【第二部】第一話 南の島の合宿

 沖縄と言えば、台風の接近が多い。大人にとっては厄介なこの台風も、子供たちにとっては、長期休暇の時期以外であれば、大歓迎の子もいた。学校が休みになるので、日中に放送されるテレビを見たり---家庭にビデオデッキなどないから録画はできない時代---、自宅でできる趣味にいそしんだりと、普段はできないことができるからだ。学校の授業を受けることが困難な勇二郎にとっても、喜ばしいことだった。三兄弟で、桜文鳥『勇太』を始めとする多くの小鳥たちと家の中で遊んで過ごせるし、場合によっては、智恵や江里奈も泊まりにくるかもしれない。


 さて、勇二郎は、小学五年生に進級した。その年の夏休みのこと---。

 他の地区の子供会との合同企画で、県内の離島、渡嘉敷島へ二泊三日の勉強会に行くことが決まった。子ども自然の家と呼ばれる施設に泊まり、沖縄の歴史を勉強する、という主旨らしい。江里奈も候補者に選ばれたが彼女の家では、その日程中、台湾への家族旅行を計画していた。智恵も別行動。彼女は内地で用事があるらしい。どうやら勇二郎の所属する子供会では、参加できそうなのは彼一人になりそうだ。


 この時も大型台風が接近する可能性があり、さらにフィリピン海上沖では別の新たな台風が生まれたばかりであった。予報では、台風の足が遅く、勉強会の日程の間に、接近することはなさそうで、コースも外れそうである。本島と渡嘉敷島の海域に大きな影響を与える可能性は低いと思われた。


 子供会の役員である大人たちの間で協議もされたが、離島での勉強会は決行されることとあいなった。


 勇二郎の父はどちらかと言えば心配性で安全を好む傾向があった。父は母に対し、行かせるべきではないのではないか、と提言したものの、楽天家の母から、彼女にすっかりと馴染んだ沖縄の表現『大丈夫さ~』の一言で方針は決まり、勇二郎も参加できることになった。


 母によると、とりあえず渡嘉敷島に安全で行けるのは間違いないなさそうだし、大人もたくさんついているので、着いてさえしまえば、あとは何とでもなる、というのである。いい経験になるから、ぜひ行かせた方がいい、と父を押し切った。


 船に乗りこむ当日、勇二郎を港まで送っている途中、父の車が突然、路肩を踏み外し、道路脇の畑に落ちてしまった。


 父は公衆電話を探し、母に電話をかける。

「お母さん、大変だ。車が畑に落ちた。二人ともどこも打ってないし、体は大丈夫だが、嫌な予感がする」

「ケガしてへんのん?本当に大丈夫なん?車は動く?」

「どこも問題ないよ。ただ、勇二郎を行かせるなっていうことじゃないかと俺は思う」

「大丈夫、大丈夫。でーじないよ(沖縄弁;おおごとじゃないよ)。私もお祈りしておくから。勇二郎の体調も最近問題ないし、行かせてあげたってくれへん?」


 父は言葉を絞り出した。

「お母さん、もう俺は、自分の子供を亡くしたくないんだよ・・・」

 これには、母も黙り込んでしまい、父の判断に任せることにした。彼は、考えた末、結局、予定通り勇二郎を送り出すことにした。



 こうして、渡嘉敷島へ、子供約三十名に大人が数名同伴した形で、フェリーで渡った。しかし、父の予感はある意味、的中することになる。


 子供たちは、ほとんどみんな初対面同士であったが、初めての離島での合宿というイベントからくる高揚感から、船の上ですぐに親しくなった。勉強会では、定番の琉球王国時代と太平洋戦争の話が中心で、子供たちにとって目新しいものではなかったものの、それでも楽しい。(*)沖縄の小学校では、文部省の定める社会科とは別枠で、自分の住む市について学ぶ科目と沖縄史について学ぶ科目があった。テストなどはないが、郷土愛から力を入れて教鞭をとり、特に日米の行った沖縄戦について語るときは、内地に対しての複雑な思いを隠し切れなくなる教師もいた。


 初日の夕刻頃までは何事もなかったものの、入浴の時間に、ひと悶着が起こる。勇二郎の友人、信一郎も悩んでいたが、彼が米国人とのハーフであることから、日本人の子供のおちんちんとは色や形が違うのだ。内地出身の勇二郎のそれも、純粋なうちなんちゅとは少し違ったものであり、特に色が違うのだ。勇二郎の白っぽい色のそれより、うちなんちゅの子供たちのおちんちんは、ずいぶんと赤味を帯びた色をしている。


 勇二郎が他の子供たちとお風呂でふざけ合っていると、そのうちの一人が勇二郎の股間を指さし、「お前、ナイチャーだろ」と言った。悪気はなかったかも知れない。しかし、勇二郎にとって『ナイチャー』と呼ばれるのは嫌いだった。言われると悲しくなってしまうのだ。全員ではなく周りの数名だけだったが、ナイチャー、ナイチャーと囃し立てながら、面白がって観察された。彼は涙ぐんで風呂場から飛び出して、ベッドに潜り込んでしまった。


 その夜にも実習が予定されていたが、勇二郎はすっかりふてくされてしまい、シーツを頭から被って出席を拒んだ。しばらくすると、子供会の役員(大人の付き添い)が勇二郎を連れ出しにきた。彼は、勇二郎を実習場に連れて行き、皆の前で「勇二郎はナイチャーじゃない!沖縄を学びに来た仲間だ」と叱るような口調で、全員に向かって説教をした。


 合宿二日目となる翌朝のこと。天気予報とは異なり、天候が急変した。懸念されていた台風が急接近し、上陸の可能性はまだ分からないものの、海が荒れてきた。明日の出航はむずかしいかも知れない。


 結局、その台風は猛烈な暴風雨をもたらし、彼らを島に足止めさせることになる。さらにその間に、遅れて発生した新しい台風までもが接近し、子供たちの一行は、十日間ほど島から出ることができなくなってしまった。


 大人たちの心配をよそにして、旅行が長くなったことに、子供たちは大いに喜び共に遊んだ。問題は食糧であった。持ち込んだ食糧の残りが懸念されたため、大人たちは自分たちの食事の量を半分にして、一食減らし、一日二食とした。さらにその量までも自ずと自制し、減らしていった。できるだけ子供たちへ回すための配慮であったが、だんだんと子供たちの分も減らさなければいけなくなってきた。外は暴風雨で買い物に行くことができない。島を出れることになった最終日には、カップ麺一つを子供三人で分け合って食べたほどである。


 南の島の台風は恐ろしい。内地とは桁違いの威力である。しかも、日を置かず、連続でやってくる。ただ、子どもたちにとっては、いつもの楽しいイベントの一つに過ぎなかった。勇二郎の心の中にも、子供の頃の楽しい思い出の一つとして記憶に残るようになる。そして彼は、差別というものを少し学んだ。自分は他県の人に対して、同じことはしないようにしようと思った。

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