魔術師の塔

名探偵登場

「起きろクラン、寝ている場合か」

 官舎の扉を蹴り開けて、キャスロードはクラン・クラインの部屋に乗り込んだ。打掛錠が弾け飛び、向いのベッドに金具が落ちた。奥の窓からは、まだ明けたばかりの陽射しと鳥の声がする。

「サルカンの捜索に出発だ」

 クランはくしゃくしゃの髪の隙間から、寝惚け眼でキャスロードを一瞥した。何も言わずにブランケットを頭まで被る。怒ったキャスロードが駆けて行き、端を掴んでブランケットの奪い合いになった。

「貴様、そんなことで我の助手が務まると思うのか」

 勝手に助手にされている。

 宮廷魔術師長サルカン・アル・モルダスが失踪して三〇日。単なる不在と聞かされていたキャスロードが、とうとう事件と嗅ぎつけたのだ。こうなっては、じっとしていられない。我が乗り出さねばならぬ、とばかりに、勝手に盛り上がっていた。

 王女なりにも理屈はある。クランを任命したのはモルダスだ。クランを追い出すには、モルダスを見つけ出すことが肝要だ。そう考えた。勿論、クランを追い出すのは、宮廷の秩序を取り戻すためだ。

 何せクランは大概だ。宮廷に出入りできるのをよいことに、庭園で堂々と昼寝をしたり、池で魚を釣ったりの好き放題。そのたび侍従に叱られるものの、いい加減、皆も根負けし始めた。キャスロードは、その気ままさが羨ましくてしかたがない。

 ただし、クランは騒動の中心にいるが、より正確には、キャスロードが加わって事態が大きくなる。残念ながら、王女にその自覚は全くなかった。

 今回は何の手違いか、端からキャスロードの我が侭が罷り通った。モルダスの失踪した魔術師塔に、立入が許可されたのだ。宮廷魔術師会にしてみれば、捜索し尽くした後の残りを、王女の遊び場に与えただけかも知れないが。

 これは正式な捜査依頼だ。キャスロードは有頂天になった。誰もが全力で否定するだろうが、王女がそれを聞くはずもない。かくして、朝になるのも待ち遠しく、キャスロードはクランの部屋に飛び込んだ。

「我の助手だぞ、光栄に思うがよい」

 戸口に立ったマリエルとコルベットは、同情と呆れ顔で部屋の中の攻防戦を覗き込んでいる。この二人の騒動も慣れて来た。恐らくこのあと何やかんやで、エレインに叱られるまでがひと続きに違いない。


「最初はもちろん、事件の現場だ」

 キャスロードが言い放った。寝惚けたままのクランを引き摺って行く。モルダスが姿を消した魔術師塔は、第一市環オーデンの左翼端、広狭二基が隣接する一〇階建の円塔だ。

 気乗りはしないまでも、従騎士ふたりも後に続いている。もっとも、准魔術師ニオフェイトのコルベットには馴染みのある建物だ。導師エリーダ・エル・アンノーンの執務室も魔術師塔にある。

「しかしまあ、よくも子供に立ち入りを許したもんだ」

 伸びと欠伸を同時にしながらクランが呟く。はうはうと、何を言っているのかよくわからない。ところが、キャスロードだけは耳聡く子供と聴き取って、クランの脛を思い切り蹴り飛ばした。

「前にも言ったであろう、こういうことは根回しが重要なのだ」

 脚を抱えて跳ね回るクランを尻目に、キャスロードは自慢げに胸を張る。根回しとは、宮廷魔術師次長の事務室に突撃し、大声で駄々を捏ねることを言うのだ。マリエルとコルベットは顔を見合わせた。

 とはいえ、成果は確かにあった。ただし、現場は必要以上に荒らさぬように、と釘は刺されている。

 クランがぼんやり考えるに、自分を同行させるよう唆した者がいる。モルダスが、クランにしか気づかぬ手掛かりを残したのでは、などと考えたのだろう。つまり、藁にも縋る、と言うやつだ。

「あれだぞ、ほら」

 キャスロードが指して言う。

 管理された木立の向こうに、装飾のない白い石積みの円塔があった。一〇階建だが、それぞれの天井が高く、実際は階数以上の高さがある。よく見れば、手前にもう一基、細い塔が重なっていた。

 二基の塔が建っているのは、北西の崎にほど近い場所だ。ここから既に湖も望める。比較的狭い第一市環オーデンの西翼の端、クランがラエルに捕まった道筋とは、ちょうど正反対の方角だ。

 雑然とした東翼端に対して、こちら側は人も少なく、閑散としている。景観はまるで公園のようだ。意気揚々と元気なキャスロードを先頭に、雑談の多い従騎士ふたりとクランが歩いて行く。

 ともすれば、鼻唄も出そうな空模様だ。

 二つの塔の基部には、跨ぎ越せるほどの低い柵と、形ばかりの門があった。簡素な削り出しの門柱の前に、工房の白い長衣を着た青年が待っていた。宮廷魔術師付きの准魔術師ニオフェイト、アディ・ファランドだ。

「お待ちしていました殿下、事情はお伺いしています」

「アディ、世話になる」

 キャスロードが弾んだ声を掛けた。その後ろからコルベットが、意地の悪い目を向けている。二人は歳が近く、職場も近い。共に、この若さでは珍しい准魔術師ニオフェイトだ。

 アディの黄色味のある赤い瞳は優し気で、睫毛が長い。真面目で控えめな性格も相まって、どこか気弱に映る青年だ。ひねた性格のコルベットは、本能的にアディを弄ることに長けていた。

 少し困ったその表情に、クランもアディを思い出した。

「あの時は世話になったな」

 あっけらかんとクランが笑うと、アディは拗ねたように口を尖らせた。

「大変だったんですからね」

 キャスロードがきょとん、とクランを見上げた。

「貴様は誰にでも迷惑を掛けているのだな」

「殿下が言うな」

 騒々しい言い合いのひとくさりを、アディは呆然と眺めた。子供の喧嘩だ。いや、確かに片方は子供だが。アディはマリエルとコルベットに視線を投げたが、二人は肩を竦めただけだった。

「ええと、それでは魔術師塔をご案内します」

 仕切り直してアディが告げる。

「ただ、今日は何方もいらっしゃらないので、お話をお伺いすることはできません」

 塔はあくまで宮廷魔術師の執務室だ。工房は別にある。日頃は常駐する者も少ない。あの日、モルダスとアーデルト、ラエルが執務室にいたのは、たまたま用があってのことだった。

 キャスロードは鷹揚に頷いた。

「うむ、聞き込みは次の機会だ」

「それは一人で行けよ」

 クランが口を挿むと、キャスロードは馬鹿にするような目を向けた。

「助手が付いて来なくてどうするのだ」

「助手になった覚えはない」

「いいや、ここでは我が名探偵で、おまえは助手だ、おまえは私を先生と呼ぶのだ」

「呼ばせたいだけじゃないか」

「我だけ強要されるのは狡いからな」

 アディにも、マリエルとコルベットの表情が理解できるような気がした。

『無垢な目は、時に意外な物を見出すだろう、無碍にしないことだ』

 ラエルはアディにそう言った。何となく含蓄のある言葉で煙に巻かれたが、もしかしたら、騙されたかも知れない。

 塔は宮廷魔術師会の管轄だが、捜査には幾多の機関が関与していた。アーデルトが公正を期したためだが、いずれも結果は捗々しくなかった。とはいえ、殿下の出動は、いささか奇策が過ぎるだろう。

 せめてラース師が来られたら。

 ラエル・アル・ラースほど聡明な魔術師はいない、とアディは確信している。ラエルにとって、盲目は何ら障害ではない。魔術で強化された知覚は、他者にない洞察を生み出す要素に過ぎない。

 ただし、ラエルは本の虫だ。公用以外は魔術書を抱えて工房に籠っている。今日の王女の「見学」も、本来ならラエルが案内するはずだった。

 だが、アーデルトの依頼を受けたラエルは、事件の当事者であるアディを呼んで、案内を務めるよう言いつけたのだ。

『あと、助手に呼ばれる彼の言葉に気をつけなさい、後で役に立つからね』

 本当に?

 ラエルは言い争うキャスロードとクランを横目に溜息を吐いた。

「貴様はおとなしく助手としてついて来い、さあ、出発だアディ、案内を頼むぞ」

 ぷい、とクランにそっぽを向いて、キャスロードがアディに声を掛ける。回想を抜け、アディは慌てて頷いた。ともあれ、王女は本気だ。真剣にモルダスの消息を見つけ出す気でいる。

「面倒なんだよな、この塔」

 溜息混じりに頭を掻いて、助手と呼ばれた男は魔術師塔を見上げた。

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