『逆ギレ女神の三分クッキング』
おばあちゃんが拵えた野菜スープは絶品と呼んで間違いない一皿だった。
「困り事?」
お礼として使用した食器類を洗っている最中にあろうとも、おばあちゃんが漏らした小さな溜息を聞き逃す私ではない。
「いえね、最近ここら辺の魔物が嫌に活発でね。この前も二件隣のパウダーさんが畑仕事の途中で襲われたらしいのよ」
この世界に魔王なんていう輩は存在してはいないものの、魔物らは普通に存在している。中にはニンゲンなんて容易に踏み潰してしまうサイズ感の魔物もいたりする。
「それは災難なことで……おばあちゃんは?」
「あたしも何度か危なかったことがあったわね」
一飯の恩もあるが、それ以上に弱者を踏みにじるような真似をする魔物連中に腹が立った。
「その魔物たちがどこから来たか分かる?」
~元女神、支度中~
「勇者の剣って訳にはいかない、か……」
右手に掴むおばあちゃんから借り受けた稲刈り用の小振りの鎌を見て、思わず嘲笑が漏れた。あのおばあちゃんの物である、手入れの具合は言うまでもなく完璧。でも、鎌が持つ本来の性能的に不安が残るのは事実。
農村辺りを襲い、未だに死亡者が出ていないのを鑑みれば、問題の魔物たちが大した種族でもないのは明白。大方ルゥコボルトやナシゴブリン程度の小ザコだろう。
最悪の場合、私には数百を超える魔法がある。正直、この世界に現存する魔物風情ならば、脅威と呼べる種はごく僅か。もっと言えば、その手の連中の生息地も把握している。
農村の入口を出て広大な稲畑と何らかの野菜を育てている畑を横目に畦道を歩き進める。遠くの方でせっせと仕事をこなす農夫らの影を代わる代わる注視していく。未だ魔物の影は見えない。
強制注視や索敵などの魔法を使えばこんな地道な労を費やさずとも楽は出来る。けれど、敢えて買う苦労にこそ意味がある――なんて事はねえ。
「だる……サーチ」
頭の中に周辺の地形データと生体反応が私のセンス溢れるユーザインタフェースに従った形で浮かび上がる。緑の光点は人、赤い光点が魔物。
東側の稲畑の奥の方に大量の赤い点が表示されている。十数体って規模じゃない。数十体、下手すれば百体を超す大所帯。
あのおばあちゃんには悪いが、よく今まで生きて来られたなここの連中は。そのレベルでやばい事態。
『えー、周辺で作業中の村人各位に告げます。今すぐに村の中へお帰り下さいませ。これより害獣駆除を行います。えー、繰り返します――』
念話の魔法を用いて畑仕事に精を出す方々の脳に直接語りかける。
遠くの影が驚いた拍子に転んでいる姿が見えたが、まあ必要経費だろう。心の中で謝るから許してや。
怪訝な表情を浮かべつつも、素直な村民性のおかげで視界に入る範囲では村人の姿は確認できない。これで思い切りヤれる。
魔物の大軍を相手にする、という問題は最初から問題ですらない。懸念材料として厄介に思うのは、処理している際に私の姿を見られてしまう事。こんな僻地で高位の魔法を使って数十の魔物を料理している姿を見られでもすれば否が応にも目立ってしまう。
正直、手っ取り早く知名度を上げて神格化を目指す選択肢がない訳ではない。しかし、急く事により生じるリスクとしてこの世界の転生者に私の存在を認知されてしまう危険性がある。それが一番に不味い。
あの気色悪い男の転生後の能力はこの世界に於いて最強と言って相違ない。まともにヤり合えば勝てる保証は愚か、今の私では負かされるリスクが非常に高い。だからこそ、何か策を見出せない内は大人しくしておいた方が賢いと言わざるを得ない。
稲畑の端まで来ると、その先は森になっている。
森の方へ何かを擦って運んだ痕跡が続いており、分かり易く自分たちの所在を知らせようとしている。そこらのニンゲンは知能の低い種族の愚行であると嘲笑う光景だが、この森全体を拠点としているのを見通している私には罠だと分かる。
しかしきな臭い。ここまで気の利いた罠を張れるだけの知能を持ち合わせた魔物がいるのであれば、ちまちま畑を襲うなんて非効率な真似をするだろうか。
「うわあぁぁぁ——」
悲鳴と同時に森から鳥たちが一斉に飛び立っていく。
なるほどね、本命はそっちか。思った以上に賢いわ。
畑荒らしは言ってしまえば餌まき。困った村人が冒険者やらを雇って向かわせて来るのを待ち伏せているって寸法。森自体の規模もそこそこ大きく、同じように餌として利用されている村が他にもありそうな雰囲気がする。
「質の悪い連中だこと」
この世界の魔物がここまで組織的に動けるとは正直言って知らなかった。
管理下の数ある世界の凡その特徴は把握していても、その世界の細部までを完全に理解している訳ではない。
第一、連中は生き物だ。日進月歩、生きてるモノは須らく変化変容し常に進化し続けるのが万世の理。それを逐一把握していては、女神業なんて務まらない。とか言うと、上位神辺りにお小言を頂戴するので口には出せないのだけれど。
ともかく、このまま放置しておくには危険すぎる。まあ一応、悲鳴も聞こえて来たことだし形だけでも急ぎますか。
森の中に入ってからしばらくは嫌な静けさが続いた。
悲鳴の主に魔物が群がっている所為かとも思ったが、悲鳴は一つだけだった。百近くいるであろう魔物が一人のニンゲンに対し、全員で向かって行ったと考えるのはさすがに愚考だろう。
再び索敵の魔法を発動し、範囲を限定することで精度を上げる。現在地から見て北東の方に固まっている。先に見た数よりもだいぶ減っているのを見るに、あの悲鳴は他所の村から雇われた冒険者のものだったのだろう。
良く見れば魔物の群れの反応の内に紛れてニンゲンの反応があと二つほど残っている。まあ、反応が消えるのも時間の問題だろうけれど。
「このまま数が減るのを待つのが利口だろうね……」
その間、私は心地の良い木漏れ日の中でひと休み、と洒落込みましょうかね。
手頃な木陰に腰を下ろし、幹にもたれかかるようにして座り込む。時折、索敵の魔法で状況を見つつ反応が消えて行くのを観察しつつ、大きく伸びをする。最大の敵は睡魔に違いない。迂闊にも寝てしまえばあの冒険者たちの二の舞を踏むことになり、どうにも笑えない事態に陥ってしまう。
「…………ああもう、分かったって」
分かってる。私を咎めたのは私自身に他ならない。
助けられる命を見捨ててまで自分の利を得ようなど、浅ましい思考だ。賢い選択であると分かっていても、人の世には倫理観という枷がそれを制限しようと働く。疎ましく思えても、その一線を越えるのを踏みとどまれる理性こそがニンゲンの最大の強みで、私が女神にまで昇華できた要因。
必死になって走っている自分の姿を思うと恥ずかしくていっそ死んだ方がマシだ、という気になって来る。けれど、それ以上に自分がニンゲンらしさを取り戻しつつある妙な充実感も同時に湧いて来るのだから不思議なもの。
木々の合間から聞こえて来る剣戟の音で足を止める。ニンゲンと魔物の怒声が交互に、そして同時に、と入り乱れる。正しく乱戦の様相を呈しているのだろう。
「ちっ——やり辛いわね」
範囲魔法で一気に蹴散らそうにも、下手に発動すれば乱戦の渦中にいる冒険者ごとあの世に送りかねない。
最善手を探ろうにも一刻の間でさえ惜しいこの状況下で長考などあり得ない。ならば、考えるよりも、ってやつだ。
「
魔力で形成した氷柱が木々を抜け、群れの外周を埋める数体の魔物に突き刺さる。下級の魔法でも奇襲となれば効力も絶大という訳だ。
「こっちだザコどもっ――」
私の奇襲に反応を示した数体は既に動き出していたが、群れ全体に私と言う存在を認識させなければならなかった。故に無用なリスクを負う。人助けの為に。私が、わざわざ、危険を、冒して。
「アンタら聞こえてたら、そこでへばってるお仲間を連れてとっとと失せな。邪魔でしかないからっ」
ギリギリまでこちら側へ群れを誘導しつつ叫ぶ。連中の察しが良いことを祈るのみだが、もしもの際は連中の命と自分の命とを天秤で計るまでもなく切り捨てる。元からこっちには助けてやる義理も義務も在りはしない。言うなれば、これは完全な慈善事業である。
意外にも、冒険者連中一行は私の姿を見るや否やそそくさと退却の意を見せた。物分かりが良い。長生きするタイプだ。
「そんじゃ、遠慮なく——」
未だ十分に離れてはいないが、これだけ距離があればせいぜい爆風に呑まれる程度の被害で済むだろう。知らないけれど。
「
私へと迫る魔物の群れの頭上に瞬く間に広がった赤い魔法陣から召喚された炎神の巨腕が、轟音を立てて魔物たちへと振り下ろされる。
地面へと直撃した際、周囲から音が消え、そして次の瞬間には鼓膜を容赦なく突き破るような爆発音と爆風が身体を襲う。森の木々はそのまま抜けてしまうのでは、という勢いで風に煽られて傾いている。
魔法の選択を完全に誤ってしまったのは認めよう。嫌な汗が背筋を伝う。
先まで深緑鮮やかだった森の景観は、爆心地を中心として地獄のような様相に早変わりしてしまった。地面は抉れ、円形状に木々はなぎ倒され、魔物の気配どころか一切の生き物の気配すら微塵もない。
「あ、やっべぇ……」
まあでも、少しは気が晴れた。
キモい転生者に悪態ついたら女神降格された件について。 ZE☆ @deardrops
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