準備完了

 ふーこと山に登り、廃坑跡に潜り《星曇ほしぐもりの石》を採取する。


 「理事長の娘さんで、優等生の城間しろまさんと一緒に行動する」と表現すれば頼もしげな字面になるのだが、幼少の頃から数々のへっぽこエピソードが記憶に刻まれているだけに、簡単に済むと思えない。一層ふんどしを締めなおして……いや例え話でも女子にふんどしはないな。カーゴパンツのウェスト紐をもやい結びにして、腹をくくらなければならない。慎重な準備が必要だ。


 まず制服姿のふーこを、自分のアウトドアウェアに着替えさせた。もちろん「きついよぉ」だの「小さいみたい…」だのクレームは、左から右に受け流す。お上品な私立制服のスカートで入っていけるほど、山は甘くないのだ。


 今回のターゲットは《星曇りの石》。四合目の廃坑跡の洞窟からの採掘のためには、いつもの採集用の道具に加え、採掘用の道具も必要になる。ロックハンマーに平タガネ……これは岸壁からお宝を削りとる為の道具で、隣駅の国道沿いのホームセンターで用意した。

 ランタンとヘルメットとヘッドセットライトはそれぞれ二つずつ。一セットは大伝じーちゃんのもので、年季が入って黄ばんでたり、拭いても拭いてもベタベタしたりする。けれど、使う分には問題ないだろう。多分。


 問題は、テント一式と、食料だった。

(一人なら、夕方までに、行って帰って来られる仕事……)

 通常なら、これは不要な荷物だ。不要な荷物は体力を削る。体力が削られれば、計画通りに夕方に帰ってくるのが困難になってしまう。石橋を叩いて叩き壊す行為だ。


 しかし、あのふーこが一緒にいる。波風立たない所に無自覚にハリケーンを呼び起こし、火のないところに大火を焚きつけ、氷山の一角をなにかの拍子に掴んで根こそぎ引っこ抜く女なのだ、ふーこは。


 私は腕組みをし、しばらく荷物とにらめっこした。悩んだ末、『万が一』が起きうる方に賭けた。今回は鴉と同行するんじゃない、人型のふーこと行くのだ。ふーこのせいで余計に増えた荷物はふーこに持ってもらえば良い。私は大伝じーちゃんが使っていたであろうズタ袋のようなリュックサックを、嫌がるふーこに押し付けた。


■■■


 ドアの外の空気は湿気を含めるだけ含んだ湯気のようで、息を吸うのも重たく感じる。憎たらしい太陽はまだまだ高い位置にいて、足元のアスファルトを飽きもせず熱している。私はせいろで蒸される肉まんの気持ちに共感しながら、一歩一歩を踏み出した。


 目的地である四合目の廃坑へは、近道である参道ルートを使うことにした。登山ルートに比べると参道ルートは坂道が多いのが難点だけれど、人が登ることを前提とした道が敷いてあるので、急ぎの用があるときはこっちが便利だ。


 八合目まで続くこの登山道を行けば、由緒正しき《八面神社》という神社にたどり着くので、地元民はこの道を単純に「参道」と呼んでいる。神社が祭事を催す際は、県外からも観光客が来ると聞いたことがあるけれど、参道を行く参拝客の姿を私は見たことがなかった。不人気なのだろうか。それでも、《湧き水の森》を抜け、参道入り口の古く大きな鳥居の下をくぐれば、空気がピンと張り詰めたような気がした。


 ふーこは、窮屈なウェアを着せられ、重たい荷物を背負わされているにも関わらず、終始ご機嫌だった。「こうやってメイジちゃんと歩いていると、遠足を思い出すね」なんて言いながら、息を弾ませて健気についてくる。私も自然と中学時代に戻った気分で、ふーことの遠足の思い出を茶化しながら歩いた。


 ――例えば、ふーこのお弁当が、現地で出来上がることを逆算調理された魔法瓶の牛すじカレーだった事とか。ふーこが行く川という川、沢という沢に漏れなく落ちて、ずぶ濡れになった話だとか。私がささいな事で同じ班の子と喧嘩して、魔力を暴走させてしまったことだとか、止めに入ったふーこが私の二倍暴走したこととか、その子のその後の進路についてだとか。そういう取り留めのない事についてだ。


 平日の昼、クヌギやブナやコナラの立ち並ぶ雑木林の間には、私達しか人間はいないようだった。しゃんしゃんと、しつこく追いかけてくる蝉の声だけがする山道で、けらけらと笑い声を響かせ話すのは痛快で、目当ての廃坑へは思ったよりも早くに到着することが出来た。


■■■


「わあ〜……! うっそうとしてるねえ〜!」

 ふーこは鬱蒼うっそうという形容詞から程遠い明るい声色で言った。


 私達は40分ほどの登山の末、やっと廃坑前の開けた場所に到着した。やっと人の手が入った広場にたどり着いたと一瞬思えた……のだが、それは大きな間違いだ。かつて人の手によって拓かれただろう広場は、すでに自然に飲み込まれそうになっている。砂利を敷き詰めて確保した歩道は除草シートを破って伸びた雑草が茂っているし、切り倒した木は朽ち、傍らから新しい命が芽吹いている。


 ふーこが言うように、ここは鬱蒼としている。崖上から伸びる蔦や、崖から生い茂ったシダ系植物もいかにも陰気臭い。老朽化したの看板の『関係者以外立ち入り禁止』という掠れた文字も、心霊番組のような雰囲気を演出するのに一役買っている。坑道の入り口は闇を切り取ったように黒く四角く塗りつぶされて、まるで異次元への入り口のように禍々しい。人の気配は一切無く、仮にあったとしたら、間違いなく廃坑マニアか同業者だ。


「メイジちゃん……、これ、中にはいったら案外明るかったりする?」

「ご覧の通り、真っ暗でございます」

「だ、だよねえ」


 山をくりぬいた坑道に光を採るための天窓などあるわけがない。入ってすぐの広場には配電盤があり、電灯の設備を起動できるかもれしれなかったけれど、ショート火災を想起させる劣化ぶりでとても操作する気にはならなかった。


 私は肩に重くのしかかるバックパックをヨイショと地面に置いた。中からヘルメットとヘッドライトを取り出して、箒の先端に取り付けたコールマンのランタンを点灯させた所で、ふーこも習って準備を始めた。 ふーこは背負っていたソフトギターケースのような黒い袋を下ろすと、中からズルリと長い組み立て式の杖を取り出した。


「お、おお〜〜! すごい、魔法使いみたいだ」

「やめてよメイジちゃ〜ん!」

「別に褒めてはいない」


 私はそれよりもふーこの杖に興味がある。取り出された杖は、白っぽい材質はひのきかホワイトウッドか、加工しやすく軽い材質の木材で出来ていた。ふーこはそれを、手慣れた様子でテキパキと組み立てていく。ジョイントは二箇所、棒の中央部分と、杖先の飾り部分でできるらしい。先端の白百合をモチーフにした大きな飾りを含めると、全長二メートル程だろうか。ジョイント部のむき出しの金属と、杖の材質のせいで、全体的にチープな印象を受けるが、それでも持てば立派な魔法の杖のように見えた。


「すごいね。学校用?」

「そうなの、実習用の杖。今日ちょうど授業があったから。えっと、メイジちゃんは申込用紙貰ってないよね? 小学校の裁縫道具とか書道の道具みたいにデザインが色々あって、選んで買うんだよ」

「あー、封筒にお金入れて出すやつ……」


 語尾に『(笑)』がついたような声が出てしまった。取ってつけたようなデザインをしているのも納得である。裁縫道具と同じ方式ということは、サッカー好きに向けたJリーグのエンブレムが付いたものや、音楽好きに向けたト音記号のモチーフが付いたものがあったりするのだろうか? 白百合を選ぶふーこの「らしさ」にもニンマリしつつ、私はもう一度入り口に向き直した。


「中は暗いから特に足元に注意してね。私も途中までは道順を覚えてるんだけど……目当ての《星曇りの石》はどこにあるかまでは自信ないから、そのつど探す感じで。三時になったら、余裕をもって下山の準備を始めようかなと……アラームをセットしとくね。中の道は迷路みたいになってるから、はぐれないでね。」

「は〜い」

 自分の声かけが引率の先生じみていたらしい。ふーこは遠足コントのノリで、勢いよく手を挙げた。

「それでね。いつも採掘してる広場みたいなところまでは、迷わず行けると思うんだけど、次にまた依頼があったときのために、マッピングをしようと思います」

 マッピングとは、地図起こしのことだ。もともとはTVゲームに出てくるダンジョンを、自前の方眼紙で地図を書き写し攻略する文化から由来しているとかいないとか。


「は〜い。先生、質問で〜す」

「はい、城間くんどうぞ」

「マッピングは、どうやってやるんですか〜?」

「あっ、そこは普通に、スマホのアプリを使おうかなと」

 私はハーフカーゴパンツのポケットから、ゴソゴソとスマホを取り出した。マッピングによさそうなゲーム用のアプリを、先日見つけたばかりだった。しかし、起動して0秒も経たないうちにエラーウィンドウが現れた。


「……あ……ここ、圏外だ」

 フギンのでかいため息の幻聴が聞こえた気がした。《八面山》は場所によっては電波の入りにくい場所がまだらに点在しているのを失念していた。

「しまったな……。まあ、ノートに手書きをすればいいんだけど、中は暗いし……。スマホのほうがバックライトがあって便利だもんな……」

「あっ、は〜い! 私におまかせくださ〜い!」


 ふーこは、頒布のズタ袋リュックをごそごそやると、何かを取り出してるようだった。木枠の額縁に黒板がはまっているB5サイズのメッセージボードと、黒い砂がつまった瓶だった。黒板には白いチョークで、なにやら魔法陣が描かれていた。


「……なにそれ、いつの間にそんなの持ってきてたの? 魔法の道具マジックアイテム?」

「えへへ、見ててね〜!」

 ふーこの細い指がその瓶のコルクを外し、トントンと黒い粉を振り落とす。左手に持った黒板でそれを上手に受け止め、こぼさないように揺すって均した。チョークの魔法陣がすっかり見えなくなると、その木枠の皿を地面に置いた。

「いきますっ」

 ふーこは白百合の練習杖を両手でしっかりと握り、「んん〜!」と小さくうなり始めた。


 ふーこが魔法を使う所は何度か見たことがあった。ふざけ半分でやった「こっくりさん」で魔力を発動させたりだとか、喧嘩してヒートアップして暴走とか……、どれも偶発的に魔力が集まってしまった事は見たことがあった。杖を持って意識を集中し、きちんと手順を踏んで魔法を発動させる姿を初めて見る。


 ふーこの周りの空気がフワフワと蛍が点滅するように淡く輝き始める。ふーこに向かって、夏の気だるい空気が集まり、風になっていくのが頬の感触で分かった。腰まである金色の長い髪は、まるで意思を持ったように規律を持って波打ち広がる。キラキラした夏の空気はふーこに集まり、それをすべて体のなかに取り込むように、すう〜と大きく息を吸った。いよいよ溢れ出しそうな程輝きが高まった時、「え〜いっ」と、演出の割に間抜けな声と共に杖の先を砂に突き刺した。黒い砂は、波紋を描いてさざなみ、波紋はボードの縁でぶつかって消えた。


「ふうぅ……。出来ました〜」

「なになに、なにこれ! 何が出来たの?」

「これをね、こう持ち上げると〜」


 ふーこが地面に置かれたボードを持ち上げると、ボードの裏から引き剥がされるのを嫌がるように、パチパチッと砂が爆ぜる音がした。そして上の黒い砂――これは近くでよく見れば、砂鉄のようだ――が、水面のようにゆらいで……、砂の面がマップのように凹凸した。


「ええっ……なにこれ、地図?」

「オートマッピングの魔法だよ〜! 《砂地図すなちず》って言いま〜す。土魔法の初級でね、一学期の最後にやりました〜!」

「へええ……。砂鉄を、魔力で操作してるって事?」

「そうなの。地表面からポワワ〜ンって出てる、目には見えない土の魔素の形を、黒板でアンテナみたいに受信してるの。で、魔法陣に書いてある指示を実行してるかんじ。この術式だと、受信した周辺の魔素の凹凸を縮尺して、磁力に紐づけて黒板面に出力させる〜みたいな? 磁力の強弱で砂鉄を盛り上がったり減っこんだりするから、地形が可視化するってスンポ―なのっ」

「へえええ」

 分かるような分からないような話だった。私はちょんちょんと砂鉄を触ってみた。ぼさぼさした毛のように立ち上がったそれは、指の形に沿って形を変えるが、離せば何事も無かったように元の立ち上がった形に戻る。


「魔法陣――術式? プログラムって言っていいのかな……。魔法陣はふーこが書いたの?」

「教科書丸写しだよ〜。あ、でも、範囲の設定とかはちょっと変えたったかな。今は、自分の周囲・半径二十メートルって設定〜」

 ふーこは謙遜して笑った。

「それでね、わたしがこう、歩くと……」

 ふーこが数歩移動してみせると、木枠の中に描かれた地図もふーこの位置に併せてズズズと動き、可視範囲を移動させた。まるで砂鉄でできたグーグル・マップだ。もちろん、圏外の場所でも有効なのだというから、グーグルさんもびっくりだろう。


 もちろん地図なんてものは、自分の手で描いても何も問題ない。しかし現実の地形を正確に縮尺することは、手書き地図では叶わないことだ。そして何より最大の《砂地図》の利点は、自分を中心とした半径20m程をオートでマッピングしてくれるところだ。つまり、まだ歩いていない先の情報、知り得ない地形まで表示してくれるのだ。

 私は未知の魔法技術に素直に感心して、そして同時に強烈な焦りを感じた。高校では、一学期でこんなに実用的な事をやっているとは思わかなかった。通っていた頃は殆どが座学で、しかも全て大伝じーちゃんやフギンに教わった事のあることばかりを、薄く伸ばしたような内容だった。


「お役に立てた?」

「……うん、すごい。自分だけだったら、手作業だった。マッピング作業はしないで済みそう。すごい捗るよ。帰りにでも地図の写真を撮っていい?」

 私が観念したようにそう言うと、ふーこはみるみる感情を高ぶらせて、「メイジちゃん大好き!」と抱きついてきた。木枠から砂鉄が大量に溢れ出たが、ふーこは気にもとめなかった。

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