『堕ちた女神は人世を蔑み』

 酷い頭痛と感じたことのない倦怠感に苛まれた、最悪の目覚め。

 曖昧な意識とは裏腹に、自分の身に起こった最悪な災厄はしっかりと把握できている。

 女神堕ち――女神の座を引きずり降ろされ、普通のニンゲンへと転生させられる。所謂、左遷ってやつだ。


「吐きそう……」


 女神やめたいって言いはしたけれど、そんなすぐに回収されるフラグってアリなのか……。まあ、嘆いていたところで何も解決はしない。

 まずは状況の確認と今後の対策について検討しよう、そうしよう。


 第一の問題点、この世界がどこのどんな世界なのかを把握する。

 神界が管理する無数の世界の内、女神はそれぞれ幾つかの世界の統治と管理を行う。私自身も幾つかの世界を受け持っていた。

 世界は個々で違う特徴を有している。

 魔法のある世界、魔法がない代わりに科学技術が発達している世界、魔王を自称する頭のおかしな輩がいる世界など。

 自分が飛ばされた世界が自分の統治していた世界である保証などはどこにもないが、特徴を知ることができればある程度の当たりは付けられる。


 第二の問題点、自分の状態の確認。

 パッと見たところ、見た目に大きな変化はない。

 転生とは言え、私たち女神の転生とは神から人へ降りるだけであり、普通のニンゲンたちが新たに生まれ直すような事にはならない。言うなれば転移に近しいだろう。

 女神時代の能力は当然ながら失われている。しかし魔法等が使用できて且つ、私が管理していた世界の範囲内であれば魔法は使い放題となる。知識がある上に、身体の内から感じられる魔力の貯蔵は無尽である。

 踏まえると、女神としての力は制限されているものの、ニンゲンとしてのスペックは相当に高い。そこは流石に女神堕ち様様。


 第三の問題点、神格昇華の試練について。

 女神堕ちとなった女神が再び女神へと返り咲く方法はひとつだけ。

 堕ちた先の世界で偉業を成し遂げ大多数のニンゲンから神格化させられる、とただそれだけ。

 元来は人の身から神の座へと昇格する方法だが、元女神とはいえ一度ニンゲンまで堕ちてしまえば、そこから這い上がる術はそこらのニンゲンと同一という訳だ。


 世界構造の把握を試みるも、ただのニンゲンにそんな事ができるはずもない。

 神界に居た頃は中空に手をかざすだけで女神メニューを開けたが、やはりできそうにない。かざした右手がただただ虚しいだけ。惨めたらしくて涙が出そうになる。

 仕方ない。しらみ潰しに魔法を試す他ない。

 取りあえず、条件の良い世界の魔法から順に試していく。

 無し、無し、無し、無し、無し、無し――最悪だ。

 最期に残った世界は、あのキショい男が転生した世界。もしもこれで魔法が発動してしまえば世界の選定は完了できるが、あの男がどこかで息をしている事になる。


「お願い神様、それだけは勘弁……元女神なのだけれど」


 願いは聞き届け――られなかった。

 無情にも、伸ばした右手の平から巨大な火球が轟音を伴って空へと放たれた。

 全身の力が抜け、膝から崩れ落ちる。

 嗚呼、無常。




 ~元女神、傷心中~



 放心状態のまま平野を歩き続け、気付けば農村の入口付近にまで辿り着いていた。

 何もない農村の風景が、今の傷ついた私の心にはちょうど良い塩梅で染み入る。


「おやおや、こんなところでどうしたんだい?」


 第一村人のおばあちゃんが人の好さそうな顔で近付いてくる。背中の大きなカゴいっぱいに入った野菜に思わず目が向かう。

 空腹感、ずいぶんと永いあいだ忘れていた感覚だった。


「別に……ただ少しばかりの理不尽と自分の堪え性の無さに絶望してただけ」


 そう。理不尽だったのはほんの少しだけ、あとの全部は自分の自業自得だった。

 空腹感と同時に思い出したのは、女神になるより以前の私の在り様だった。

 私は人の身から神の座へと至った。その頃の私はただ純粋で、今でこそ自称するが聖人そのものの様なニンゲンだった。


「そうかいそうかい。そうだ。お嬢さんさえ良ければごはん、食べて行くかい?」


 ニンゲンは醜い。自らの欲望に忠実である反面、他者の欲望にはどこまでも否定的。自分よりも下だと判断した者に対しては容赦なくその尊厳を踏みにじり、目上だとすれば踏みにじられない様にと機嫌を繕いだす。

 けれど、完璧で潔癖で万能な神では持てるハズもない温かさを持っている。不完全で醜悪で矮小だからこそ、他者を思いやれる。

 かつての私は、そんなニンゲンが愛おしくて仕方がなかった。


「ありがとうございます。お言葉に甘えさせていただきます」


 けれどまあ、今更にあの頃の自分へは戻れるわけもない。

 愛し尊ぶって感情は丸めて犬にでも喰わせた私だ、もはや胸の内で燻り続ける憤怒の情念のみが私を前へと進ませる原動力。怒りこそが唯一抱く事のできる感情。

 ならば燃やそうか、燃やし尽くそうか。

 この白々しいお空の更に上の方からこちらを睥睨する神様連中に思い知らせてやろうか。私をニンゲンまで堕としてくれやがった上位神らに。

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