3-4

 時刻は翌日の昼。港町リンデに戻ったアルドは、すぐにリッタの家を訪れた。

 扉を叩くと嬉々としてリッタが迎える。


「アルドさん! 何か……」


 しかし扉を開くと、一転して表情を曇らせた。


 何か問いたげな面持ちをしつつも、リッタはただ相手方の伝言を待つ。

 アルドは預かっていたサウンド・オーブを懐から出し、リッタに手渡した。

 初めて見る代物に戸惑うリッタに、アルドは使い方を教える。言われた通りの操作がなされると、オーブから実音声にほど近い機械音声が流れた。


『……識別子・ライ。現時刻AD1100年。もしもの時のため、ここに下名の過ちを記録する』


 兵士らしい生真面目な口調だった。


「ライさんの声……」


 リッタは音声を聴くなり呟いた。

 ただ口振りは自分に語りかけた時の優しさとは違うという。この音声はリッタ個人に宛てたメッセージではなく、何か別の目的で録音されたものだろうか。


『まず……もし隊の仲間がこれを聴いているなら、4年前の作戦中に無断で戦線を離脱したことを謝罪したい。

 当時、下名は不慮の事故に巻き込まれていた。現地にてハンターの男をこの手であやめた直後、謎の青白い光が下名を飲み込んだのだ』


 青白い光――時空の穴のことだろう。ライは神出鬼没の時空の穴に遭遇したことで時を超えたのだ。


『光の穴から解放されると……周囲は驚くことに、森林に囲われていた。資料映像をちらと見た程度の存在だったが、実物を目にするのはあれが初めてだ。おそらく二度と見ることもないだろう。

 後から知ることになるが、光の穴を抜けた下名は約800年前にタイムスリップしていたのだ。つまりそこは我々が天空に居住を築き、捨て置いた大地の遥か昔の……住みよい環境を保っていた頃の姿だった』


 響き自体は無機質な機械音声だったが、ライの話し声は心なしか楽しそうに聴こえた。

 以降は当時いた場所の呼び名、満月が浮かぶ夜空、照らされた草花、特徴的な植物の話が続く。


『……失礼、話が逸れてしまった。当時の下名も稀有な環境に浮かれていたのかもしれない。

 下名はその森で、見たことのない野生の魔物に牙を剥かれた。負傷することを覚悟したが……その時、下名は1人の人間に助けられた。

 子供だった。されど幼きから剣術を叩き込まれているらしく、それなりに腕が立つ剣士である。彼は拙いながらも果敢に剣を振るい、魔物を退けた。

 下名が真意を問う前に、少年は注意を促してきた。この近辺は魔物が多いから気を付けるようにと。そう告げることが当たり前であるかのように。


 あんな風に、人と対等に扱われたのはいつ振りだろうか……。我々はかつて、共に働く仲間だった。違う種族であれ苦楽を共にしてきた。互いに助け合っていた頃は争いなど起こり得なかった。そんな関係性こそが我々の本来の姿だったと、下名は初めて気付かされたのだ……』


 聞き覚えのある言葉にリッタが息を吞む。続きの音声が流れる。


『少年はすぐに去っていった。礼を言いたかったが、その前にまたも青白い光が下名を吸い込んだ。

 元の時代に帰れると思いきや、辿り着いたのは見知らぬ海岸である。そこはどうやら先に転移した森とほど近い時代らしかった。


 帰還すべく彷徨さまよった道中で、何やら奇妙な集団が人の少女を襲っているところを見かけた。当時の歴史を振り返るに、あれは魔獣族と呼ばれる種族である。

 だがそれは下名にとって関わりのないこと。離れにいた下名は、持っていた極軽量の銃で魔獣を撃ち払った。……手に掛けたハンターから奪い取った銃だ。使い方は見様見真似だったが、引き金を引くだけで射撃はあっさり成功した』


 廃道ルート99に行き慣れているライだからこそ、熱線銃とフラッシュ・サーチビットの燃料が共通することも見破れたのだろう。

 リッタは黙って音声を聞いていた。ライが合成人間として手を汚してきたことも、熱線銃に込められた人命の重さも、初めて知ることだ。


『助けた少女は下名を恐れる素振りなどなく、むしろ助けられたことが後ろめたいと言うばかりだった。少女は他者に助けられてばかりだと言う。逃げたい一心で町を抜け出した自分に、これ以上救われる資格はないのだと。

 そして、こうも言っていた。魔獣族との争いをなくして、誰も傷付かない以前の港町を取り戻したいと。

 下名は少女にハンターの銃を渡した。もともと下名が所持しても仕方のないものである。軽量かつ扱いやすいあの銃ならば、きっと彼女でも役立てられると思った。

 少女の願いは下名の願いに似ていた。だから支えてやるべきだと考えたのだ。人と魔獣族との和平が歴史に残れば、我々にとっての希望にもなる。それに賭けてみたかった。下名は人と合成人間との和平の第一歩として少女を励まし、他者を助ける力と意思を持たせようとした。

 それが、下名の犯した大きな過ちだった。』


「え……どういうこと?」


 リッタが独りごちる。引き続き音声が流れる。


『放浪からややあって、下名は最初に転移した森に辿り着いた。道中で異様な姿に不審がる者もいたが、引き止められることはなかった。誠に居心地の良い時代に来たものだと思う。

 そして同じ場所にかの青白い光が現れた。下名はそれに飛び込むことで、現代への帰還を果たしたのである。


 その先で下名は、現実を見ることになった。

 幾度となく作戦に駆り出されることで気付かされた。現代の人間達はどれだけ話し合いを求めようと、聴く耳を一切持たないことを。


 反乱を始めた当初に、我々合成兵士はエルジオンへ大規模な襲撃を敢行した。エネルギー増幅技術の危険性を訴えることはもちろん、事の重大さを示すべく民間人を次々に殺害していった。

 以後、人間は我々に憎悪の念をはびこらせた。そして度重なる対立により、人と合成人間を隔てる溝は取り返しがつかぬほどに深まってしまった……。

 今や我々は人間にとってただの殺戮兵器でしかない。現にあるハンターの1人が下名にそう言い放ち……それも下名は殺した。

 人間は憎悪に囚われている。きっと合成人間である我々も同じように。


 だが、ガリアード様は間違っていない。この反乱を起こさなければ、如何にして世界の危機に警鐘を鳴らせただろうか?

 誰も声を上げぬまま過ごせば、いずれ世界は崩れ去る。全ては人間達のためだったのだ。


 多くの犠牲を生んでしまった我々は、もはや引き下がれなくなった。決して理解を得られないとしても、必ずかの技術の源を除かねばならない。

 できる限り穏便な解決を図りたかった。だが世界に残された時間は限られている。人間がまだ頑なに反発するならば、我々も手段は選んでいられない。

 たとえ最終的に人類が残らないとしても、この世界だけは存続させてみせる。亡きガリアード様に報いるためにも、犠牲にしてきた人々の命を無駄にしないためにも……』


 リッタは両膝をつき、その場にへたり込んだ。

 アルドが再生を止めようと近寄ったが、リッタはサウンド・オーブを庇うようにしてうずくまる。続きの音声が流れた。


『善も悪も他種族も助け合う……そんな理想が叶えばどれだけ良かっただろうか。

 だが現実は残酷だ。誰も己から憎しみと恐怖を切り離せない。大切な人達を奪ってきた敵どもと仲良く暮らすなど夢物語だ。

 古代の子供達を信じようとした下名は甘かったのだ。差し迫った現状を何も分かっていなかった、未熟だったと言う他ない。


 この未熟者の下名は……かの少女になんと無責任な理想を押し付けたのか。

 少女はあのまま逃げていれば良かったのだ。人と魔獣族との和解もきっと有り得ない。それなのに下名は銃とともに不確かな希望を匂わせ、彼女を戦地へ引き戻してしまった。

 助け合ったところで何になる? 欠片ほどの人を助けようと世界は救われない。また次から次へと救いを求める者が現れ、助ける側はやがて力尽きるだけだ。

 魔獣族の願いなど下名は知らない。あるいは奴らは信念など持たない、本物の邪悪であるかもしれない。それに少女は正しく立ち向かえるか? きっとかつての下名のように、仲間内にも敵を作ることになるだろう。


 あのまま逃げさせれば一時の傷だけで済んだ。だが下名は少女に一生苦しむ道を選ばせた。その苦しみが報われるとは到底思えないのに。もし彼女が苦しみながら誰かを守ってきたとしても、その子孫を下名は無惨に殺しているかもしれないのに、だ。


 山ほどの人を殺した下名には、和平を願うことすら許されぬだろう。

 だから、もし……もし1つだけやり直せるならば、せめて撤回の言葉を少女に届けたい。関わりのなかったはずの彼女を、下名のせいでこれ以上苦しめたくない。


 リッタ……お前は自由になるべきだ。

 お前は誠実な人間だった。きっと充分すぎるほど頑張ってきただろう。だが、もういい。

 今後もお前の周りではつらいことが起きるかもしれない。だがお前は何も悪くない。たとえ何者がお前を責めようと気にするな。渡した銃は自分の身を守るために使えばいい。お前は戦わなくていい。


 そして、もしお前がこの声を聴いているならば、どうか……この最悪な殺人兵器に失望してほしい。どうか下名のことは忘れてほしい。下名に縛られず生きてほしい。お前の知っているかつての下名は、もうこの世のどこにもいないのだから。


 それでは……この言葉を別れの一言としよう。

 願わくはこの世界に終焉と、恒久の光がもたらされんことを』




 リッタの手からサウンド・オーブが転がり落ちた。

 床を打つ音がむなしく響く。全ての声を再生し終えた卑小な球体が、どことなく痛ましいものに見えてならなかった。


 自分を導いてくれた恩人は、目に映らない世界の中で壊れてしまった。

 そんな彼がやっとの思いでこの録音を残した。自身の非情さを少女に伝えることを承知の上で、全ては途方もない希望への道を潰えさせるために。

 その覚悟の重さに、リッタはただ屈服するしかなかった。


「そんな……ライ……さん…………」


 絞り出すような声とともに、リッタは泣き崩れた。

 アルドは傍にしゃがみ込み、ただ静かに雨が止むのを待っていた。

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