第37話 変化と戸惑い





「夏樹、どうした?」


「……え? 何がですか? うわ! ごめんなさい」


 夕食のハンバーグをつついていたら、終夜さんが急に話しかけてきた。

 俺はぐちゃぐちゃになったハンバーグに気が付いて、慌てて謝る。


「せっかく作ってもらったのに、すみません」


「いや、別に構わない。それよりも悩み事か?」


「あー、えっと、そういうわけじゃ……」


 言えるわけが無い。

 キスをされてから、終夜さんのことを意識してしまっているなんて。


 自然と唇に指が触れてしまう。

 顔が熱くなって、終夜さんの顔を見ていられない。


「夏樹?」


 訝し気な終夜さんの声。

 腕を掴まれて、そして無理やり顔を合わせられる。


「何かあっただろ。俺に言えないことか?」


 あまりに真剣な顔に、俺はゴクリと喉を鳴らした。


「そ、んなわけ……」


「37回」


「へ?」


「今日、夏樹が唇に触れた回数。誰のことを思い出して、そんな可愛い顔をしているんだ」


 色々と言いたいことはあった。

 どれだけ俺のことを見ているんだとか、数えていたのかとか、可愛くはないだとか、ツッコミたかった。

 でも俺は何も言えずに、終夜さんの顔に見とれてしまう。


「夏樹? 俺、怒っているんだけど」


「ひゃ、ひゃい」


 格好良い。

 このまま見続けていたら、目がつぶれる。


 キスを思い出して、顔が熱くなってくる。


「夏樹、どうして今顔が赤くなるんだ。真剣な話をしているのに。……夏樹? どうした?」


 頭の中がパニックになって、もう無理だった。

 終夜さんの焦った顔だけを最後に、俺は意識が遠のいた。





 目を覚ますと、すぐに終夜さんの整った顔が現れた。

 寝起きからの顔の良さは、心臓に悪すぎる。


「しゅ、終夜さん」


「起きたのか、夏樹。体は大丈夫か?」


「だ、いじょうぶ、です。俺、倒れたんですか?」


「ああ。急に倒れたから驚いた」


「すみません。迷惑かけました」


「まだ寝てていい。それよりも体調が悪いのに気づかなくてごめん」


 体調が悪かったというよりは、終夜さんの顔の良さが原因だけど、それは内緒にしておこう。

 言われたところで、終夜さんも困るだけだ。


「謝らないでください。ぼーっとしていたのは事実ですから」


「心配した。でもどうしてぼーっとしていたんだ。それに唇も触って」


「それは……」


 出来れば、そのことは忘れていて欲しかった。

 それか気にしないでいて欲しかった。

 答えに迷っていると、終夜さんの眉間にしわが寄る。


「誰かにキスでもされたのか」


「はい?」


「やっぱりそうか。どうもおかしいと思った。そんな可愛い顔しながら唇を触っているから。それで? どこの誰なんだ。隠さずに教えてくれ」


 どこの誰かと言われたら、目の前のあなたですけど。

 なんで急に俺が誰かにキスされたなんて、そんな結論に至ったのか。

 頭の中を覗きたいけど、それは無理だ。


「怖がらなくてもいい。そいつのことは俺が責任をもって、しま……こ……まっしょ…………話をつけるから。何も考えずに名前を言えばいい」


 不穏な言葉が聞こえた気がするし、目が据わっているし、もし本当に誰かとキスをしていたとしても、この状態の終夜さんに素直に名前を言うわけが無い。

 闇のオーラを放ち出した終夜さんを止めるために、俺は起き上がって手を伸ばした。

 そしてほっぺに手を添えて、視線を合わせる。


「終夜さん」


「……何だ? 名前を言う気になったか? 隠そうとしても無駄だ。名前を聞くまで家から出さないからな」


「終夜さん」


「夏樹、往生際が悪いぞ」


「だから終夜さんですって。……この前キスしたでしょ。忘れたんですか?」


 恥ずかしさを我慢して、素直に名前を口に出したのに、当の本人が分かっていない。

 首を傾げてしばらく考え、そしてようやく思い出したらしい。


「あの時の……?」


「そうですよ。俺にキスをしてくるのなんて、終夜さんしかいませんよ」


「そうか……俺とのキスで……」


 自覚したらしたで、花が周りに飛んでいるのかというぐらい、幸せそうなオーラを放ち出す。

 誤解が解けてよかったけど、それはそれでいたたまれない。


「終夜さんにとってはただのお仕置だったかもしれませんけど、俺は経験がないんですから。……責任とってください」


 あまりに幸せそうだから、意地悪する意味を込めて責任をとるように迫る。

 自分でも面倒くさいことを言っている自覚はある。

 言われた終夜さんにとったら、たまったものじゃないだろう。


「……夏樹」


 ほら、困った顔でどう処理しようか考えている。

 さすがに、責任を取ってもらうつもりはないから、冗談だったと謝ろうとした。


 でもその前に、ほっぺに添えていた手の上に、終夜さんの手が重ねられた。


「分かった。責任を取る」


「ん? あ、いや別に、冗談なんで、本当に責任を取ってもらわなくても……」


「いや、お試しとはいえキスを何回もしているのは事実だ。夏樹が望むなら、すぐにでも両親に報告して挙式を……」


「ストーップ!」


「ぐっ!?」


 暴走を始めた終夜さんを止めるため、俺は焦りすぎて訳が分からなくなって、とりあえず動いた。

 ちょうど目の前に顔があったので、頭を後ろにそらし頭突きする。


 石頭の俺にさすがの終夜さんも勝てなかったのか、うめき声とともに倒れてくれた。






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