第三話 最初で最後の潮干狩り
一方、智恵は智恵で、内地の中学校へ行くことを決めていた。海洋・水産系の学校だそうだ。彼女の母は、サイズ合わせのために、制服のサンプルを取り寄せた。それを着て、勇二郎の家に見せにきたことがある。
勇二郎の母は、「智恵、かっこいい!水兵さんみたいだね」と喜んでいた。言われてみると、智恵の初めて見るセーラー服姿は、彼女のがっしりとした体格によく映えた。母の言う通り、まるで、テレビで見たことのある外国の海軍兵のようだった。彼女はおどけて敬礼のポーズをして、皆を笑わせた。
智恵も江里奈も、それぞれ自分たちの新たな道に進もうとしていたが、勇二郎は、先のことなど何も考えていなかった。
そうした小学校生活最後の夏休みの初めの頃、母の発案で潮干狩りに行くことになった。サザエが採れるという話を聞いてきたらしい。自宅に飾れるような綺麗な貝も採れるそうだ。沖縄の人には、内地の人が思うほどには海遊びをする習慣がある訳ではない。水泳の授業も小学校では行われていなかったので、泳ごうとしない人も結構いる。
勇二郎たち三兄弟は、父に連れられて、海で泳ぎやシュノーケルの使い方を教わったが、そういう経験を持つ子供たちは稀れであっただろう。それはともかく、母は、智恵の一家を熱心に誘い、初の潮干狩りに行くことになった。
海に着くと、浜辺ではなくゴツゴツした磯場を選び、皆で宝物探しを始めた。大人たちは、サザエ、宝貝など、食べられるか装飾品になりそうなものを拾っていく。子供たちは、潮から取り残されたアメフラシやヒトデをつついてみたり、タイドプールをのぞき込んでは、青や黄色の小さな熱帯魚を観察したりと、それぞれ楽しんだ。勇二郎は、持参した虫取り網を使って、タツノオトシゴをつかまえ、皆に見せに行ったりした。
潮が引いたときに生成されるタイドプールは、雨上がりの後にできる水たまりに喩えて、『潮だまり』と訳されるが、中には広く、深いものもあった。自分たちが立っている足元の洞につながり、遠く離れた場所にできている別のタイドプールとつながっていたりする。子供が落水したら大変なことになるかもしれない。潮が満ちると海の一部となるそれは、水たまりにたとえるには少々言葉足らずで、一つの生態系、小宇宙を形成しており、子供たちをわくわくさせた。
基地が近いのだろう。時折、爆音を立てながら米軍の巨大な飛行機が頭上をかすめるように飛んでいく。機体からは、---離陸したばかりなのか、着陸するところなのかは、勇二郎には分からないが---、格納されていない車輪がはっきりと見てとれた。耳を塞ぎたくなるほどの大音量である。衝撃波と呼んでも良いかもしれない。飛行機の通過中は、隣の者と会話をすることも不可能になる。
そんな中、勇二郎は、岩場の小さな窪みの中に隠れていた奇妙な貝を見つける。オレンジ色に近い茶系統の色彩で、十センチメートルほどの高さをもつ円錐形状のその貝の表面には、白い筆でたくさんの山を描いたような模様がある。人が描いた絵のように実に見事な柄であった。勇二郎は、それを拾い上げ、しばらくの間、まじまじと見ていた。
「こんな貝は見たことがない。きっと宝物に違いない。なんて綺麗なんだろう。」
その貝の絵柄は、勇二郎に仙人や天上人が住むような世界を連想させた。
そして、二十メートルほど離れていた母たちに自慢げに声をかけた。すると、智恵の母が、「それダメー!!!」 と叫ぶや否や、大人たちが叫んで駆け寄ってくる。他にも何か叫んでいるが、勇二郎には聞きとれない。空を見上げると、車輪を出した早期警戒機がすぐ頭の上にあった。機体の上部に載っているレーダー機能をはたす巨大な円盤を見て、「変わった飛行機だなあ」と考えていると、指先にチクっとした軽いむず痒さのようなものを感じた。
勇二郎は、『ハブ貝』を拾い、それに刺されてしまったのだ。正式にはイモ貝というその肉食生物は、鋭い舌をもち、それを獲物に打ち込んで、致死性の猛毒を注入して捕食する。鋭利な舌の先端部は、獲物の肉に食い込んで離れないように、釣り針や銛についているアゴ(返し)のような構造になっている。別名『ハマナカー』とも呼ばれる。海で刺されて浜辺に辿り着いても、陸地に上がる前に浜の真ん中で死んでしまうという意味の名前を持つ、大変に危険な生物であったのである。
海での溺死などがあっても、この貝によるものかどうかが特定されずに、この貝による事故の頻度やその実態はよく分かっていない。ダイビング中にハブ貝に刺されても、仲間は潜水病と思い、そのまま死に至り、死因が解明されないこともあるそうだ。そのため、ニュースなどになることは少なかったので、勇二郎が知らなかったのも無理はない。
勇二郎の父母も初めて聞いたそうである。ハブへの注意は散々聞かされており、陸地では十分に注意していたのに、まさか海岸でハブにやられることになろうとは。
毒が回らないように智恵の父が勇二郎の腕をきつくしばっている間、智恵の母は傷口から毒を吸い出し、「早く救急車呼んできて!ハブ貝に刺されたって言って!!早く!!!」と勇二郎の父母に指示を出す。父母は、公衆電話を求めて走り去っていった。勇二郎はポカンとしていた。自覚症状はないのだ。一通りの応急処置を終えると智恵の父に抱え上げられ、浜辺を通り抜け、陸に上がる。彼らは、道路脇で勇二郎の父母と合流、救急車を手配済みであることを確認した。勇二郎は、路肩近くに寝かされた。
どれほどの時間、待ったのだろう。勇二郎は目がかすむのを感じた。救急車が到着した頃には何も見えなくなってしまい、意識を失くした。
病院では切開、酸素投与などの処置が施され、勇二郎は一命を取り留めた。その日のうちに意識は戻ってきた。頭がくらくらする。口には人工呼吸器が挿入されていた。長ければ一週間ほどの入院となることを聞かされた。
江里奈が沖縄を発つ二週間前ほどの出来事であった。
そして、勇二郎にとっても、まもなく大きな環境の変化が訪れることになる。
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