第四話 長い長い時を超えて

 入社して、四年目に入ろうという頃には、ようやっと、勇二郎も仕事に慣れ、少し余裕をもって業務に取り組めるようになっていた。ミスや遅延は当初に比べると、だいぶ減ってはきたものの、人の話を聞いた先から、脳から情報がこぼれおちていく・・・などのADHD特性は治るものではないから、相変わらず、メモを取りまくることなどの工夫でカバーし―――そのメモをどこに書いたのかを忘れてしまい、メモした意味がないことも起こるが―――、新入社員時代ほどに気張らなくても、日々の業務をこなせるようになっていた。また、ADHDの人は、短期的な記憶の保持はできないが、長期記憶には問題がなく、むしろ、定型者(健常者)よりも優れている場合もある。覚えるまで人より時間がかかるが、真剣に覚えた仕事は忘れなかった。


 周囲の社員が勇二郎の癖に、すっかりと慣れて、フォロー、カバーしてくれるお陰でもあった。(これが、転職するとそうはいかないことになるのは、後の勇二郎は、身をもって思い知ることになるのであるが。)


 仕事に余裕が出てくると、一人暮らしは寂しくなる時もある。そんなとき、勇二郎は幼少時に買っていた桜文鳥『勇太』のことを思い出す。ペットショップや小鳥屋に足を運ぶこともあった。朝早く、夜も遅い一人暮らしの彼では、飼えないなあと思うのだが、特に雛が出るシーズンはつい店を覗いてしまう。


 昔は流行した文鳥も、今は廃れてしまい、あまり見れる機会が少なくなっているので、見つけたときは嬉しい気持ちになる。


 春先、池袋まで買い物に出た勇二郎が、いつものように小鳥専門店に行ってみると、文鳥の雛が入荷されていた。元気よく、餌をねだって鳴いている声が聞こえる。その雛たちに近づくと、腰をかがめて、先に雛たちを眺めていた一人の女性の後ろ姿が目に入った。


 なんとなく親しみを感じ、つい、その女性に話しかけてしまう。彼は、営業で鍛えられたお陰で、ずいぶんと他人に話しかけやすい性格になっていた。

「最近、見なくなりましたよねー。昔はたくさんいたのに。あ、ここのお店、いいお店ですよ。店主さんと娘さんが、愛情持って大事に育てているから、体の丈夫な雛が多いと思いますよ。」


 その女性は、声をいきなりかけられて、少しびっくりした様子で立ち上がって、勇二郎に会釈をした。


勇二郎は、彼女のその様子を見て、非礼を詫びる。

「あ、すみません。唐突に話しかけてしまって。失礼とは思ったんですけど、つい嬉しくなってしまって―――」


 言い終える前に、二人は気づいた。目の前に立っている彼、彼女が誰であるかに。その一瞬、時が止まったような気がした―――――――――


「え・・・江里奈。江里ちゃん」

「ゆ・・・勇二郎。勇ちゃん」


 二人で同時に声を出してしまう。そのせいで相手の声は、はっきりとは聞き取れなかったが、お互いに名前を呼び合ったことだけは、分かった。


「ど、ど、どうして、ここに・・・」

「わ、わたしは、ぶ、文鳥さんの雛を見に・・・」


 お互いに気が動転して会話にならない。勇二郎は、お茶でも飲まないか、と江里奈を誘った。


 *****************************


 喫茶店にて話す二人。


 江里奈は、奄美の高校を出た後、東京の女子短大に行き、奄美に帰って今は旅行代理店に勤めているが、出張で東京に来たこと、勇二郎は大阪の大学に行き、今は東京で働いていることなど、互いの現状が呑み込めてくる。そして、親戚のこと、昔の友人が今どうしてるのかなど、いくつかの情報交換をしていく。懐かしい。当時の風景が、目の前によみがえってくるようだ。


 彼女の前髪は、少しすいた感じで眉の上で切り揃えられており、横の髪が肩に軽くかかるヘアスタイルは、小さめの童顔にかわいらしい瞳を載せた江里奈の顔によく似合っていた。小さい時についた額の古傷は残っているだろうから、それを隠すための髪型でもあるのだろうか。勇二郎の心がチクっと痛んだ。


「江里奈、おかっぱ頭、やっぱり良く似合うね。」

「やあね。これボブのつもりなんだけど」

「そうかなあ。全然、イメージ、変わってないよ。―――――あ、いやいや、いい意味でだよ」

「んー。お子ちゃまには分かりませんよ」

 江里奈は頬をぷうっと膨らませて、いたずらっぽく軽く睨んできた。それは、勇二郎が遠い昔、小学六年生のあの季節、よく慣れ親しんだ彼女特有の仕草そのものだった。


 彼女が人伝えに聞いたところによると、智恵は、いったん就職したものの、今はとある大学の研究所に入り、マグロの養殖方法を研究しているらしい。逞しい海の男にまじって働く、智恵の姿が勇二郎には容易に想像できた。「智恵らしいよね」と言って、二人で笑い合う。時間が経つのも忘れて、彼らは話を続けた。


 けれども・・・。お互いに、おそらく気持ちは同じであったことだろうが、肝心な話題にはなかなか触れられるものではない。


 江里奈は思う。勇二郎も、もういい年だし、結婚くらいしてるよね。お子さんもいたりして。でも、どうやって聞こう。勇二郎、今ひとり?違うな、久しぶりに会ったのに、なんか、ぶしつけとか図々しいとか、思われたくないし。やっぱり失礼よね。でも、やっぱり聞きたい。勇ちゃんはわたしの青春だったんだもの。初めて好きになった人で、わたしの全てだった。後にも先にも勇ちゃんほど好きになった人は現れなかった。


 勇二郎も思う。江里奈、本当に変わってないな。大人びて綺麗になったけど、昔の面影はそのままだ。そのまっすぐな眼差しが俺は大好きだったんだ。でも、もう遅いよな・・・。こういうとき、なんて聞けばいいんだ?好きな人いるの?いやいや、それじゃ高校生だろ。しかも、久しぶりに会う相手に対し、ぶしつけに聞いてよい質問でもなかろう。


「あの・・・」


 また、二人の声がかぶる。勇二郎が言う。「あ、お先にどうぞ」

 江里奈も返す。「勇ちゃんこそ、お先に」


「そうだな、ここは、レディーファーストで」

「勇ちゃん、なんかずるーい。」


 江里奈が笑った。それを見た勇二郎の胸は感動で、じんと熱くなった。この顔なんだ。俺がずっとずっと見たかったのは江里奈のこの笑顔だったんだ。


 江里奈が口を開く。

「勇ちゃん、今週末、忙しい?またお話ししたいな。わたし、来週の火曜日まで、この近くに泊まってるの」

「ガラ空きだよ。サンシャインの水族館は行った?それかお台場にでも行く?」


 -----こうして、長い長い時を超え、二人は再び巡り合ったのであった。


 それから、二人が失われた時間を取り戻し、再び結ばれるまでに、多くの季節を必要とはしなかった。


 彼らは、その半年の後、佐藤勇二郎・佐藤江里奈、となる。

 共に二九歳の初秋を迎えた頃であった。

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