第4話 新生活の幕開けです
あの後、どんな話をしたのか、全くと言っていいほど覚えていない。
食事も満足に喉を通らず、せっかくの高級レストラン初体験も味が分からないまま終わってしまった。
原因が何かなんて分かりきっている。
「大丈夫か、夏樹? あまり食べていなかったが、具合でも悪いのか」
「イイエ、ゲンキデス」
今現在、俺は終夜さんの運転する車に乗って、これから住む予定のマンションに向かっていた。
不調の原因が、俺のことを心配している状況に、笑えばいいのかと一瞬考えて止める。
食事が終わると、見合いでもないのに後は若い2人でごゆっくりと言って、渚さんと母親は帰ってしまった。
終夜さんと残されて気まずい気持ちになりながら、デザートのシャーベットをつついていると、上から手が重ねられた。
「ぴえ」
「それを食べ終えたら、俺達の家に帰ろうか」
「ぴえ」
何だか甘い雰囲気を醸し出され、俺は変な声しか出なくなってしまった。
渚さんが手を出さないように忠告しておくと言っていたけど、本当に分かっているのだろうか。
手を握り締められたまま、俺はシャーベットを何とか口に運んだ。
時間をかけて食べたかったけど、アイスだからそうもいかなかった。
数分もしないうちに食べ終わると、待ちきれないとばかりに俺は強く腕を引っ張られた。
そうして車まで連れていかれて、俺は大人しく助手席におさまっていた。
反抗したら何をされるか分からないといった雰囲気があって、借りてきた猫のように大人しくしている以外、俺に出来ることは無かったのだ。
家がどこにあるのか知らないので、流れる景色を眺めながら黙る。
でも時々話しかけてくるから、そういう時は一応返事をした。
婚約者だとしても、ほとんど初対面みたいなものである。
だから話す話題が無くて、気まずさしか感じない。
「……着いた」
重い空気の中、車が軽やかに止まる。
その言葉に外を見ると、タワーマンションが建っていた。
「えっと、ここですか?」
「ああ、そうだ。もしかして気に入らないか?」
「いやいや。そんなわけないです。でも、こういうところって高いんじゃ……」
「? そうでも無いと思うが」
嘘だろ。
価値観が違いすぎる。
家賃が気になるところだけど、聞いたら住めなくなりそうなので、値段を聞くのは止めておいた。
「それじゃあ行こう」
このマンションの何階だろう。
どうか高層階じゃありませんように。
そう願いながら終夜さんについていったけど、エレベーターで押されたボタンに絶望した。
最上階。
何とも思っていない終夜さんは、これまでのやりとりで分かっていたけど、とてもつもなくお坊ちゃまみたいだ。
すでに上手くいかない気配に、俺はエレベーターが上がる奇妙な感覚に耐えながら、心の中でガッツポーズした。
これなら早い段階で、上手くいかなくなりそうだ。
半年もの間、一緒に暮らすなんて絶対に無理だから、早く駄目だと判断してもらいたい。
知らない人との同居生活に、今の俺は不安しかなかった。
予想していた以上に広い部屋で良かった点は、別々の部屋で寝られることだけだ。
部屋の中を全て確認した俺は、疲労でソファにぐったりと座っていた。
「大丈夫か? 今日は色々とあったからな。早めに休もうか?」
「……大丈夫です。それよりも」
このまま寝てしまいたい気分だったけど、もう少し終夜さんと話をしておきたかった。
「どうして俺なんですか? どうして俺と結婚したいんですか?」
いくら書面で契約したとしても、今の俺は5歳の頃とは違い、18歳で可愛らしくも美人でもない普通の男子高校生だ。
こんな俺を見て結婚したいと思う方がおかしい。
それに終夜さんなら俺を選ばなくても、老若男女問わず選びたい放題だろう。
俺にする理由が無い。
「もしも契約したことで縛っているのなら、俺は別に構わないので破棄してもいいんじゃ……」
「何を言っているんだ。夏樹」
今まで俺の傍に立って何かと世話を焼いていた終夜さんが、いつの間にか俺の隣に座っていた。
そして、またあの恐ろしい表情で、俺の顔を覗き込んでくる。
「契約だから結婚しようとしているわけじゃなくて、俺は夏樹だから結婚したいんだ。他の人なんて考えられない。どうして、そんなことを言うんだ……ああ、そうか」
すらすらと早口で言い出したかと思ったら、何かを納得したかのような顔をして、さらに近づいてきた。
「しゅ、終夜さん!? んんっ!」
止める間もなく、唇同士がくっつく。
キスをするのが全くの初めてとはさすがに言わないけど、でも男の人とするのは初めてだ。
柔らかさは女の人と変わらないんだな。
驚きの中でも、どこか冷静な頭でそんな感想を抱く。
でも、ずっとやられっぱなしというわけにもいかなかい。
胸の辺りを何度も叩いて離すようにと意思を伝えるが、背中に手を回されてがっちりとホールドされて離してもらえない。
「……んっ、やめっ……」
「……はぁ。なつきっ、好きだっ……好き」
頬に手を添えられて、口づけは深いものに変わっていく。
そんなキスなんかされたことがなくて、俺は次第に息が出来なくなり、どんどん意識が遠のいていく。
終夜さんはそんな俺の様子に気が付いていないのか、名前を呼びながら、全く止めてくれない。
耳をふさぎたくなるぐらいの水音、無くなっていく酸素、俺の力もどんどん抜けていき、意識が闇に沈んでいった。
終夜さんとの新生活、不安しか感じられない。
俺は絶対に別れてやると決意して、最後に意識を飛ばした。
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