第2話 俺の婚約者とは





 九十九つくも終夜しゅうや

 俺の婚約者だという彼は、自分から自己紹介をすると勢いよく抱き着いてきた。


「っ!?」


 握手ぐらいなら驚かなかったけど、抱き着かれるなんて想像もしていなかったから、俺は鉄のように固まってしまう。


「こらこら、終夜。夏樹君が戸惑っているだろう。そういうのは、もう少し仲良くなってからにしなさい」


 仲良くなったとしても、抱き着くのは違う。

 少しずれた渚さんのツッコミを聞きながら、俺は魂の抜けた顔で母親を見る。


「もうすっかり仲良しね。これなら安心だわ」


 完全に頭がおかしくなっている。

 母親からの助けを求められないと察した俺は、未だに抱きしめている終夜さんの背中を軽く叩いた。


「あ、あの。そろそろ離してもらってもいいですか?」


 苦しいぐらいに抱きしめられていたから、少し言葉に詰まったけど、相手には伝わったようだ。


「す、すまない。こんなにも近くに夏樹がいるなんて信じられなくて、つい我を忘れてしまった。苦しかったか?」


「……大丈夫です」


 ようやく離してもらえたけど、何故か距離は近いままだった。

 確認するかのように全身をくまなく触られて、大丈夫だと分かると、最後に頬に手を添えられた。


「え、えっと?」


「ああ、本当に信じられない。目の前に夏樹がいる。可愛い可愛い俺の婚約者」


「ひえ」


 少し、いやかなり変な人みたいだ。

 顔が良いからまだいいけど、そうじゃなかったからこの距離感はきついものがある。


 初対面に近いのに、どうしてこんなにも好感度が高いのだろう。

 分かりたくはなかったけど、この人は何故か俺に好意を抱いている。


 熱烈な歓迎と、その表情を見れば、どんなに鈍くても気づいてしまう。



 でも好かれる理由が分からないから困っていた。

 向こうは俺のことを知っている様子なのに、俺は全く知らない。


 未だに婚約者のことでさえも呑み込めていないのに、情報量が多すぎる。

 すでにパニックなのだから、一度落ち着いて話を整理させてほしい。


「あ、あの……婚約者って、どういうことでしょうか……?」


 この状況で聞くのはなかなかの勇気が必要だったけど、話を流したら後悔するのは自分だから、何とか尋ねることが出来た。


「夏樹、何を言っているんだ?」


 でも、間違っていたのかもしれない。

 本気で信じられないといった様子で、俺の顔を覗き込んでくる終夜さんの雰囲気が怖い。


 頬に添えられた手が、するすると下がっていき首元に触れてくる。

 頸動脈を圧迫するような動きに、殺されるのではないかと背筋が寒くなった。


「……俺のこと、覚えているよな」


 それは疑問形じゃなくて、断定するような言い方だった。

 肯定の返事以外は認めないといった様子に、俺は全く覚えていないなんて言えない。


「……終夜。いい加減にしなさい」


 どう答えるのが正解なのか迷っていた俺に、ようやく救いの手が伸ばされた。


「夏樹君が困っているのが分からないのか。大体、会ったのは13年前のことで、夏樹君はまだ5歳だったのだから覚えていなくても無理はないだろう」


 声は静かでも威圧感があり、さすがの終夜さんも俺に触れるのを止めた。


 もう少し早く助けてくれても良かったんじゃないかと思ってしまうけど、助けてくれただけありがたい。

 俺の中の渚さんの好感度は、うなぎ登りに上がっていた。


「すまないね、夏樹君。突然のことで驚いただろう。詳しい話をするから、とりあえず座って」


「……はい」


「そうね。立ち話もなんですものね」


 渚さんに言われて、ようやく俺と母親は席に着く。

 俺は終夜さんから距離をとって斜め向かいの座ろうとしたけど、先に取られてしまった。

 だから渋々、正面の席に座る。


「それじゃあ、どこから話そうかな。一応確認するけど、私と終夜のことを覚えていないかな?」


「……すみません、全く」


 終夜さんの俺を見る視線が強くなった。

 出来る限りそちらを見ないようにしながら、俺は話を聞く。


「そうか。先程も言ったように、私達は13年前に会ったことがあるんだ。そしてその時に、夏樹君と終夜の婚約が結ばれた」


「あんた覚えてないの? あんたのわがままで、婚約の話になったんだからね」


「俺が……?」


「そうよ。終夜君に遊んでもらって懐いたあんたが、2人が帰ろうとしたら泣きわめいてね。何とか泣き止ませようとしたら、結婚してくれるのなら帰ってもいいって言い出して大変だったんだから」


 母親も話に入ってきて、衝撃の事実を教える。


 まさかそんなことを自分が言ったとは。

 この騒動の、そもそもの原因が俺なのか。

 いくら5歳だったとはいえ、なんてわがままを言ったのだ。


 13年前に戻って、その口を塞ぎたい。


「子供のわがままだから別に無視しても良かったんだけど、終夜君も別にいいって言ってくれたから婚約を結んだのよ」


 原因は俺だけど、無視して欲しかった。

 どうしてそこで婚約という話に発展するのか、普通に考えて止めるべきだっただろう。


 俺以外この場にいる全員が天然なせいで、婚約させられたのだから、別に破棄をしたって問題ないだろう。


「……それじゃあ、子供のわがままだったわけだし、婚約の話はなかったことに……」


「ああ?」


「ひえ」


 破棄の話を進めようとしたら、終夜さんが恐ろしく低い声で威嚇してきた。

 正直言って、堅気の人とは思えない眼光の鋭さだった。




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