第四話 父母の秘策
さて、中学校に晴れて入学した勇二郎。彼は、意外にも早く、クラスに馴染んでいった。まずは周囲の同級生と会話を交わすようになり、そのうちクラス全体とも面識が出来ていき、級友と呼べる者も出てきた。この頃には、以前、彼を小学校から遠ざけた要因の一つである小児喘息の発作もほとんど起こらなくなり、普通に学校に通えるようになっていた。
中学一年生のクラスというものは、複数の小学校から集まってきた生徒で新たに形成される集団であるため、勇二郎のような発達障害を持つ者にとっては、途中編入ではなく、入学時から席を置くことができたのは幸いな部分もあったようだ。六年生の後半に転入してきた小学生のときと比べると、そこは、無理をしてクラス内のどこかの輪に入る必要もない空間で、元々知らない者同士が、いきなりの集団生活を始める場であったため、居心地もさほど悪くなく、割と自然に友人の輪ができていった。
ときに相手の言葉をさえぎったり、我を通そうとする特性が出てしまう勇二郎だったが、こう言ったり、こうすれば、相手はこういう反応をするんだな、ということを少しずつ学んでいくことができるようにもなってきた。また、級友が興味を持っているマンガやプロ野球などを知るようにし、話題についていこうと努力した。その代わり、小学生の頃のように図書館から本を借りて読むことはなくなった。
人間関係については、なんとかやって行けそうだ。問題は学業であった。
内地に帰ってきてから、ついた癖――手足の爪を引きちぎったり、シャーペンの先端で指先を穿る―――悪癖ではあるが、このおかげで衝動を抑えることはだいぶコントロールできるようになっていき、十五分程度ならばしっかり話を聞いて、ノートもなんとか取ることもできるようになってはいたが・・・。
しかし、それでも級友に比べると全然及ばない。一学期が終わり、もらった通知表は、五段階評価で、体育と音楽が一、他は二がずらっと並ぶ、見事なものだった。
おおらかな母は、それまで勉強について口を出したり、成績のことで勇二郎を叱ることはなかったものの、「こんなに通信簿が『あひるさん』ばかりでは、困りますね」と言い、やはり息子の先行きが心配にならざるを得ず、父にもどうしたものか、と相談をし、夫妻は、解決策を模索した。
母は、考えたあげく、各科目のノートを一冊にしてはどうか、と勇二郎に提案した。他の子供と同じように、各教科ごとに一冊ずつノートを買って与えたのだが、彼は相変わらず教科書、ノートの類を忘れる常習犯であり、母の目からは、まともにノートが取れている教科は一科目もないように見えたのである。
息子の了承を得た彼女は、学校には、教科書と一冊のノートだけ持たせることとし、走り書きでも汚い字でも何でもいいから、とにかく板書と先生の言ったことを、どんなことでもいいから、できるだけ多く書き取るように玄太にアドバイスした。これならば、さほど集中力も使わない作業になり、彼は授業に飽きても、ノートを書き続けることだけはできるようになった。
言われていることが理解できていてもそうでなくても、ノートだけは取るようにしたのである。母はそうと知って思いついた作戦ではなかった―――当時まだADHDは知られていなかった―――。勇二郎の脳内のワーキングメモリーは、人より極端に小さい。短期記憶ができないのだ。聞いた話がぽろぽろと頭の中からこぼれていき、数秒前に聞いた話でさえ、話が続くともう覚えていない。読んだ内容や書いた内容は、それほどでもないのであるが、特に、聞いた話は、あたかも揮発性の液体のように、彼の脳内から消えていく。そうした彼の特性には、どうやら、この方法は合っていたようである。
持参物が少ないと、忘れ物も少なくなる。何を忘れても、ノートだけは絶対忘れないようにした。字が大きくなったり、小さくなったり、殴り書きのところも多く、とても他人が読めたしろものではなかったが、彼にとっては大きな前進と言えた。
次に母は、そのノートに書いてあることを、自宅で、自分なりに理解しながら、別のノートに清書をすることを薦めた。言われてしばらくの間は実行できたように見えたが、部活動を終え、夕食をとった勇二郎は眠たくて仕方がなく、次第にできない日の方が多くなってきた。いったんは机に向かうのだが、彼を追って飛んできた愛鳥『勇太』を肩に留めたまま、机に突っ伏して、居眠りをするのである。桜文鳥『勇太』は、勇二郎の近くにいるだけで、それはそれは嬉しいのだが、やはり、構って欲しいし、いたずらもしたくなる。彼が、すやすやと居眠りしている手の上でさえずったり、勇二郎の周りをピョンピョンと跳ね回り、彼の顔を覗き込む。時には勇二郎の耳や指先をつついてみるのだが、勇二郎がそれで起きることは、なかった。たまに無理して、夜に勉強すると、今度は、朝、起きられなくなる。ADHDには、朝を苦手とするタイプが見られる。
そこで今度は、父のアイデアで助けが入った。夕食をとったら風呂と歯磨きだけは済ませ、寝かせるようにしたのである。どのみち夕食後は眠くてたまらない彼であったので、自室を消灯されるとすぐに寝息を立て始める。そして、夜中の三時頃、父に起こされて、朝までノートを清書して勉強をすることになったのだ。父はただ見ていたり、新聞を読んでいたりしていることが多かった。勇二郎に質問されると、教えてやることもあったが、ともかく、勇二郎につきあうようにした。勇二郎は、勇太と
遊ぶのは、朝、登校前の三十分程度とした。文鳥は、飼い主の生活をよく見ている。勇太は、生活の変化に初めは戸惑ったものの、すぐに慣れた。これまでには見られなかった、朝にシャキッとした勇二郎と楽しく遊び、勇二郎が登校する時間になると、自分から鳥籠---彼にとっては、自分の家である---に、戻るようになった。
しかし、仕事を持つ父にとっては、なかなかの大仕事であった。最初の方こそ、息子の時間管理をしていたが、軌道にのったら、彼自身に任せるつもりでいた。そうして、勇二郎は中学二年に上がるころには、自分で目覚ましをセットして、夜中に起き、朝まで勉強できるようになった。成果もついてきた。通知表に四がつく科目も出て、やりがいも感じるようになったようである。自発的に勉強に取り組むようになり、ようやっと、父も普段の生活に戻ることができた。
勇二郎は、おそらくADHD持ちの中でも、とびきり朝の目覚めが悪い方であり、この生活スタイルを採用する以前では、朝食中に箸を握ったままの姿で、無意識に寝てしまうほどであった。彼にとっては、この朝の問題も解決できる一石二鳥の良い作戦であったようだ。
このような生活は、いずれ来たる高校受験まで続くことになる。
勇二郎の場合、父母の作戦が功を成したようである。しかし、ADHDだからといって、一括りにすることは、できないだろう。同じ系統の発達障害者であっても、ひとによって、持っている特性も異なるし、その程度(特性の強さ)についても個人差がある。そこで、発達障害者に対しては、各自に合った生活スタイルと勉強法、仕事法を模索することが肝要と思われる。
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