第三話 優等生の憂鬱と勇気の神

 中学生活最後の正月を終え、二月になった。いよいよ来月は受験である。そんな真冬の時期のある日、塾からの帰り道、踏み切り待ちをしていると、憧れの中里好美と一緒になった。話しかけるには勇気がなく、しばらくの間、黙っていると彼女の方から、話しかけてきた。


「佐藤、いつも夜遅くまでがんばってるね。調子どう?」

「なんとか。受かるかどうか、ギリギリだよ。でも、絶対、受かってやるって思って頑張ってるんだ。あの高校にどうしても行きたいんだ」

「お互い、受かるといいね。」


 勇二郎と彼女は、志望校が同じであった。彼女は当然Aランクであろうが、勇二郎も最後の追い込みで合格判定Bランクになっていた。踏み切りが開いたが、二人ともなんとなくの成り行きで、自転車には乗らず、そのまましばらく並んで歩き続けた。


 再び、中里が綺麗な真っ白な息を吐きながら、少し彼の顔を覗き込むようにして、話しかけてきた。

「佐藤って、普段なにやってるの?」

「普段って?」


「あ、ほら。勉強と部活動以外の時間とか。あ、今は部活やってないか。剣道部だったよね、佐藤は。でも、土日とか、空いている時間もあるでしょう?」

「と、鳥の世話してる」


「鳥?文鳥とかインコとか?」

「うん。妹たちはインコの世話してるけど、俺は文鳥と遊んでるんよ」

「文鳥なら、わたしも子供の頃、飼ってたよ。流行ってたもんねー。かわいいよね。白い方?黒い方?」

 勇二郎は、すっかり嬉しくなってしまった。


「そう言えばさ、中里って、なんでもできて、いいなあ」

 気が動転している勇二郎は思わず、口を滑らして、全然関係ないことを言ってしまう。本当は、いつもいつも彼女に憧れていて、かっこいい、とか、素敵だ、というような気持ちを持っていたのだが、うまくその気持ちを表現できなかった。そして、この『いいなあ』が、彼女の地雷を踏みつける。


「よくなんかないわよ。できちゃうことが、できちゃっただけよ。」

 彼女は、少し怒った口調でそう返してきた。


 勇二郎が、言葉を返せないまましばらく黙っていると、彼女は話を続けた。

「何かができることと、それがやりたいことかどうかってのは別の話よ。部活でもさあ、わたし、バレー部なのに、他の部の顧問から呼ばれて、走らさられたり、バスケをやらされたりして、大変だったんだから。そのせいで、陸上部の子から嫌がらせはされるわ、バスケ部になんて、わたしがいれば勝てるんだから頑張らなくっていいよね、なんて言われてチームワークを崩してしまったり・・・。


 ・・・で、ようやく、自分の部に帰ってくると、今度は自分の部でさえも、チームメイトから、努力しなくていい人はええなあ、みたいなことを言われたり。直接、嫌味を言われることが、たびたびあるくらいなんだから、陰口を含めると、相当、わたし、嫌われていると思うよ。女の子の嫉妬って、すごいんだから。わたし、中学で親友なんて一人もできなかったし、一緒にトイレに行く友達でさえ、一人もいないんだ。もっとも、連れ立ってトイレに行く女子達の輪に入りたいと思っている訳でもないんだけど。」


 そんな苦労があったんだ・・・。できる子はできる子で、大変な思いもするもんだなあ、と勇二郎は思った。そう言えば、中学に上がってからは中里が、昔のあだ名の『このみ』で呼ばれるのを聞いたことがない。彼女も寂しい思いをしたのだろうか。しかし一方で勇二郎は、彼女の本音を聞け、少し距離が近づいたような気がして、また嬉しくもなってしまった。


「なに、ニヤニヤしてんのん?人が苦労話してんのに」

「ち、ちがう・・・ごめん。」


 少し愚痴を言ってすっきりしたのか、彼女の怒りは既に収まっていた。


「あ、見て。」

 中里が空を指さす。少し見上げたその位置に、オリオン座があった。その日、ひときわ目立って、大きく見えた。

「わたし、冬は大好きなの。特にオリオン座を見ると元気が出る。落ち込んでるときにあれが見えたら、なんだか、がんばれ、がんばれ、って応援してくれてるような気がするんだ。そしたら、たいていのことが、なんのこれしき、もっと頑張らなくっちゃって、勇気が湧いてくるの。」


 勇二郎は、彼女に言われた通り、空を見上げた。確かに、その星座の姿は、夜空の中でもとびきり雄大で、まるで、二人にエールを送ってくれているようだ。なんだか本当に力が湧いてくるような気がする。


 彼女は、オリオン座の話を続けた。

「オリオンはね、最も力の強い巨神で、海の上さえも歩くことができて、神々の中では最強なのよ。だから、その力を分けてもらうの。でもね、オリオンは、油断して小さな小さなサソリに刺されて死んじゃうの。油断大敵ってことよね。勇気ももらえて、そんなことまで教えてくれるなんて、素敵だと思わない?」


 勇二郎は、小学生の頃、小さなハブ貝に刺されて、九死に一生を得たことを思い出した。それを彼女に話してみようかと思ったが、どう言えばいいか、分からなかった。そもそも、俺、オリオンみたいに強い人じゃないし・・・。


 彼女の説明は続く。

「古代中国の四神って知ってる?北の守り神『玄武』、東には『青竜』、南は『朱雀』、そして、西を守っているのがあのオリオンで、『白虎』と呼ばれるのよ。つまりね、オリオン座は、わたしたち西日本の人たちの守り神なのよ。それからね、あの星とあの星を結んでみて。三角形ができるでしょう?あれは、冬の大三角って言ってね・・・」


 勇二郎は、楽しそうに自分の好きな話を続ける中里の顔に見惚れており、もう、彼女の話は耳に入ってこなかった。


 中里は、もう一度、オリオン座を、キッと見つめなおした。

「わたしたち、きっと受かるわよ。佐藤も、絶対大丈夫。あと少しだ。がんばろうね!話、聞いてくれてありがとう」

 そう言うなり、彼女はマフラーを巻き直し、自転車を漕いで、颯爽と去っていった。


 勇二郎は、彼女が立ち去った後も、その場に立ちつくした。そのまま、ずいぶん長いこと、オリオン座を見つめていた。

 なんだか、本当に、こんな自分にも何かいいことが起こりそうな気がしてきた。燃えてきた。

「よし、頑張ろう。やってやる!」

 一人呟くと、自転車にまたがり、家に向かって漕ぎだした。精神が高揚して、意味もなく、立ち漕ぎをする。「うおーっ」と人目もはばからず、叫んでしまう。段差を乗り越えるときなどバランスを崩し、転びそうになったほどである。


 家に帰ると、妹が「お兄ちゃん、そんなに息きらしてどうしたん?それに、何ニヤニヤしてんのん。なんかエロい顔になってんで。お風呂、沸いてるよ」と言ってきたが、相手にせず、すぐ自室に飛び込み、塾のテキストを開いた勇二郎であった。

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