第三話 ADHDとサラリーマン生活

 平成十年四月。勇二郎は大学を卒業し、新卒入社した。既に日本はバブル崩壊を起こして数年が経った頃のことであり、第三志望の企業であったが、就職できただけでも幸運であった。同じ学部の同級生には、職にありつけなかった者もいる。彼は、営業職としてサラリーマン人生をスタートさせることになる。本当は、事務か経理系の職種を希望していた。


 最終面接の際、常務から「君は、営業には興味はありますか?」と質問があった。勇二郎は思う。自分は、正直なところ、興味もないし、機転も利かない。人との折衝、交渉などできそうもない。しかし、新卒が就職活動を行う際、この手の質問をされた場合には定番の答えがある。彼はそれに従い、マニュアル通りに答えた。

「興味はありますが、まずはいろいろなことを学ばないと、お客様に説明もできませんので、少なくとも三年間は別の職種に就きたいです」

 そのときに、ほぼ彼の進路は決まっていたのかも知れない。

 正式採用時に営業職を拝命し、さらに、勤務地は東京となった。中学時代から過ごし、ようやく住み慣れた大阪を離れ、一人暮らしを始めた。


 彼は、職種や勤務地に文句を言えるような立場ではない、と思った。脇目もふらず働いた。しかし、やはり何一つうまくいかない。ひたすら周囲から怒られる毎日。ADHD特性は、特に会社員生活においては、最大限に発揮される。学生の頃も自分の特性に難儀していたが彼だが、過去にしてきた苦労は、今の社会人生活のものに比べると、かわいいものだった。


 時間の管理ができないため会議には遅れる。頼まれた仕事の存在そのものを忘れる。期限ぎりぎりまで手をつけず慌ててやっつけ仕事をするものの、数日遅れ、しかも土日に提出したりする。コピー機に出力した機密書類を出力し終わった頃には忘れてしまい、置きっぱなしにする。金額の計算ミス、ささいな事務処理ミスは数えきれないほど。忘れ物、失くし物も多発。電話しながらだとメモがうまくとれない。メモを取っている間、相手の話を聞くことができない。指示された仕事のスケジュール、段取りがうまく立てられない。朝、目覚めが悪く、特に午前中の処理能力は低かった。


 怒られた後、やり直したらできることもあり、「できるのに何でやらないんだ!」と怠けているような誤解まで与えてしまう。


 そうして、一日の仕事を終え、帰宅すると、彼は心の中で呟きながら、自室で一人、酒を飲むのであった。

『畜生、くっそー!!』、『この野郎!』、『今に見てろよ!』

 誰に向かっての言葉なのか――。会社の人たちに言っている訳ではなかった。

 自分自身に対しての怒りであったのだ。

 美穂子との件を境に、彼は、闘志むき出しの性格へと変貌していた。

 この怒りと闘志を原動力として、彼は、少しずつ仕事を覚えていった。


 帰宅は、軽く夜十時を回る。日付をまたぎ、タクシーで帰宅する日もあった。彼の特性に由来するところもあるのだが、部屋の掃除は、月に一度程度くらいしかすることができないほど、多忙を極めた。

 

 美穂子との情事が頭にちらつくこともある。しかし、すぐにそれを打ち消す。元恋人とのことを表現するのに、『情事』という単語は、適切ではないだろう。が、勇二郎にはどうしても他の表現を思いつくことはできなかった。あの子は、一体なんだったんだろう。彼女の性(さが)は、持って生まれたものだ。今もどこかで、同じことを繰り返しているんだろうな、勇二郎はそう思う。いや、正確には、彼はそのように思い込もうとした。


 床につくと、江里奈の丸顔とくりくりっと動く大きな目、中里のポニーテールをたなびかせて走る美しい姿や、あの夜道で星を見上げて語り合った美しい思い出が眼に浮かんでくる。すると、「明日もがんばろう」と前向きになれた。


 これまでの学業における経験から、他人の話は---定型者(発達障害を持たない健常者)ならばすぐに理解できる指示、覚えられるスケジュール---であっても、全てその場でメモをとった。人によっては奇異な光景に見えるかも知れない。指示や依頼をした後に、嫌味な口調で、「お得意のメモ帳にしっかり書いとけよ」というようなことをいう人もいたが、次第に、部署の人は勇二郎のことを認め、褒めてくれるようになった。

「お前は、びっくりするほど何でもメモをとって、期日を忘れずに仕事してくれるようになった。ギリギリまで手をつけないから、見てると冷や冷やするが、最終的には帳尻を合わせてくれるから安心できるようになったよ。本当にギリギリだけどな」


 複数の仕事を抱えると優先順位をつけることが困難になり、期日に間に合わせるための計画を立てることが困難、かつ、引き伸ばし癖がある、というADHD特有の性質を持っている勇二郎ではあったが、ひたすらメモを取り、それを後でじっくりと確認することで、なんとか社会生活を乗り切ることができるようになっていった。いつも、どこに行くにも---プライベートの外出時でさえ、仕事のことを何か思い出したり、思いついたりしたらメモできるように---、大きめとも言えるA五サイズの手帳を持ち歩いていた。その手帳は、開くと、走り書きのメモで埋め尽くされ、真っ黒になっていた。


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 あんなこと、そんなこと・・・。勇二郎は、いろいろなトラブルを起こした。しかし、入社して三年経った頃には―――。業績が上がり始めた。先輩たちが、一日に一件か二件客先訪問する間、彼は一日に五件以上の客先を訪問したりするのだ。訪問したら、次のアクションに向けて提案資料などを作らなければならないので、三件も訪問すると、オーバーフローする業務内容であったにも関わらず。彼は、何かエンジンに火がついてしまったように、あくせくと行動をし続けた。それに結果がついてきたのである。


 しかし---。多くの会社組織の中では、人は安定した出力を求められる。ある日、異常に頑張って、二百パーセントの成果を出したとしても、次の日に六十パーセントでは具合の悪いことが多いのだ。こういう人は、組織側から見ると、とても扱いにくい。業務の計画が立てられないからだ。ADHDの人が、『過集中』と『虚脱』をうまく活用して、学生生活までは乗り切れたとしても、社会に適応しにくいのは、こんなところにも原因があったりする。


 勇二郎の場合も、確かに時折、大きな成果を上げる。しかし、オーバーフローしてしまった――過集中後の虚脱が訪れた――状態の勇二郎は、何の役にも立たない。そうであるなら、自らをオーバーフローしないようにコントロールすればいいのだが、特性上、それもなかなか難しい。この点を会社に見逃してもらえた部分は、大きかった。新人だから大目に見てもらえた部分もあろう。そして、勇二郎の懸命な姿を間近で見ていると、次第に周囲も何も言えなくなり、むしろ応援者も増えて行った。業績的にも、毎月毎月の業績は凸凹なのだが、通年で見ると、予算を達成することが多くなってきたのだ。


 彼は、自分の欠点――組織の歯車としては大きな欠点だ、と勇二郎は思うのだ――を努力と工夫で乗り切り、新卒入社した会社を二十年近くの間、勤め上げた。その間、彼を理解してくれる応援者は社内にはいたものの、敵も作った。


 よく生きてこられたなあ、と、後に勇二郎は自分の特性を把握してから、この時期を振り返っては、思うのである。

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