第二話 紋が飛んだ
シナモン文鳥の雛を迎えた勇二郎夫妻は、その育児にとりかかった。小鳥店のおじさんによると、初日は環境が変わって食べないかも知れない、とのことであったが、夜の九時頃、初の挿し餌(給餌)をしてみることにした。
まずは、餌の作成にとりかかる。まだ自力で餌をとれない雛には、人間でいうところの離乳食を作って、与えなければならない。雛と共に購入してきた粟玉を湯にとき、温める。粟玉とは、粟の殻を剥いて卵の黄身で和え、軽く炒ったものである。その直径一ミリメートルほどの小粒の穀類を湯で温め、店主に薦められたドイツ製のビタミン剤、米国製の栄養剤、青菜の粉を入れて、かきまぜた。それを文鳥専用のスポイトで雛に与えるのである。
勇二郎が給餌を試みるも、やはり移動と見知らぬ家に来たことによる疲れと緊張であろう、雛は食べようとしない。勇二郎と江里奈は、雛をプラスチック製の飼育箱に戻し、温度を確認して、その日はそのまま寝かせることにした。勇二郎の子供の頃は一般的ではなかったが、今は、温度を保つサーモスタットという電子機器がある。便利な時代になったものだ、と勇二郎は思った。
翌日の朝、再び餌を作った。一度作った餌は、すぐに傷んでしまうため、給餌のたびに作らなければならない。雛を手に乗せ、勇二郎が餌を入れたスポイトを近づけると雛が口を開けた。勇二郎は、スポイトの先を雛の口に入れ、餌を流し込んだ。「食べた!」江里奈が喜んで叫んだ。勇二郎もほっとして、胸をなでおろした。
以降、三~四時間おきに、給餌を行う日々が続いた。初めはおそるおそるだった江里奈も給餌を上手に行えるようになった。彼女は、表紙に『もんちゃん(もんじろう)』と書いたノートを作り、給餌をした時刻とその時に測った体重、フンの数や色を記録していった。また、雛を見て気づいた様子があれば、それもマメに書き込んでいった。
彼女は偉いな、勇二郎は思った。この成長日記があれば、成長が順調か見ていけるし、異変があれば気づくこともできる。シナモン文鳥の雛『紋』は、小鳥店主や勇二郎が危惧していた通り、体重が軽く、食が細かった。スポイトから食べないときは指でつまんで一粒、一粒ごと食べさせると、雛は口を開けてそれを食べてくれた。
そうした日々を二週間ほど続けた頃、彼らは、粟玉を飼育箱に入れ、給餌の回数を少しずつ減らしていくことにした。一人で餌を食べられるようにしていくためである。紋ちゃんは、粟玉をつつき、少しずつ食べられるようになった。
体重が減っていないか確認しながら、給餌を一日二回にした頃である。紋は、羽をばたつかせると体を浮き上がらせた。彼女(あるいは彼)の初飛行である。勇二郎は急いで追っかけて、落下する雛を手で受け止めた。
まだうまく飛べないようであるが、夫婦はこの出来事を大いに喜んだ。江里奈は、成長日記に、『もんちゃん、初飛行』と記載した。
まだ油断はできないが、これなら大丈夫だろう、勇二郎はそう思った。
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