塔の冒険
魔術師塔は、主塔と昇降塔の二対でできている。共に一〇階建で、九階を除いた各階に廊下が渡されている。各階が孤立し、上下の移動は昇降塔でしか行えない。実に面倒な構造だった。
「主塔の各階へは、この昇降塔からしか行けません」
昇降塔の入り口で、アディは少し気後れしたように繰り返した。何百年も前からそうなっていて、彼のせいでもないのだが。
「サルカンはどこで消えたのだ?」
扉に鍵符を翳したアディの手元を覗き込みながら、早ったキャスロードが訊ねる。
「九階の執務室です」
「そうか、では、まずは九階だな」
アディは振り返り、それと、とまた申し訳なさそうに付け加えた。
「上りは偶数階にしか行けません、奇数階へは一〇階から下りて行きます」
「では、一〇階まで上がって、一階下りるのだな」
「九階だけは、主塔の一〇階からしか行けません、そこだけが上下に繋がっています」
キャスロードがアディをまじまじと見つめた。耳から煙が出そうになっている。塔の複雑な構造も、決して彼のせいではないのだが、アディは及び腰のまま目線を彷徨わせていた。
「では」
「一〇階へ」
「あい、分った」
頷いて、キャスロードは躊躇なく塔に飛び込んだ。
昇降塔は細く、筒状に中が抜けている。埃に霞む暗い伽藍洞は、石と鉄と漆喰の匂いがした。内壁に階段が設けられている。手摺を兼ねた柵はあるものの、どうにも細くて心許ない。
「まずは、一〇階」
確認するように呟いて、キャスロードが階段を駆け上がる。明り取りから射す光が、突き通された槍のようだ。荷運び用の装置だろうか、幾筋もの梁から箱や滑車が垂れている。
「殿下、お待ちください」
「お、お、お?」
アディの声に重なって、戸惑うような声が降って来た。
「段差が同じ幅になっていなくて、上り辛いのです」
慌ててキャスロードを追い掛けながら、アディがすまなさそうに説明する。
「なんだって、まあ、こんな面倒なものを」
マリエルがぼやいた。一段、一段の歩調が異なり、無意識に上ることができない。手摺に手を沿わせ、躓くまいと足許を確かめる。魔術師としてどうなのだ、と隣のコルベットに目を遣った。
「何百年も前の連中のことなんて、あたしに分かる訳ないでしょ」
気づいてコルベットが肩を竦めた。アディのような慎ましさとは無縁だ。
いずれ、初見の者は一様に、不規則な階段に蹴躓いた。城壁が兵列を乱すよう造られているのと同様、この塔は魔術師の集中を乱すように作為されているのかも知れない。
「無理にでも階段を使わせて、魔術師が少しでも身体を動かすよう仕向けたんだ」
面倒くさそうな顔をしたクランが呟く。
「確かに、本ばかり読んでいますからね」
アディが誰かを思い浮かべて微笑んだ。
「ぐうたらのクランには、丁度よかろう」
燥いだ声を上げながら、キャスロードが階段を駆け上がって行く。そう広くない中空の塔を、ぐるぐると上に横切って行く。この面倒な構造が楽しめるのは、キャスロードくらいのものだ。
螺旋階段を下から辿れば、塔の上まで延々と螺子の目を描いている。目を凝らせば、途中から二筋に増えていた。二重螺旋だ。下りの階段とアディは言ったが、なるほど、そちらは地上に届いていない。
一歩通行とは、そういう意味だ。
「二階に着いたぞ、この先は何だ?」
手摺越しに身を乗り出して、キャスロードがアディに声を投げる。
「ラース師の執務室です、その扉を通って主塔に行けますが、本日は不在です」
アディが応えた。
「いっそここに書庫を作ったらどうだ、本を読むのも面倒になるぞ」
クランが言うと、アディは顔を顰めた。
「僕が大変になるだけです」
アディの知るところ、ラエルとクランは知己の間柄だ。カーディフ大公の一件で、ラルク、エレインと共に偉勲を立てたいう話だ。クランを見るに、勇猛や聡明さとは、およそ無縁に思えるのだが。
「いや、先に現場だ」
そう言って、キャスロードがまた駆けて行く。とにかく元気だ。
魔術師塔の主塔には、備蓄庫や機械室が主となる一階、会議室集まる一〇階を除いて、各階に宮廷魔術師の執務室がある。ただし、割り当ては主幹の七人。三階は空室になっていた。
「ええと、四階だ」
キャスロードの声は木霊して、四方から降って来た。
「クロウデ・シス・エシャフ師のお部屋です」
宮廷の女魔術師だ。ラエルと同じく比較的、若年で登用された
「師匠の敵だわ、しょっちゅう愚痴を聞かされる」
コルベットがぼやいた。
「六階に来たぞ」
「エリーダ・エル・アンノーン師のお部屋です、コルベットの御師さまです」
もう一人の宮廷女魔術師だ。社交的なクロウデとは対照的な引き篭り型らしい。二人の付き合いも半目も、宮廷外からの歴史が深く、無闇に顔を合わさぬよう、互いの領域を棲み分けている。
「八階だぞ、おまえたち、早く来い」
「エクス・カフ・モルダウ師のお部屋です。師は国外にお出でになることが多くて、ここは倉庫代わりにお使いになられています」
行き先は、マグナフォルツの戦場だ。モルダウはリースタンきっての戦魔術師であり、彼の工房はワーデンの武器庫と呼ばれている。倉庫となれば、剣呑な代物が置かれているかも知れない。
「着いたぞ、一〇階だ」
結局、キャスロードに追いついたのはマリエルただひとりだった。
主塔に続く渡り廊下は、大人の胸元まで壁があり、縁から屋根まで何もなかった。吹き曝しで、空の上を歩く心地だ。景色に届かないキャスロードが、渡り廊下の上で不満げに飛び跳ね、蒼白になった皆に引き摺って行かれた。
昇降塔の内装は荒い塗り壁だったが、主塔は不朽処理のされた腰壁が回っていた。柱や廻り縁に装飾もあり、地位に合った造りをしている。つまり、昇降塔の仕上げが酷い。何かの暗喩か、単なる手抜きかは不明だ。
主塔ともなれば通路にも幅があり、一〇階は外周が回廊になっている。回廊を半周すれば、屋上もしくは九階に続く屋内階段がある。しかし、主塔にある階段はそれだけだ。
「あの日、塔にいらしたのは、モルダス老師とアーデルト師のお二人だけでした」
渡り廊下のひと騒動から立ち直り、アディもようやく語る余裕ができたようだ。
「僕は塔の油番で、在室の方には燈の確認に伺っていました、モルダス老師の所に着いたのは、二〇時を過ぎた頃だと思います」
重鎮を前に幾度も喋った事柄だ。まとめ方も慣れてしまった。
「ただ、そこからは何も覚えていないのです、何か破裂したような、部屋の前で気を失ってしまって」
気づけば、辺りはまるで、暴風の吹き過ぎた跡のようだった、とアディは言った。
「何よそれ、頼りないわねえ」
機を逃さずコルベットが責めた。アディを弄るのに遠慮がない。
「遠くまで音がしたそうで、衛士はすぐに駆け付けましたが」
コルベットにムッとした一瞥を投げて、アディは続けた。
「結局、宮廷の管理所から鍵符が来るまで中に入れませんでした、僕はアーデルト師に助けて戴いたんです」
「塔にはラエルもいたのであろう?」
アディは恐縮した様子でう頷いた。
「でも、ここまで来るのに時間が掛ってしまって、結局、昇降塔の途中で会いました」
ある意味、目よりも優秀な知覚だが、あの螺旋階段には手古摺るようだ。
「結局、師匠も、誰ともすれ違わなかったそうです」
アディは先回りして言った。大抵、次に問われたのは、誰か怪しい者を見なかったか、だったからだ。キャスロードは意気込んで開いた口を、あー、と意味のない言葉を発して誤魔化した。
「何か、その、」
キャスロードは言葉を探しながら、バツの悪そうなアディに訊ねる。
「何かなかったのか」
結局、思い浮かばなかったらしい。
「関係はよくわかりませんが」
少し迷って、耳鳴りのようなものがした、とアディは答えた。尋問の際も報告したが、関係性は不明のままだ。幾つか推測は出たものの、居並ぶ魔術師たちもその域は出なかった。
「耳鳴りか、魔術ではないのか?」
「気圧に関わる術だとか」
キャスロードとマリエルがぼんやりと首を捻る。
「空気を急膨張させたんじゃないかな、部屋の中で風を起こしたなら、あるかもだ」
コルベットは多少、具体的だ。
「痕跡は似ていますが、モルダス師が消えてしまった理由は説明がつきません」
「ならば、サルカンは塔の外に吹き飛ばされてしまったに違いない」
キャスロードが意気込んで声を上げる。
「あの部屋は窓がないのです」
アディは申し訳なさそうに言った。
主塔に数少ない階段の前で、貼られた禁足の封を潜ると、一行は九階に下りた。
フロアを貫く真っ直ぐな廊下の先が、サルカン・アル・モルダスの執務室だ。途中の扉や枝道は、書庫や水廻り、未使用の小部屋に続いている。施錠はないが、使われた痕跡もない。
通路の奥に暗がりが蟠っている。部屋から塵埃が漂い出し、通路の先まで舞っている。執務室に近づくにつれ、皆の歩調が緩慢になった。踏み入ることを拒むような、冷えた空気だ。
壊れた書架、割れ飛んだ壁と床、灯具は臨時に持ち込まれたものだ。部屋の中は、ぼんやりと照らされている。捜査と整理が幾分進んで、書類や廃材が所々に集められていた。
引いて見ると、確かに大きな渦が部屋を掻き乱したかのようだ。埃に辟易したように、キャスロードは小鼻に皺を寄せて顔を顰めた。アディは外に立て掛けられた、外れた扉板に目を遣った。
「僕はここで気を失っていました」
「どこまで覚えているのだ?」
荒れた室内を覗き込みながらキャスロードが訊ねる。
「耳鳴りが酷くなって、目の前が真っ白になって」
迷うように一拍の間を置く。
「何か話し声のようなものが」
「聞こえたのか」
「聞こえたような、聞こえなかったような」
「役に立たないわねえ」
詰るコルベットをマリエルが小突く。
クランが無造作に踏み込んだ。皆の感じた空気など、まるで気にも留めていない。鼻歌まじりに部屋を眺めて回っている。先に行くなと責めながら、キャスロードが慌てて追い掛けた。
積まれた書籍や書類の山に、魔術の関連は思いのほか少ない。探求以外の場所と割り切っていたのだろうか。クランはふと、掻き集められた紙の束を眺めた。所々焼け焦げた跡がある。
シン、テラン、マグナフォルツ、不明、ワーデン。
うへえ、と漏らして、肩を竦めた。道理で一〇年も放って置かれた訳だ。
「ゴミしかないぞ」
クランの傍をつかず離れず、キャスロードは部屋のあちこちを突いて回る。
「
明後日の方向にぷりぷりと怒った。
部屋の中央に目を遣ると、簡易の足場が組まれている。剥がれ飛んだ床板の下、セメントの下地が四角く抉り出されている。朱く焼けた文字を思い起こして、アディが呟いた。
「ここに、モルダス老師の伝言が刻んでありました」
それが無ければ、クランはキャスロードの講師として宮廷に招聘されなかった。一見、風来の学士に降って沸いた夢物語だが、当事者双方が悪夢だとしか思っていないのが実情だ。
「本当にサルカンが書いたのか?」
キャスロードが疑わし気な目を向ける。当然、その先にはクランがいた。
「筆跡は似ているとしか、ただ、単詠唱の施術で石に刻印するなんて、そうできません」
意外と高度な術らしい。紙の書き置きの方が楽なくらいには。部屋に散見した焦げた書類を思い起こして、キャスロードは頷いた。あるいは、誰かに焼かれてしまわないようにそうしたのか。
「魔術師なら、捏造できるか?」
「あたしらじゃ、詠唱に一晩掛るかもね」
マリエルとコルベットが囁き合っている。
その日、塔にいたのは、モルダス、アーデルト、ラエル、それにアディだけだ。サルカンは当事者、アディは力不足、ならば残りは二人だけだが。キャスロードが腕を組んで唸った。
「ううむ」
だが、ベリアーノ・キリク・アーデルトは
一方、ラエルの執務室は二階。
床に伝言を刻んだのがモルダス本人だったとして、部屋を壊してモルダスを連れて去った者は何処へ行ったのだろう。二階から上って来たラエルは誰とも擦れ違わなかったと言っている。
「よし、解ったぞ」
キャスロードが言い放った。
「犯人は外に出なかったのだ」
「そうか、さぞ腹が減っているだろうな」
キャスロードが思い切りクランの脛を蹴り上げた。
「隙を見て逃げたに決まっておるわ」
当日、塔から逃げた者はいない。だが、不在の各階は施錠されており、開けられた跡はない。一〇階の会議室も、他の部屋もすべてだ。隠れる場所はない、そう告げようとして、ふと、アディは呟いた。
「三階は、施錠されていません」
「それだ」
それ見たことかと勝ち誇ったように、キャスロードは満面の笑みを浮かべた。
「ですが、三階は」
「行くぞ皆の者、犯人の痕跡を見つけ出すのだ」
キャスロードが叫んで飛び出した。積み上げた書類を蹴散らして走って行く。マリエルとコルベットが顔を見合わせ、慌てて後を追い掛けた。アディはまだ言葉の途中で竦んでいる。
我に返って、アディは共に取り残されたクランに縋るような目を向けた。どうしましょうか、と言いかけて、そのまま肩を落とした。蹴られた脛を抱えたまま、クランはまだ床の上に蹲っていた。
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