祝杯

 全ての魔力を失った時の体というのは、低血糖の症状に似ている。空腹になりすぎたときの感じだ。胃の底が気持ち悪くて、よろよろで、へろへろで、力が入らない。手足の末端が痺れ、立ち眩みもする。

「フギン、おつかれ〜…」

「おつかれさん」

 フギンはもう鴉の姿に戻っている。私くらいの若輩魔法使いでは、あの姿はそう長くは持たないのだ。


 《水トカゲ》は、ロープで簡易ハーネスを作って、手近な木に固定した。背中のラムネ花火の炭酸が抜け、我々が無害な存在だと分かると、だんだんと落ち着きを取り戻した。アルミ製の器に水を入れてやれば、大人しく舌を伸ばしてペロペロとそれを舐めた。先程の全力疾走が嘘のようだ。よしよしと喉元を撫でると、《水トカゲ》は少し警戒しながらも、その手を避けようとはしなかった。


「それにしても、腹が減ったな」

「わかる」


 魔力を使うとお腹が空く。それに私達はちょうど夜ご飯にする所だったのだ。大捕物の後の興奮で、脳内はアドレナリンで湧き、空腹を感じにくくなっているけれど、腹の音は確実に主張している。


「今日の飯はどうする?」

「うんとね、ちょっとアイデアがあって」

「?」


 疲れた体を励まして、私はアルミ製の器に付属の取っ手を付け、鍋にして、バーナーの上に置いた。そこに、昼間に採った桑の実をゴロゴロと転がり入れる。手持ちの砂糖を全部入れて、ポケットの中に入れていた飴もその中にコロコロと入れた。


「…ジャムか?」

「あ、分かる?」


 スプーンでかき混ぜ熱を通せば、よく熟れた桑の実からは水分が出てきた。丸々とした実は解れ、いかにもジャムらしくなる。暫くするとクツクツとワイン色の果汁揺れて煮詰まり、甘い香りが漂った。


 次にバックパックの中から食パンをとりだした。これは、昼に食べた食べ残しだ。バーナーの上にフライパンを乗せ、その上にアルミの網を二つ、山形になるように立てた。網の上に食パンを乗せ暫くすると、ジリジリと美味そうな網目模様の焦げ目がついた。それを、手で千切って、ジャムの皿を拭って食べる。


「んん……」

 恍惚の表情である。


 口の中に投げ込んだ瞬間から、香ばしい小麦の香りと、癖が少なくさっぱりとした甘みが、体の隅々まで染み渡るのを感じた。噛むと、少しぷちぷちとした触感がするのも、好きだ。遠赤外線でゆっくり炙られた食パンは、外はカリカリで、中はフカフカのもちもちで、そこにジャムの甘さが染み込んで…ああ、労働の後の甘いものは、たまらなく美味しい。


「メイジ、儂も」

 フギンが小さい足でぴょんぴょんと跳ねてアピールしている。

「フギンもどうぞ。お皿はコレね、熱いから気をつけて」

「ウム。頂きます」


 ご丁寧に鴉はペコリと頭をさげた。そして、ジャムの付いたパンを器用にくちばしでつつき、飲み込んだ。


「ナルホド。急ごしらえの割にはイケるな。爽やかだ」

 フギンのコメントに気を良くした私は、ドヤ顔で続けた。

「ふっふーん。これで満足しちゃだめだよ」

 さらにバックパックの中身をごそとそと弄る。


「これは冷蔵庫で温存していたとろけるチーズ!」

「おお!」

「そしてこれは、秘蔵のお歳暮のベーコン!」

「おお! まだあったのか!!」

「これを炙って、パンに、乗せたらどうなると思う〜〜〜?」


 魔女っぽく、イタズラそうに笑ってみる。フギンはばたばたと羽を広げた。これで、いよいよ、名実ともに冷蔵庫は空っぽである。それでもいい。今日の仕事はうまくいったのだ。


「メイジ、早く、早くしろ!」

「ふっふっふ〜〜! 今日は祝杯だー!」

「焼けー! 焼いてしまえーー!」


 私達は山のてっぺんで、きれいな空気と星空の下で、仕事の成功と慰労の為のささやかすぎるパーティを敢行したのだった。


 そして、その騒がしくも賑やかな食事風景を、森の木陰から大岩程の大きさの《水竜ウォータードラゴン》が、だらりと《涎》を垂らしながら見ていたのを、知るものはいなかった。


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