第38話 素直になりたい





 目を覚ました終夜さんは、話した内容をすっかり忘れていた。


「どこかに頭をぶつけたのか? コブになってる」


 真っ赤になったおでこを擦りながら聞いてきたから、俺は忘れているのをいいことに、ごまかし始める。


「そうなんですよ。床に雑誌が落ちていて、それに気づかずに踏んで、テーブルの角に頭をぶつけたんです。冷やしておいたんですけど気分が悪くないですか? 病院行きます?」


 自分で言うのもなんだけど、上手いごまかしだと思う。


「いや、大丈夫だ。夏樹が冷やしてくれたおかげで、明日には良くなっているだろう。ありがとう」


 そもそもの原因は俺の石頭だが、絶対に秘密にしておく。

 パニックになりとりあえず頭突きしたなんて、プライドが許さない。

 さすがの終夜さんだって怒るはずだ。


 だから俺は何とかバレないように、必死にごまかした。


「き、気にしないでください。元はと言えば、雑誌を置いたままだった俺が悪いんですから」


「……だな」


「? 何か言いました?」


「いいや、なにも」


 何か小さな声で言っていたけど、きっと大したことじゃないんだろう。

 俺は未だに赤いおでこに罪悪感を覚えて、新しい保冷剤を渡した。


「もう少し冷やしておいた方がいいと思いますので、どうぞ」


「ああ、ありがとう」


 お礼を言いながら受けとった終夜さんの顔が怖いと思ったのは、絶対に気のせいだ。





 あの時、ちゃんと正直に話すべきだったかもしれない。

 俺はそんな後悔をしていた。


 あれから終夜さんは、昔のように戻ってしまった。

 でも違和感がある。

 ちょっと距離を感じるのだ。


 最初は敏感になって変に受け取っているのだと思ったけど、冷静に考えても実際に変わっていた。

 それはふとした時の触れ合いだったり、ソファで並んだ時の距離の遠さだったり、ほんのささいな違いだった。


 でも今までの近さに慣れていたせいで、その違いにストレスを感じる。




「終夜さん、何か怒らせるようなこと、俺やりましたか?」


「どうして?」


「だって……」


 いつもより距離が遠いなんて、言ってもいいのだろうか。

 勢いのまま何も考えずに話しかけたけど、俺は言葉に詰まってしまった。


 終夜さんに自覚が無いのだとしたら、言ったところで迷惑かけるだけだ。


「夏樹?」


「……すみません。気のせいでした。何でもないです」


 言うのは止めておこう。

 口を閉ざした俺に、終夜さんは何か言いたげだったけど、結局聞いてくることは無かった。

 それさえも冷たさを感じて、胸が痛くなった。





 もしかして、俺は終夜さんのことが好きなんだろうか。

 少し距離を置かれただけで、こんなにも悲しくなってしまう。


 友達にだって、そんな気持ちを抱いたことは無かった。

 ただの同居人に抱くような感情じゃない。


 未だにキスの感触を忘れられず、思い出すたびに赤くなることだっておかしい。



 いつの間にか、俺の中の終夜さんの存在がここまで大きくなっていた。

 それを自覚するのがキスをしてからだなんて、どれほど鈍感なのだろうか。


 ライバルが現れたって、むしろそっちの恋を応援しようとしていたのだから笑えない。

 これでもしも終夜さんがそっちに行ってしまったら、どうなっていたのだろうか。


 恋を自覚する前に失恋。

 立ち直れなかったかもしれない。


 終夜さんに進める前に気づけて、本当に良かった。

 そこについては胸を撫で下ろすけど、問題は他にもあった。



 今更、終夜さんに何と言えばいいのだろう。

 俺も好きになりました?

 これからも一緒にいたいです?

 まだ俺のことは好きでいてくれていますか?

 どの言葉を伝えても、駄目になる未来しか見えなかった。



 実はすでに、手遅れなんじゃないか。

 俺の態度に、終夜さんの気持ちも冷めてしまっているかもしれない。

 だから最近、距離を感じるのかも。


 考えれば考えるほど、思考が悪い方向に行ってしまう。

 終夜さんの冷たい目を想像したら、体がばらばらになりそうなぐらい辛くなった。



 なんてわがままなんだろうか。



 絶対に好きになんかならないと、最初に思っていた自分を殴りたい。

 終夜さんは、俺にはもったいないほどの人だ。

 それでも、気づくのが遅かったとしても、好きという気持ちを抑え込むことが出来ない。



 この気持ちに、素直になってもいいだろうか。

 自分勝手なのは分かるけど、俺は諦めたくなかった。


 でも、どうやって伝えればいい。

 面と向かって好きと伝えるには、俺は勇気が足りなさ過ぎた。

 それに冷たい視線を向けられた時、立ち直れなくなるかもしれない。


 手紙、SNS、そのどれもが違う気がする。

 人を初めて好きになって、それを伝えるのだ。

 中途半端なことはしたくない。


「……好き、か」


 前までは軽いものだった言葉が、今はとても重い。


 好き、愛している。

 どちらの言葉も、終夜さんに対して俺が思う気持ちだ。

 こんなにも人を好きになって、愛してほしいと思って、気持ちが苦しくなるなんて。



 恋というのは、甘いだけじゃない。

 苦くて辛くて胸が苦しい。


 それでも、気持ちを捨てたくないのだから、恋愛というのは恐ろしいものだ。




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