの緩やかな空間を楽しんでいた。
話らしい話もしていないが、お互いの存在を認識しあっているだけで一人の時とはまた違う時間が流れていく。
湯呑を置き、食べかけの饅頭を手に取ってもう一度口に運ぶ。口の中に微かに残っているお茶の苦味が、饅頭の甘さをさらに引き出して格別の旨みを僕に与えてくれた。
お茶と菓子。一体誰がこの最高すぎる組み合わせを考案したんだろう。本当にありがとうございます。生きていてよかった。
それからどれくらいの時間が経ったんだろうか。いつの間にか饅頭も茶も空っぽになり、眩しく輝いていた太陽も紅葉のように赤く色づき始めている。
お狐様がのそりと立ち上がる。僕もつられてお狐様の方を向いた。
「そろそろ夕食の支度をしてくるでの。少し行ってくる」
「ああ、はい。わかりました」
お狐様は空になった皿や茶碗をお盆ごと持ち上げ、部屋の奥へと行ってしまう。僕は再び、一人きりになってしまった。
いつの間にか僕に襲いかかっていた眠気も何処かへと行ってしまったようで、どうやら夕食を寝過ごしてしまうことはなさそうだ。
このまま縁側でのんびりと時間を浪費してもいいのだけれど、そういえばいつもの日課をしていないことを思い出してしまった。
思い出していないフリをしてしまおうかとも思ったのだけれど、自分に嘘をついても何にもならない。僕は渋々重い腰を上げて、家の中に入る。
縁側がある部屋を抜けて、廊下に出た。この家はそう大きくはないから、僕の部屋までは数十歩で到着した。
タンスの中から筆記用具と1冊のノートを取り出して、机の上に広げる。
僕の日課は、こうして毎日日記をつける事だった。特に深い意味はなく、なんとなくて始めたようなものだけど、かれこれ何年も続けているらしい。
新しいページを開いたところで、僕の筆は一文字も書くことがないまま空中で止まる。そう、一体何を書こうか全く考えていなかったのである。
まあこれは特に珍しいこともなく良くあることだから、こういう時は『いつも通りの平和な日だった』とだけ書いて済ませると決めているけど、ここ最近はそればっかりだ。
そろそろ何かは書かないと、日記の意味がなくなってしまうような気がする。僕は今日あったことをなぞる様に思い出していく。
今日は、縁側でぼおっとしたり、ぼおっとしたり……ぼおっとしたり。本格的に何もなさそうだと思い始めていた僕だったけど、ようやく今日のメインイベントを思い出すことができた。
「……あ、そうだ」
よくよく考えてみれば、今日はお狐様が始めて饅頭を作った記念日じゃないか。忘れていたわけではないけど、いざ日記を書こうとすると今日何があったかなんて中々思い出せないものだったりする。
それじゃあ今日の日記は、あの饅頭のことで決まりかな。
僕は饅頭を食べた時の感想だとか、「美味しい」と伝えた時のお狐様の嬉しそうな表情だとかを、あったことをそのままに、思うままに日記に書き連ねた。
まあ、文章としてはかなり乱雑だけども日記だからその辺は適当でいいはず。僕は特に日記の見直しなんてことはせずに、そのままタンスの中に日記やら筆記用具やらを放り込んだ。
別に隠しているわけじゃないけど、お狐様は多分この日記のことを知らないと思う。「僕は日記を書いてます」なんてことを言うタイミングなんてないわけだし、そもそも見せる物でもないし。
まあ、見られて困るわけでもないけど……見られたとしたら、少し恥ずかしいかもしれない。
そもそもあのお狐様のことだから、もし僕の日記を見つけた日には、これをネタに僕のことを弄り倒してくるに違いない。
少しそれを想像してみたら、少し面白くって思わず笑みがこぼれてしまう。絶対にそんな状況には遭いたくないな、という意味も含めて。
さて、日記も書き終わってしまったことだし本格的にすることが無くなってしまった。お狐様が夕食の支度を終えるまで何をしようかと考えていた時、突然僕の部屋の扉が叩かれる。
この家には僕以外だとお狐様しかいない。僕は立ち上がって扉を開けると、案の定、そこには見慣れないものを抱えたお狐様の姿があった。
「お、やはりここにおったか。今、暇かの?」
「ええ、丁度何をしようか悩んでいたところです。夕食の支度は、もうよろしいのですか?」
「うむ。後は完成するまで放っておくだけじゃからの」
お狐様が抱えているものをよく見てみる。
察するに、それは囲碁や将棋のようなボードゲームだろう。使うコマは円盤状になっていて、碁石の様に白色と黒色の2色に塗り分けられていた。ただ、それは碁石の様にコマが2種類に分けられているわけではなく、表と裏で塗り分けられているのが奇妙だ。
盤面は緑色の下地に、黒い線が将棋盤の様に網目状に引かれていた。見たことがある様な、ない様なだが……むむむ、やはり思い出せない。
「それでの、今日はこれで人間殿と遊んでみたいのじゃ!」
「それは、なんでしょう? 見たことのない盤面をしていますね」
「これはな、『オセロ』という遊戯じゃ! ようやくルールが分かっての」
「なるほど……とりあえず立ち話とは行きませんし、中へどうぞ」
「うむ! 失礼するぞ」
お狐様がさっきまで僕が日記を書いていた机に、オセロというボードゲームを広げた。
オセロ……やっぱり聞いたことがある様な気がする。この家でお狐様にご厄介になってから、僕はこうしたデジャヴによく襲われる。
(……いつの日か、思い出せるかな)
僕には、記憶がない。
お狐様と出会った日よりも前の記憶が、綺麗に消えてしまっている。
僕はどこで生まれたのか、僕はどこで育っていたのか、僕はなぜお狐様とこの家にいるのか、果てには僕自身の名前でさえも思い出すことができない。
でも、きっといつの日か思い出すことができるだろうなと思っている。焦っていても思い出せる様なことではないだろうし、僕は今の生活に不満や不安を感じてはいない。
何なら、思い出せなくたっていいかな。なんて思っているくらいだ。こう考えるのは、やっぱり変わっているのかな?
「それでな、ルールは至極簡単じゃ。まずは、こんな感じでコマを盤に置く」
お狐様が盤面の中心くらいの場所に、白色の面と黒色の面が交互になる様にコマを4つ置く。
その後、お狐様が言うルールを聞く限りでは、本当に簡単なゲームらしい。
白色側と黒色側で交互にコマを置いて、自分の色同士で相手の色を挟み込み、挟み込んだコマをひっくり返して自分の色にする。そうして交互に色の取り合いをして、最終的に色の数が多い方の勝利。
なるほど、至極簡単だ。
でも、見かけよりもずっと奥が深そうな感じもする。あたかも『ルールは至ってシンプル』という様なゲームは、決まって奥が深いと相場が決まっている。
「それじゃ、早速やろうかの! 人間殿は白と黒、どっちがいいかの?」
「では、後攻の黒にします。初めてするので、お手柔らかにお願いします」
「ほほう……いつも将棋で余を泣かせるお主が『お手柔らかに』とな……?」
「は、ははは……」
お狐様の思考は大変読みやすいですからね、とは流石に言えなかった。
ほんの少しだけ恨めがましい目線を混ぜたお狐様の目を見てしまったのだから、仕方がない。いい加減、接待将棋を僕は覚えるべきなのだろうか。
(でも、お狐様はその辺り敏感だからなあ……)
自分で言うのもなんだけど、どうやら僕にはゲームの才能があるらしい。でも、手加減をするのは下手くそな様で。
前にお狐様とやった将棋で手加減をしてみたら、かなり早い段階で見破られてしまいちょっぴり怒られてしまった事がある。無理やり『待った』をさせられて、いつも通りに将棋を打たされた結果勝ってしまった。
怒りやら悔しいやらで、お狐様は頬を膨らませてしまい。その晩はヤケ酒が慣行され僕も巻き込まれて少し酷い目にあったのは記憶に新しい。
ともかく、このオセロでも僕はそれなりに真面目にやったほうがいいだろう。
お狐様が新しい遊びを持ってきたと言うことは、なにか作戦があるみたいだし……手加減なんて余計なことをしなくたって、どうせ僕は負けてしまうだろうから問題ない。
「それじゃあ始めるぞ! ほれ、余からじゃ!」
「よろしくお願いします」
とはいえ、僕も男だ。
売られた勝負には、やっぱり勝ちたい。たとえそれが遊びだったとしても、真面目にやる以上は勝ちたいと思うのが自然なのではないだろうか。
お狐様が白色を上にしてコマを置き、挟まれている黒色のコマを1つひっくり返す。一番初めは、きっとこれ以外にパターンがない。つまりは先攻券を実質手に入れてるのは後攻の方だと言えるはずだ。
……まあ。先攻と後攻のどちらが有利なのかは、全くわからないのだけど。
僕がコマを置いて、ひっくり返し。それを受けてお狐様もコマを置いて、ひっくり返す。ゲームが進んでいくほどに、やっぱりこのオセロは奥が深すぎて底が見えないゲームだと思い知らされた。
そしてしばらくして、お狐様が歓喜の声を上げる。
「よしっ! 角を取ってやったぞ! むふふ、これで——」
「角を取ると、有利なのですか?」
「……な、なんでもないぞっ!」
やっぱり、何らかの戦法は織り込み済みな様だった。
ゲームは中盤だけど、優劣はすでに明白。盤面の面には白色が圧倒的に多い。このままだと、ひょっとするとコマを使い切る前に黒色は盤面上から消えてしまうかもしれない。
それより、角を取れれば嬉しいということは……なるほど。そんな感じのゲームなのかもしれない。
お狐様に合わせてコマを置いていき、たまに見え見えの『誘い』も作ってみる。お狐様はこういう『誘い』にはめっぽう弱く、簡単に釣れてしまう。
「む、むう……?」
コマの置き合いと色の奪い合いを繰り返していくたびに、お狐様の表情は暗雲に隠れていく。
白と黒の数がだんだんと同じになっていき……2つの角に黒色が置かれ……ついには、白を置ける場所が無くなってしまった。
「……」
始めた時は楽しそうな表情を浮かべていたお狐様も、今や汗を流してぷるぷると震えている。心なしか自慢の9本の尻尾も元気を失っている様に見える。
結果は、13対51と黒の大逆転勝利に終わった。やっぱりオセロは、前半は控えめに打っといたほうが良い様だ。
「さ……さ、さすがは人間殿じゃの。初見で余を打ち負かすとは、お、恐れ入ったわ……」
「ええと、ありがとうございます…?」
「お、おお! そろそろ夕食の支度が終わる頃じゃ! お主も居間に来ると良いぞ!」
そう言い残して、お狐様は台所へと逃げる様に行ってしまった。やっぱり、手加減の仕方を覚えた方がいいかもしれない。
僕はお狐様が放ったらかしにして行ったオセロを軽く片付けて、自分の部屋を出る。外はすっかり暗くなってしまっている様で、鈴虫のリンリンと鳴く声が聞こえている。
あとは夕食を食べて、風呂に入って……きっと、今晩もヤケ酒に巻き込まれることだろう。お狐様はああ見えて酒飲みだけど、それ以上に酒好きだから数時間で酔っ払ってしまう。
(僕もそろそろ、お酒をちゃんと飲める様にならなきゃ……)
居間に着くと、すでに豪華な料理が並べられている。お狐様も、さっきの落ち込み様が嘘の様な笑顔で僕のことを待ってくれていた。
「今日も美味しそうですね。さすがお狐様です」
「当然じゃ、余を誰だと思うとる! ほれ、早う席につくのじゃ」
こうして、僕の1日は緩やかに緩やかに過ぎていく。
記憶を失った僕と九尾のお狐様の日々は、きっとどこどこまでも続いていく。
明日もきっと、この時間の流れは止まらない。
ワスレガ チョコチーノ @choco238
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