5歳の時の約束なんて無効です!

瀬川

第1話 最悪な誕生日





 18歳の誕生日。

 俺の人生は大きく変わろうとしていた。




「……もう一度、言ってもらってもいい?」


「もう。何回も言っているでしょ。そろそろ疲れたわよ」


「いや、これで最後にするから。もう一回言って。お願いだから」


「しょうがないわね。これからあなたの婚約者に会うから、早く準備をしなさい」


 俺の耳がおかしくなったのなら、どれだけ良かっただろう。

 何度聞き返しても、母親の口から出てくる言葉は同じで、俺は絶望するしかなかった。





 18歳の誕生日というのは、人生の中でも大事な区切りの一つだと思う。

 成人まであと2年。

 でも解放されることもあるし、選挙だって行ける。

 結婚だって出来てしまうのだ。


 大人への階段を一つ上ったようで、少しくすぐったい気持ちにもなるのだが、こんなサプライズは望んでいなかった。




 全く身に覚えのない婚約の話に、俺はあぜんとしてしまう。

 俺の家はお金持ちというわけではないし、歴史があるような名家というわけでもない。

 それなのに、どうして婚約者が出てくるのだろうか。


 今まで一度もそんな話を聞いたことも無いから、もしかして冗談なんじゃないか。

 そんな考えも浮かぶが、母親の格好はよそ行きの小綺麗なものになっている。

 さすがにそこまで手の込んだ冗談をするほど暇じゃないから、真面目に言っているようだ。


 冗談であった方が、どんなに良かったか。



「ほら。遅れたら申し訳ないから、さっさと用意しなさい!」


 衝撃で固まっている俺を、あれよあれよという間にどこにあったのかスーツに着替えさせると、気が付けば車に乗せられていた。

 否定や拒絶する暇もない鮮やかな手口に、待ち合わせ場所らしいレストランに着くまで、文句の一つも言うことが出来なかった。




 今まで来たことの無いような高級レストランに、俺は自分が場違いな気がしてならない。

 入り口には出迎える人がいたし、上着を預かられた。

 完全にドレスコードが必要で、絶対に学生の俺が来るべき場所じゃない。


 どこを見ていればいいか分からなくて、うろうろと視線をさまよわせていれば、隣を歩いている母親が小突いてきた。


「しっかりしなさい。みっともなく見えるわよ」


 場所が場所だからか小声だけど、その威圧感はいつもと変わらない。

 これ以上怒らせるとろくなことが無いと、俺は色々なところを見るのを止めて、前を向いた。



 ここのどこかに、俺の婚約者がいる。

 そう思うと、急に緊張してきてしまう。


 一体、どんな人なのだろう。

 母親は説明をしてくれず、何の情報も俺は持っていない。

 だから全く想像出来なくて、俺の頭の中の婚約者は今のところもやもやとした塊でしかなかった。


 可愛い?

 美人?


 年上?

 年下?

 同い年?


 気になることはたくさんあったけど、この状況では聞けない。


 まだ見ぬ婚約者について考えていたせいで、母親が立ち止まったのに気づくのが遅れてしまった。


「ほら、夏樹なつき。挨拶しなさい」


「……ど、どうもっ!?」


 また肘で小突かれ慌てて意識を戻すと、今度は驚きで意識が飛びそうになった。



 目の前にあるテーブルに座り、俺の方を見ているのは、口ひげのある優しそうなおじさんと、美人な人だった。


 ただし男。見間違えることはないぐらい男。

 切れ長の瞳や、サラサラとして綺麗な髪や、彫刻かと思うぐらい整っていたとしても、男なのに変わりはない。


 きっとこの人達は父親と兄で、俺の婚約者はトイレにでも行っているのだろう。

 そんな期待を込めて、母親に視線を向けると、うんざりするぐらいのよそ行きの笑顔を浮かべていた。


「お待たせしてごめんなさいね。この子が帰ってくるのが遅くて」


「いえいえ気になさらないでください」


 その笑顔は紳士に向けられていて、まるで恋する乙女のようだ。

 母親のそんな顔なんて、本気で見たくない。


 俺はうんざりしながら、紹介が始めるのを待った。


「えーっと、これが息子の夏樹です。夏樹、こちらの方が九十九つくもなぎささん」


「久しぶりだね、夏樹君。しばらく見ないうちに、とても立派になったね。会うのは13年ぶりだから、私のことは覚えてないかな?」


「……すみません、全く」


「謝らなくていいんだよ。私も随分とおじさんになってしまったからね」


「何言っているんですか! 全く変わってないですって」


「ははは、そう言ってもらえると嬉しいな」


 おじさんの名前は九十九渚さん。

 頭の中にインプットしていると、握手を求められた。

 断る理由もないので手を差し出したら、力強く握ってくる。


 会ったことがあると言ったけど、俺は全く覚えていなかった。

 13年前と言われても、俺は5歳なのだから無理もない。


 記憶をたどっても思い出せなかったので、ごまかすように笑っておいた。



 それにしても、俺の婚約者はいつ来るのだろう。

 トイレにしては、さすがに長いのではないか。


 怒らない程度に周りを見ていれば、握手していた手が外された。



 そしておじさんを押しのけて、美人な男性が前に出てきた。

 あまりの勢いの良さに、わずかに後ずさりしてしまう。


九十九つくも終夜しゅうやだ」


「……あ、えっと、高城たかぎ夏樹です」


「知っている」


「あ、そうなんですか」


「俺の婚約者だからな。夏樹のことなら、なんでも知っている」


 さらりと言われたせいで、言葉の意味を理解するのに、だいぶ時間がかかってしまった。


 そして理解すると、俺は意識が遠のきそうになった。



 どうやら俺の婚約者は、目の前にいる美人な男性らしい。



 これはきっと悪夢だ。

 最悪な誕生日の予感に、絶対に不可能だけど、この場からものすごく逃げたくなった。




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