第29話 彼の記憶





「夏樹と会った時のことは、今でも鮮明に覚えている」


「は、はい」


 何かシリアスな感じで、話が始まった。


 俺はクッションを抱きしめながら、話を聞く体勢に入る。

 あとは寝られる状態までして、この場に臨んだ。


 明日は学校があるけど、そこまで遅くならないだろう。

 そう頭の中で計画して、俺は話に耳を傾ける。


「母親が死んでから、俺の世界は灰色だった。父親から愛情を受けなかったとは言わないが、仕事で忙しかったからどうしても手が足りなかったんだ」


「それは……俺も覚えがあります」


 俺の場合は母親だったけど、それでも同じような寂しさだったはずだ。


「そういうわけで、何にも興味が持てなかった。もし興味を持って、母親のように突然いなくなったらと思うと、耐えられなかったんだ」


 終夜さんが昔から大人びていたと聞いた時、さすがだなと思っていたけど、今はその感想を取り消したい。

 大人びていたんじゃなくて、大人になるしか無かったんだ。


 俺よりもずっとずっと、大変な思いをしていたのだろう。


「それは……」


「そんなに悲しい顔をしなくていい。昔も今も自分が可哀想だとは、思っていなかったからな」


「分かりました。えっと、それで……?」


 本人がそう言うのなら、俺が悲しむべきじゃない。

 首を振って、話の続きを促す。


「何をしても何を食べても楽しくなかった。周りの人間が何を言ってきても、心には響かなかったんだ。俺の周りに寄り付く奴なんて、顔にしか興味なくて中身を見てくれなかった。だから余計に殻の中に閉じこもっていたんだ。誰のことも信じられずにいた」


 思っていた以上に、複雑な環境だったみたいだ。

 まだ小学生なのに、それは辛すぎる。

 俺はまた悲しくなりそうだったところを、終夜さんのことを思って顔を引きしめた。


「でもどうして俺を? 一体どこに?」


 5歳の時の俺に、終夜さんを引き寄せられるような魅力があったとは思えない。

 そこら辺にいる子供と、同じようなクソガキだったはずだ。

 好かれる要素が、全く思い当たらない。


「初めて見て、天使がいるのかと本気で思った。どうして羽が付いていないのか探したぐらいだ。そしてお兄ちゃんと言われた時、雷が落ちたような衝撃を受けた」


「いや、天使って言いすぎじゃ……」


「天使だったよ。夏樹に会えたことで、灰色だった世界に色があふれたんだ」


 ものすごく言いすぎな気がする。


 終夜さんの目は、どこかおかしいんじゃないか。

 今度、眼科に行ってもらおう。

 頭の中にメモしておいた。


「夏樹もすぐに俺に懐いてくれて、昼食を食べた後、2人で遊ぶことを許してくれた」


「許すって……そんな大げさな」


 5歳の子供だから、遊んでくれれば大喜びだったはずだ。

 しかも年上なんて、ポイントが高い。


「俺にとっては許してもらったのと同じ意味だった。天使だからな」


 天使と言う勘違いは、どうやったら正してくれるのだろう。

 自分への評価が恥ずかしすぎる。


 子供が可愛いのは分かる。

 分かるけどツッコミたい。


「シロツメクサのたくさん咲いている場所で、鬼ごっこをしたり、ヒーローごっこをしたりして遊んだ。たくさん遊んだ後、夏樹がシロツメクサで冠を作り始めた」


 冠なんて、5歳の俺は随分と器用だったんだな。

 そんな他人事のような感想を抱く。


「一生懸命作ってくれた冠は不格好だったけど、すごく嬉しかった。しかもおまけだと言って、指輪まで用意してくれた」


「それって……」


「結婚指輪だと言っていたな」


 なんてことをしてくれたんだ、5歳の時の俺。

 テレビにでも影響されたのか。


「結婚すればずっと一緒にいられるから結婚しよう! そう自信満々に言ってきた夏樹に、頷く以外の選択肢が無かった」


「それ以外の選択して下さいよ。切実に」


 どう考えても子供の言ったことだ。

 受け流すか笑い飛ばすかしてほしかった。


「……あの、もしかして。それで……?」


「ああ。戻って報告した。お互いの親が揃っていたんだから、その方が手っ取り早いだろう。反対されずに許可を出してくれた。まあ、夏樹が18歳になるまで待つ、という条件を出されたが。結婚出来るのなら、何でも良かった」


「そうですか……」


 昔の俺ながら、だいぶ積極的だしロマンチックだな。

 シロツメクサを使って、冠や指輪を作るなんて、とてつもなくベタである。


 それで落ちる終夜さんも終夜さんだけど。

 12歳だったのだから、仕方が無いのかもしれない。



「どうだ。何か思いだすところはあったか?」


「うーん、何か引っかかるものはあるんですよね」


 記憶の端に断片的なものがあった。


 昔、優しいお兄さんに遊んでもらったこと。

 初めて食べたサンドイッチ。

 嬉しそうな母親。


 話の内容とかは全く思い出せないけど、映像が見えた。


「昔から終夜さんって、イケメンでしたね」


「! 思い出したのか!」


「申し訳ないですけど、少しだけ」


「そうか。それでも思い出してくれただけで嬉しい。夏樹の中の俺が増えたってことだからな」


「あ、あはははは?」


 俺としても思い出せたのは良かったけど、終夜さんが喜んでくれたのも良かったけど、何か間違った気がするのは彼の瞳が底の見えないぐらい暗かったからだ。




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