四.殺された未来と、甦る今
4-1
窓から昼の日差しが射し込む中で、室内は重い沈黙に包まれていた。
床に転がったサウンド・オーブに視線を落とすリッタと、その傍にただ寄り添うアルド。
やがてアルドが痺れを切らし沈黙を破ろうとすると、その前に「アルドさんは、」とリッタが口を開いた。
「アルドさんは、ライさんに会えましたか?」
「……ああ、会ったよ。ライさんは、」
「いいんです。……分かってます。アルドさんは何も悪くありません。この、おーぶを届けてくださって、ありがとうございました……」
消え入るような声でそう言うと、リッタは一度だけアルドの方へ振り向き、今にも崩れてしまいそうな危うい笑みを浮かべた。
きっと彼女は今までも、こうして悲しみを笑って誤魔化してきたのだろう。アルドは責めることもなく、笑うこともなかった。
「なぁ、リッタ……本当に良かったのか?」
「……はい。もう、いいんです。ライさんがそれで良かったなら、それで……」
ぽつ、ぽつと、涙が床の上で重なっていく。俯いたままの後ろ姿を見て、アルドはその場から動くことができずにいた。
本当にこれで良かったのか。何が良かったのか?
なぜ合成人間は反乱を起こすのか。未来のエネルギー技術が危機をもたらすとはどういう意味か。その真相は分からず終いだ。自分達がエルジオンで調べている『今この世界で起きているある異変』と何か関係があるのだろうか。
いずれにせよ本人に訊くことは叶わない。ライさんはもう、いないのだから。
これからリッタはどう生きていくつもりだろうか。一度争いから逃げ出そうとした過去を悔やんだまま、一生戦わずに過ごしていくのだろうか。
きっと間違った道ではないかもしれない。ただ、そんな彼女の未来に思いを馳せたところで、その先には常闇が広がるばかりだった。
死に絶えた未来の中で、リッタは何に希望の光を見出せるだろうか。どこに自分の居場所を見つけ出せるというのだろうか。
ガンガン。ガンガン
突然、扉を叩く音がけたたましく響いた。
何事かと思いアルドが扉を開くと、奥で見知った男が顔に焦燥の色を浮かべていた。
「リッタ……あ、剣士さんもいたのか! 頼む、助けてくれ!」
以前にセレナ海岸で助けた青年だ。外からは飼い猫アオの唸り声も聞こえる。
「何かあったのか?」アルドが尋ねる。
「魔獣族の部隊が町に攻めて来た! しかもユニガンの衛兵も邪魔されて来られないって。何とかしてくれ!」
それだけ言うと青年は急いで走り去ってしまった。
アルドがぎょっとして窓の外を見やると、リンデの入り口付近に5体の魔獣族が進軍していた。
魔獣族は戦闘形態を取ることでその姿を獣に変える。隆々とした巨体を持つ闘士、全身に鎧をまとった騎士、斧を持った兵士や槍を携えた戦士、しなやかな体で拳術を用いる女戦士――様々な形態が存在するが、いずれも生身の人間を凌駕する戦闘力を秘めている。
兵を差し押さえられている港町側には対抗手段がなく、魔獣達は暴れ放題な状態だ。今すぐに誰かが止めに行かなければ、取り返しのつかない事態は免れない。
「リッタ……」
アルドがリッタの方へ振り向く。リッタはやつれた顔で同じ外の光景を見ていた。
相手は小規模とはいえ万全に武装した部隊だ。ユニガンからの援助もなく、アルド1人が立ち向かうには心許ない。アルドはどうにかしてリッタを説得して共闘を頼みたかった。
「すみません、私は……力になれません」
リッタは力なく首を振った。アルドが慎重に声を掛ける。
「不安だからか?」
「それ以前の問題です。私なんかが向かったところで、また足手まといになるだけですから……」
アルドはすかさず反論した。先ほどの青年は襲撃を受けて、真っ先にリッタの家に押し掛けた。青年は他ならぬリッタに助けを求めたのだ。
「リッタらしくないぞ。この町を守りたいんじゃなかったのか? この時のために頑張ってきたんじゃ……」
「間違ってたんです! やっぱり私には、私には何も守ることなんてできません!」
リッタはオーブを見下ろしたまま金切り声を上げた。
「私に何ができるって言うんですか!? ライさんですら壊れてしまうような、こんな世界で! 私が戦ったところで全部無駄になるだけなんです!」
この時アルドは、リッタが受けた傷の深さを痛感した。
残された言葉とは裏腹に、リッタは今もライの存在に縛られている。自身の実力を疑いながらも、励ましを受けながら奮い立ってきた過去は破綻した。ライに導かれるまま希望を見てきた彼女は今、ライに引きずられるまま絶望を見ている。
戦うつらさを否定はしないが――
海岸で助けてもらい勇気づけられたこと。他人を守るための頑張りを知ったこと。ビットマグナムの採取を買って出たこと。支えてやりたいと思ったこと。
その全てが消し飛んでしまうようで、アルドには耐えられなかった。
「……分かった。あんたが戦わないなら、オレ1人でも行く。せめて巻き込まれないように気を付けてくれ」
低い声を聞いたリッタは顔を上げ、立ち尽くすアルドを見上げた。その表情は逆光に遮られ上手く読み取れない。問い返すリッタの声は震えていた。
「どうしてですか」
「町の人達が困っているんだ。放っておけないだろ」
「アルドさん、あなたは何なんですか? 町の住人ですらないのに! 関係ないはずなのに……」
アルドは懐から出した何かを、リッタの目の前の床に叩きつけた。
「放っとけないからに決まってるだろ!!」
怒鳴り声が空気を揺るがす。
直後にアルドは扉を開け放つと、外へ向けて大声を飛ばした。
「いま助けに行くぞ!」
アルドは魔獣達がいる入り口前へ駆け出していった。
リッタは遠ざかっていく背中を呆然と見送る。
その傍の床には2つの小瓶とともに、1枚の紙切れが残されていた。
戦地に駆けつけたアルドの姿を、魔獣達の視線が一斉に捉えた。
「何者かと思えば、アルドだな。これは好機だ。魔獣王様の仇が直々に来てくれるとは……」
鎧をまとった魔獣騎士が重々しい声で凄む。
王都のミグランス城で起きた魔獣族の襲撃に対抗し、アルドが魔獣王を討ち破ったのはごく最近のことである。その事実が配下に知れ渡っているからか、目の前の魔獣達がアルドに向ける視線は
「お前達……フィーネは無事なのか?」
「
筆頭として答える騎士の横から、巨体を持つ魔獣闘士が高らかに叫んだ。
「この港町は我々が頂く。そしてゆくゆくは世の大陸全土が魔獣族のものとなる。これは王ギルドナ様の遺志であり、アルテナ様の願いでもあるのだ!」
今の魔獣族を総括しているのは、敗れ去った魔獣王の妹アルテナである。
彼女は親友であるフィーネの力を利用し、兄の遺志を継ごうとしている。世界の支配権を魔獣族が手にすることで、長きにわたって蔑まれてきた屈辱を晴らすために。
「見上げた忠誠心だ。思い通りにはさせないぞ」
アルドはスパタを構えた。
エルジオンで抜剣したばかりのオーガベインは、ここでは無用の長物と考えるべきだろう。
精鋭部隊を1人で相手しては勝機がないに等しい。それでもアルドに退く気はなかった。
跳躍。
魔獣達の視界からアルドが消えた。見失ったと思われたその姿は、群れの懐に紛れ込んでいた。
スパタを振り回す。
X字の軌道を描く広範囲の斬撃が、周囲の魔獣達にことごとく浴びせられた。続けざまに虚を突かれた魔獣の1体を斬りつける。斧を持った魔獣兵士が地面に崩れ落ちた。
「小癪な!」
騎士が斧槍で勢いよく空を薙ぐ。アルドはすんでのところで躱したが、衝撃に吹き飛ばされ体を地面に打ちつけた。
受け身を取る余裕のないまま、魔獣闘士が拳を振り下ろそうと構える。
「フシャーッ!」
そこへ灰色の猫が飛びかかった。アオは飼い主である青年の抑止を振り切り、闘士の顔面に全身で覆い被さる。
忌々しげに頭が振られると小さく悲鳴が上がり、ベシャッ、と音を立ててアオが地に叩きつけられた。
「アオ!」
「馬鹿、兄ちゃんも逃げろ! 死にたいのか!」
駆け寄ろうとする青年をおやじさんが制した。町じゅうからは人々の狼狽える声が散り散りに聞こえてくる。
立ち上がって闘士に斬りかかろうとするアルドに、横からしなやかな魔獣女戦士の拳が割り込んだ。殴撃をまともに喰らい倒れ伏した先には、別の魔獣戦士が構える槍の矛先が向く。
「
戦士の恨み言に対して、アルドは重い体を起こし、再び構えることで戦意を露わにした。自身と向けられた槍先の間に一定の距離を保ちつつ、確かな口振りで呟く。
「……1人なんかじゃない」
「何?」
その時、離れから扉の開く音が聞こえた。町民の一部が音のした方を向き目を丸くする。その視線の先には、小さな白銀色の輝き。そして――
光が飛来する。
一直線に飛んだ光が、戦士とアルドの間に割り入るように着弾した。揺さぶられた地面からは土煙が上がり、辺りが熱を帯び始める。
何事かと惑う一瞬ののち、場に居合わせた誰もが熱線の射手に目を奪われた。
「1人なんかじゃ、ないです。アルドさんは……」
そこにはリッタの姿があった。
背筋をまっすぐに伸ばして立つ彼女は、両手でしがみつくように銃を握りながら深呼吸を繰り返している。
安堵したアルドの口元に笑みが浮かぶ。
リッタは大きく息を吸うと、たどたどしく叫んだ。
「わ……私はリッタ。あなた達の相手はアルドさんと、この私だ!」
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