第三話 桜の咲く入学式

 昭和六十年四月。勇二郎は、中学に上がる。彼と父母は、入学式に出席するため、学校に赴いた。自宅より徒歩で二十分程度の距離を歩いただろうか、正門に辿り着いた。すると、門の脇には、髪を短く刈り上げたジャージ姿の体格の良い一人の男が立っている。彼は、門を通過する生徒を呼び止めては、男子生徒の頭に手を当てたり、女子生徒に対しては地面からスカートまでの距離を測ったりしていた。勇二郎たちは、その男に呼び止められることもなく、門を通過した。勇二郎は不思議に思い、両親に聞く。

「あの人、何をしていたの?」

「男の子の髪の長さをチェックしているのさ。指先から髪が出たら怒られるらしいぞ。女の子に対してはスカートの丈が長すぎないかを測っている。何年か前まで、この学校では校内での暴力事件が多くて、校則が厳しくなったんだって。あの人は、校則違反の生徒を指導する先生じゃないかな」

 そう、父が答えた。


 勇二郎は、数日前に父にバリカンで丸刈りにされた自分の頭をなでて、ふーん、と妙に納得したような顔つきをした。最近、再放送されているテレビドラマのいくつかでは、散々なシーンが放映されているのを思い出したのだ。中学生がバイクを乗り回して学校に乗り込んだり、シンナーを吸って暴れる。教師に暴力をふるう。校舎の窓ガラスを割って火を放つ。女子トイレ内では、殴る、蹴る、バケツで水をかける、しまいには、煙草の火を皮膚に押し付ける・・・といった数々の暴行がドラマの中では描かれていた。


 父は、黙り込んだ勇二郎の気持ちを察してか、言葉を付け加えた。

「今は、あまり酷いことはないそうだが、気をつけるんだぞ。されて嫌なことはきちんと言い返しなさい。男の子なんだから、負けたらいかん。それでも何かされるようなら、お父さんとお母さんに相談しなさい。あと、先輩後輩の上下関係は厳しいから、先輩には敬語を使うんだぞ。」

 勇二郎は、自分の髪のあちこちに指を入れて長さチェックをしながら、「分かった」とだけ、父に答えた。初めての丸刈りは、触り心地がよかった。


 入学式は滞りなくあっさりと終わり、彼らは桜の木の下で記念撮影をした。桜を探しては両親は写真を撮りたがるが、勇二郎には、その意味が分からない。たしかにそのピンク色は見事なものだが、それほど美しい花とも思えない。しかも、綺麗だね、と言いつつも、皆で落ちた花を踏みつぶしながら歩いていく。染井吉野のない沖縄育ちの彼には、とても奇妙な行事に見えた。テレビでその光景を見たことがあったが、自分で体験してみて、改めて不思議に思い、何故こんなことをするのか父母にも聞いたが、彼らも答えに窮してしまい、納得できる答えは得られなかった。


 桜からもたらされる和的な情緒を、勇二郎が解するようになるには、ずいぶん後になってからのことである。言語化するならば、わびさびの一部として育まれきた文化であり、多くの日本人は桜から人生の儚さを感じるのだ、というような表現にでもなるのだろうが、どのように説明されようと、その時の勇二郎には理解できなかったであろう。


 部活では、剣道部に入った。体育の授業に出た経験が少ない勇二郎は、世の中にどんなスポーツがあるのかをよく知らなかった。自分の苦手なことが多い雄二郎は、少しでも苦手なものを克服したかったので、何か新しい部活を、と思ったのではあるが、どの部も何をするものなのかよく分からなかったため、小学校時代にやっていた剣道を引き続きやることにした。


 クラスでは、苗字の五十音順で並べられた席順が割り振られ、まずは各自、周りの席に座った者同士で会話をするようになり、仲良くなっていった。勇二郎も周りから話しかけられているうちに、少しずつ打ち解けていった。


 彼にバスケを教えてくれた中里好美も同じクラスにいたが、男子は男子同士、女子は女子同士で会話することが多く、あまり話すことはなかった。

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