三.かつて見た閃光の輝き

3-1

店主マスターさん、次はどこを掃除すれば? こちらの酒瓶は片付けても……」


「いいよ、こっちでやっておくから。テーブルの拭き掃除だけ頼む」


「分かりました!」


「ああ。……別に急いでないから走るなよ?」



 AD300年の昼下がりのこと、リッタは港町リンデの酒場にいた。扉に『準備中』の看板が掛けられているなか、お客を迎え入れる前の清掃に励む。


 ビットマグナムを切らした昨日から今日まで、彼女は町の中で何かできることがないか探し回っていた。その末に有りついたのがこの寂れた酒場だ。

 店主の男に日雇いをお願いしたところ、最初は難色を示されるばかりだった。魔獣族の度重なる襲撃により町じゅうが活気を失ったために、今や酒場を訪れるのは町内の常連客くらいである。極たまに来る旅人は安い酒代でもてなしていたが経営は危うく、本来なら新たに人を雇う余裕などなかった。

 

 それでもリッタが「タダ働きでいいですから!」と必死に頼み込んだ結果、今に至る。

 とはいえ本当にタダで雇うのはあまりにもあまりなので、店主はその日の食事だけでもご馳走しようと決めていた。

 しかし――未だに見過ごせないことが1つ。


「リッタ、さすがに店内にまで銃を持ち込むのはないんじゃないか?」


 腰に携えられた熱線銃に目を奪われつつ、店主がため息混じりに言う。短刀用のものを改造したという革製の銃嚢ホルスターとともに、リッタはそれを肌身離さず持ち歩いていた。白銀色の光沢がやたらと存在感を放ち、しばしば周囲の気を引いてしまう。


「壊れて撃てないとは聞いているけど……やっぱり見ると不安になるよ」


「……すみません。これがないと落ち着かなくて」


 リッタが制服の裾を伸ばす。銃身はなおも隠せていなかったが、店主はこれ以上言わなかった。


「まあまあ。それにしてもリッタはよく働くねぇ」


 横から店員のおばさんが口を挟む。その朗らかな小さな口調が湿った雰囲気を和ませてくれる。


「年寄りのわたし達と違って活き活きしているのよね。あとは落ち着いてくれれば文句なしさ」


「い、いえ、私は全然……」


「でも、急にどうしたんだい? あの日からよく顔を見せるようになって。以前はあんなに引きこもってたのに」


 不意の一言にリッタは息を呑んだ。

 あの日とは海岸から銃を持ち帰った日のことだろう。今でもはっきりとおぼえている。


 何も持たない頃のリッタは、家から一歩も出ないほどに怯えていた。時おり町で起こる魔獣族との争いが怖かったからだ。

 魔獣王が蜂起して以来攻め入るようになった小隊に対して、町の大人達やユニガンの衛兵は迎撃を繰り返してきた。屋外の怒号や刃音は扉越しに聞こえてくる。遠くから見ていたリッタには敵味方のどちらも恐ろしく思えた。


 もう戦いなんて真っ平だ。そんな嫌気が頂点に達したあの朝、リッタはわずかな気力を振り絞って町から飛び出した。残される親や知り合いのことはまるで頭になく、ただ町から出さえすれば恐怖から逃れられると思っていた。

 当時の自分の不甲斐なさを思うと羞恥が込み上げる。海岸を走っていたリッタは、不運にも魔獣族の斥候に出くわした。


 人質を求めて刃を向ける魔獣達。

 為す術もなく震えていたところを、見知らぬ長身の男が放った熱線に助けられた。

 

 自身から魔の手を引き離す閃光。一筋のまばゆい輝き。

 あの一瞬の光景と、白銀の銃とともに男から授けられた言葉を、リッタは今でも忘れられない。


「……『強さとは、他者を助けるためにあるもの』」


 テーブルを拭く手が止まり、途切れ途切れに呟く。そのつたない口振りは難解な書物を読み上げるかのようだった。


「『相手が善人でも悪人でも、違う種族だろうと関係ない。互いに助け合えば争いなど生まれない』……ですから」


 言い終えた頃には、酒場が静寂に包まれていた。

 我に返ったリッタが気まずい空気を感じ狼狽うろたえる。その様子を見たおばさんは思わず吹き出した。


「何言ってんだいリッタ? おばちゃんはあんたと同じ人間だし、ましてや悪人なんかじゃないじゃないか」


「あっいや、そういう意味で言ったわけじゃ……すみません!」


 リッタは何度も頭を下げるとテーブルに向き直り、木目を布巾ふきんでゴシゴシとこすった。店主の咳払いとおばさんの微笑みに赤面しつつ、黙々と拭き掃除をこなしていく。


 そこへ、ノックの音が響いた。主人がおもむろに扉を開けると、その先で立っていたアルドが挨拶をする。


「あ、リッタ。ここにいたのか」


 アルドが店の奥を見るなり呼びかけてきた。店主が尋ねたところ、リッタに話したいことがあって町じゅうを探していたという。


 リッタは先ほどの発言を聞かれたのではと恐れつつも、平静を装って返事する。実のところリッタからもアルドに1つ伝えたいことがあった。


「ア、アルドさん。すみません、御用でしたら仕事が終わってから伺いますので……」


「ああそうか。じゃあオレも手伝うよ」


 さらりと言ってのけるアルドに、リッタは目を丸くした。店主とおばさんも右に同じだ。


「あ、ありがとう……ございます……」


 2人は共同して酒場の下準備を手伝った。





 扉越しに喧騒が聞こえてくる。


 リッタは一軒家のガラス窓から離れにある酒場を眺めた。照明の光がこうこうと漏れる夜の店内から、酒飲み達のどんちゃん騒ぎがここまで聞こえてくる。自分達が手伝いを終えて帰された今、常連の漁師達が押し寄せたことで戦場のごとく賑わいが起きているのだろう。


「お客さんが来る前に帰されるなんて……」


「お酒の席にまで居させたくはなかったのかもな。オレもリッタも未成年だから」


 リッタの独り言に対し、後ろでご飯支度をしながらアルドが答えた。食卓には店主がくれた2人分の小料理が並んでいる。


 アルドは酒場の手伝いを終えた後、リッタの家に泊めてもらうことになった。

 リッタを含め家族3人が暮らす家の中はやや広く、石造りの床、かまど付きの台所、木造家具の数々が落ち着いた雰囲気をかもしている。両親は遠方へ漁に行っており当分は帰らない。



「酒場の方、大変そうだな」


 食事中にもしきりに外を気にするリッタに、アルドがそっと声をかける。


「……外との交流がなくなってしまい、寂しくなったと店主マスターさんは言ってました」


「らしいな。オレもそう聞いてる」


「魔獣達の侵攻がなければもっと忙しいそうですが……想像もつきません」


 リッタは活気盛んな頃の酒場をよく知らない。自分とは無縁だった場所とはいえ、今まで気にかけなかったことを後悔する。


「その時はひょっとすると、夜でもオレ達の手が必要になるかもな」


 そう言ってアルドは笑った。

 小料理の鮮魚をつまむ様につられて、リッタも箸を進める。口当たりのいい魚に程よい塩分が合わさり、あっさりとした味が口の中に蕩けていく。リンデの海で獲れる魚介の味は昔から好きだった。


 ――いつか魔獣族との争いがなくなれば、また港町の活発な姿を見られるだろうか。

 想像を膨らませるリッタだったが、口にするのははばかられた。叶う保証のない未来を軽率に言うことは、酷なように思えたからだ。


「……それで、アルドさん。話って何ですか?」


 ふと思い出したように本題を切り出す。


 アルドは食事の手を止め、同じく今思い出した様子で微笑む。それから懐をまさぐると透明な液体が入った小瓶を2つ取り出し、てのひらに乗せて差し出してみせた。


「頼まれていたビットマグナム、採ってきたんだ」


「……え!?」


 瞬間、リッタが勢いよく立ち上がった。取り皿をひっくり返しそうになるのをアルドが慌てて支える。


 先に決めた通り、アルドはすぐに小瓶を渡すつもりはなかった。しかしリッタも同様で、すぐにビットマグナムへ手を伸ばそうとはしない。


「ど、どこで手に入れましたか?」


「……それは、」


 突然問い掛けられ、アルドは返答に窮した。

 未来へタイムスリップした先で採取したなどと、普通に説明したところで理解されるとは思えない。気の利いた誤魔化しを言うのが苦手なアルドだが、なんとか言葉を捻り出そうとした。


「それは、気にしなくていいことだろ。これだけの量があれば、そもそもまた採りに行く必要は……」


、ですよね」


 アルドは耳を疑った。

 適当にはぐらかしたにも関わらず、彼女の口からは妙に具体的な年数までもが告げられた。


 驚いて顔を上げるアルドに対し、リッタも座り直して前を向く。その両目は信じられないと言いたげに見開かれていた。


「アルドさん、あなたは800年後の未来へ行けるんですよね?」

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