第36話 お仕置き





「しゅ、やさん」


「夏樹、可愛い」


「もっ……むり……やだあっ」


「もっと可愛いところ見せて」


 顔中に降り注ぐキスの雨に、俺の息はもう絶え絶えだった。

 おでこ、鼻、ほっぺ、色々なところにされているけど、唇だけは避けられていた。

 でもこれじゃあ、もう唇にされているのと同じだ。


 キスをされるたびにくすぐったくて、顔をそむけようとするけど顎を掴まれていて無理だった。


「ごめ、なさ」


「まだ何について謝っているか分かっていないから、駄目」


「むりですって」


 何を言っても、キスが止まらない。

 どんどん体が熱くなって、涙で視界がぼやけてきた。

 それでも終夜さんは顔を近づけてくる。


 でも、触れる直前で止まった。


「しゅうやさん?」


「止めてほしいんだろう?」


 ぼやけるぐらい近い距離で、終夜さんの吐息が触れる。

 まるでキスをされているようだ。

 心臓が騒いで仕方が無い。


「どうする? 本当に嫌なら、俺はもう二度と触らない」


 俺の顔の脇に終夜さんの腕があって、閉じ込められている気分になる。

 ここで拒否したら、二度と触れてもらえない。

 そうするのが正解なはずなのに、すぐに答えを出せなかった。


「お、れは」


 どうしたいんだろう。

 どうして二度と触れないと言われて、それは嫌だと思ってしまったのだろう。

 口がからからに乾いて、俺は言葉につまってしまう。


「俺は」


「はい。時間切れ」


 必死に出した答えは、終夜さんの口の中に飲み込まれていく。

 口と口が触れ合って、そしてするりと舌が中へと入ってくる。


「んん!?」


 俺の全てを食らいつくすかのように、縦横無尽に動き回る舌は、呼吸すらも許してくれない。

 どんどん酸素が無くなって、目の前が暗くなる。


 それでも必死に、終夜さんの服の裾を握った。

 何かに縋り付いていないと、どうしようもない。

 でもそうすればするほど、口づけが深くなっていく。



 気持ちよくて頭が沸騰しそうで、俺の目から涙が一筋流れた。

 終夜さんを恋愛的に好きなわけじゃないのに、どうして気持ちよくて、ずっとしてもらいたいと思うのだろう。

 自分の気持ちが分からなくて、全部がぐちゃぐちゃになってしまう。



 ようやく唇が解放された時は、息も絶え絶えだし、一ミリの体力も残されていなかった。


「しゅ……やさっ……」


「夏樹。俺はまだ足りない。していい?」


「……むり……」


「悲しいこと言うな。まあ、今日は許してやるよ。また今度な」


 唇に軽くキスを落とされ、強く抱きしめられる。


「夏樹、好きだ」


 俺は答えを返せない。


「好きなんだ」


 気持ちが伝わるぐらいの強い言葉に、俺はそっと背中に手を回した。





 どうして、あの時背中に手を回したんだろう。

 あれから少しして終夜さんはパッと切り替えるように、俺から離れていった。


「今日は何か頼もう」


 あまりにも普通すぎて、俺はあっけにとられてしまう。


「夏樹は何が食べたい?」


「え、俺は、何でも」


「そうか。それじゃあ、この前気に入っていた店から適当に選んでおく」


「は、はい」


 今までのことは夢だったんだろうか。

 そう思うぐらいに、普通に戻っていて俺はどんな態度をとっていいか分からなかった。


 終夜さんからしたら、あんなキスなんて慣れたものなのかもしれない。

 俺ばっかりが翻弄されていて、胸がチクリと痛んだ。


 電話をしている終夜さんの後ろ姿を、俺はなんとも言えない気持ちで眺めていた。

 俺の視線を感じているはずなのに、こっちを見てくれないことにも、また胸がチクチクと痛んだ。





「……俺、どこかおかしいのかな」


 授業にも集中することが出来ず、俺は机と友達になっていた。

 さすがに誰かに相談出来るような内容じゃないから、1人で解決するしかない。


「キスされて嫌じゃないって、やっぱりおかしいよな」


 無理やりされたものだったけど、気持ち悪いとか嫌だとは思わなかった。

 終夜さんが止まらなければ、俺から止めることは無かったかもしれない。


 そっと唇に触れてみる。

 あんなキス、今まで初めてだった。

 彼女が出来たことはないから、キス自体経験が無い。


「気持ち良かった……かも」


 感触を思い出してみたら、あまりの生々しさに顔から火が出るのではないかというぐらい熱くなる。


 今朝も終夜さんはいつも通りにふるまっていて、キスのことなんて無かったかのようだった。

 感触が残っていなければ、夢だと思ったかもしれない。


 冷静な終夜さんの内には、荒々しい部分もあるわけだ。

 一緒に生活を始めてから折り返し地点を過ぎたけど、一度も見たことが無かった。

 隠していたのか見せる必要が無かったのか、どちらか分からないけど、知ってしまったからにはもう戻れない。


「……もっとちゃんと向き合わなきゃ」


 終夜さんのことを好きだという真昼さんの登場。

 人が変わったような終夜さんからのキス。


 きちんと考えなきゃいけないものだらけで、思わずため息が出てしまう。


「終夜さんと一緒に過ごせるのも、あと少しか」


 自分でも驚くぐらい悲しい声だった。

 終夜さんと離れることに対して、喜びよりも悲しみが勝ってしまったみたいだ。


 俺の気持ちの変化は、誰にとって得になるものなのだろうか。




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