第28話 彼の誤解





 母親が帰って少し経った頃、終夜さんが帰ってきた。

 今日はどちらかというと早いので、仕事が忙しくなかったのかもしれない。


 それなら、少し話をしても大丈夫か。

 そう考えて、俺は終夜さんを玄関まで出迎える。


「おかえりなさい」


「ただいま。今日は出迎えてくれたのか」


 ネクタイをゆるめながら中に入ってくる姿は、何かの撮影かと思うぐらい様になっていた。

 俺はちょっとだけ見とれてしまい、慌てて首を振って背広を受け取った。


「今日は俺がご飯を用意したので、先にお風呂に入ってください。たぶんいい感じに温まっていると思います」


「ありがとう。……夏樹のご飯か、さっさと入ってくる」


「ゆっくりでいいですよ。あと、ご飯を食べ終わったら、話したいことがあるんですけど、時間大丈夫ですか?」


「時間は大丈夫だ。……話って?」


「あー、その時に話します。とにかくお風呂にどうぞ」


 昔の思い出話をしたいなんて、俺の歳からしたら恥ずかしくてたまらない。

 それに今回の話は、俺にとっての黒歴史である可能性が高いのだ。


 ごまかしながら浴室へと進むように背中を押せば、納得していない顔をしつつも無理に聞こうとはしなかった。

 俺のことを考えてくれている。本当に気遣いが出来る優しい人だ。



 浴室に行ったのを確認すると、俺は食事の準備を始めるためにキッチンに向かった。





「ごちそうさま。ものすごく美味しかった。夏樹は本当に料理が上手だな」


「終夜さんが作ったものの方が、絶対に美味しいですよ。まあでも、お粗末さまです」


 今日は時間があったから、前に食べたいと言っていたカレーを作った。

 昔から母親はルーにこだわっていて、俺も自然とスパイスから作るのを覚えていた。


「本当に美味しかった。また食べたい」


「時間があれば、いつでも作りますよ。スパイスも余ったので」


「そうか。それは楽しみだな」


 本格的に作ると好き嫌いが分かれるから心配だったけど、心の底から言ってくれているようなので安心した。


 料理を作って食べてもらって美味しいと言ってもらえることは、凄く嬉しい。

 終夜さんがいつも俺が食べている時ににこにこしているのは、今の俺と同じ気持ちになっていたのだろう。


 たまには、こういうのもいい。


 どうしてもと言うから食器の片づけは任せると、話をするためにソファで待った。

 2人分なので時間がかかることも無く、終夜さんは俺のところに戻ってきた。

 まくっていた服の裾を直しながら、俺の隣に座る。


「それで、話しって?」


 何か勘違いしているな。

 あまりにも思い詰めている表情に、俺は誤解が生まれていると気が付いた。

 話しの内容に触れなかったから、予想外の方向に考えてしまったのかもしれない。


 まさか、そんな風に考えるとは。

 俺は気遣いが足りなかったと、頭を押さえる。


「……そんなに深刻なことなのか。まさか家を出て行くなんて言わないよな? そうだとしたら俺は夏樹を」


「ストップストップストーップ! 落ち着いてください! 終夜さんが考えているようなことじゃないんで、大丈夫ですから」


 勘違いがヒートアップして、更におかしな方向に進んでいたので、俺は両手を前に出しながら止めた。

 言葉の続きも気になったけど、聞いたら後悔すると思って止めておいた。


「大丈夫? それなら何ですぐに教えなかったんだ? 後ろめたいことがあるんじゃ」


「終夜さんはネガティブすぎます! もしも出て行きたいと思ったら、ちゃんと前々から相談しますし、今のところ出て行くつもりは全く無いです」


 たまに年上だと思えないぐらいに、ネガティブな思考に陥る終夜さんには、直球の言葉じゃないと届かない。


「俺、この生活好きですから!」


 恥ずかしいけど、ここまで言わないと駄目だ。

 俺は前に出していた手で、終夜さんの手を握った。


「俺の言葉が足りなかったせいで、心配させてすみません。実は、俺と終夜さんが初めて会った日のことを聞きたかったんです!」


「初めて会った日のこと?」


「はい、そうです。2人で遊んでいた時に、どんな話をしていたのか知りたくて。だから出て行くとか、そんなことは絶対無いです」


 やっぱり直球な言葉の方が届く。

 俺の話をちゃんと理解したようで、顔から悲痛な色が消えた。


「今日、母親が突然遊びに来て、その時に少し話を聞いたんです。それで2人で遊んでいて、どんな話をしていたのか気になったんです。すみません、驚かせて」


「そうだったのか。俺も勘違いして悪かった。夏樹はいつでもここから出られるから、あらためて話がしたいと言われて、そのことしか考えられなかった」


 半年のお試し同居生活は、確かに俺から終わらせることが出来る。

 どんなに終夜さんが望んでいても、俺が拒否したら、その決定に従うしかない。



 これは渚さんが提案したことだった。

 確かにそんな約束はしたけど、まさかずっと怖がっていたとは。


 今まで表面上は普通にしていたのに、俺がいつ止めると言い出すか不安で仕方無かったわけだ。


 言ってくれれば良かったのにと思うけど、本人の立場からしたら言えなかったのだろう。


「もしかして、俺にそういう話をしたら、出て行くかもしれないと思ったんですか?」


 俺の考えは当たっていたようで、終夜さんは小さく頷いた。

 その弱々しい姿を見て、胸に広がった感情の名前を知らなかった。


 とりあえず安心してほしくて、俺は握った手の力を少し強くした。




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