03 兆し
翌日、眠い眼を擦りながら会社に着くと、早速知恵の木で氷室について調べてみた。どうやら、昨日氷室が自殺をすることは無く、目的は分からないが、本当に友人に会いに行っていたようだ。俺は、スマホを無造作に机の上に投げ、飲み物を買うため自販機へと向かう。勿論俺は、情報を流し見るだけで何か行動を起こす気はさらさらない。このまま黙って静観するつもりだ。白澤にも、昨日あれほど強く言ったわけだし、少しは大人しくなるだろう。そう安易に考えていた俺は、すぐに後悔することとなる。
「いた!見つけたよ先輩!」
「げっ!?」
「こら!逃げるなあああ!」
俺は今、白澤から逃走している。会社で会うなり、鬼の形相で追いかけ回されているのだ。
「逃げるなバカぁ〜」
「諦めろ!こっち来んなああああああ!」
「地獄の果てまで追いかけてやるぅ!」
「やめろぉ……これ以上走ったら死ぬ……」
「手荒な真似はしたくないので、大人しく降参しなさい!」
「お断りだ!とっととリーダーのところに行って報告するぞ!あとしつこいとモテないぞ!」
「モテなくて結構!覚悟しなさい!とぉおおう!」
「なっ!?」
掛け声高らかに、白澤は勢いよく飛び上がると、俺に飛び蹴りを繰り出してきた。勿論避けようと思えば避けられたよ?でもさ?……パンツ見せびらかすのは卑怯だろ。
「白か……」
「なっ!?見るな変態!」
「ごふっ!?」
白澤の飛び蹴りが、見事鳩尾にヒットして後方に吹っ飛ぶ。あぁ、俺はここまでか。だが悔いはない!白澤と言えど、人生初のラッキースケベイベントをやり遂げた事に、大変満足です。あばよ……白パン
「変なナレーションつけて、満足げに倒れるな!先輩ってホントバカだよね」
「ありがとう」
「褒めてないんだけど……」
「……で?何の用だよ」
「何って、むろっちのところに行くよ!」
「はぁ?行かないと言っただろ?どうしても行きたいならお前ひとりで行け」
「先輩、エージェントは常に2人1組で行動すべしだよ?」
「古い思考に囚われるな。別々に行動しているエージェントだっているだろ」
「確かに仕事を達成するために別行動をとることはあるけど、私達のは別行動じゃなく、方向性の違いじゃない」
「考え方の方向性が違うから、それぞれで頑張ろうという話じゃないか」
「先輩は上に判断を仰ぎに行くんでしょ?それ即ち、私の行動を妨げようとしているじゃん!営業妨害だー」
「上司への報告は大事だぞ?」
「先輩がそれ言うの?上司への報告いつもサボっているくせに」
うーむ、実にめんどい。さてさてどうしたものか。悩みに悩んでいると、ふと遠目ではあるが、白澤の後ろから歩いてくる人影が見えた。あの人は―――
「佐伯リーダー!助けてください!」
「え?桃子ちゃん!?」
間違いない。俺たち直属の上司であるエージェントリーダー、佐伯桃子(さえきとうこ)が、ワンサイドアップの髪を揺らし、ゆっくりこちらに近づいてきているではないか!
「あら~四島君に小夏ちゃん。こんなところでどうかしたの?」
「白澤、悪いが報告させてもらうぞ」
「ちょっ、先輩!卑怯だよ!」
「あらあら、いつも通り仲睦まじいですね~」
「そんなことよりリーダー、1つ相談したいことが―――」
「なるほどね~」
あの後、白澤と共にリーダー室に入り、今回の案件について報告をした。俺の話を聞く最中、佐伯は悩んでいるようにも見えたが、いつもの柔和な笑顔を崩さない。この感じの良さが社内の人間から好評で、理想の上司ランキングでいつも上位に食い込んでいる。だが正直、俺はこの笑顔が苦手である。
「俺としては、あまり深入りしないほうがいいと思うんですよね~」
「私は断然反対!桃子ちゃんはどう思う?」
「うーん、職業柄、この手の案件はどうしても起こってしまうし~難しい話よね。小夏ちゃんも知っているとは思うけど~過去には、目の前で命を絶たれた事例もあったそうよ?その件以降、転生エージェントは、あまり候補者に深入りしないようにしているんだけど~」
「ほら見ろ。リーダはこう言っているぞ?」
「うぅ……」
勝ったな。会社のルールというものの前には、白澤といえど、太刀打ち出来ないだろう。やれやれ、これで面倒事から手を引けそうだ。会社のルールに初めて感謝しそうだぜ。
「でも~面白そうだから許可しちゃおうかな~♪」
「ふぁ!?」
「だって~他でもない可愛い小夏ちゃんの頼みだし~私としても救える命は救いたいし~」
「いやいやいやいや、ちょっ、待ってくださいよ!」
「流石桃子ちゃん!話がわっかるぅ~♪」
「四島君にとっても~今回の案件は無視できないでしょ?」
「……何考えてんだ、あんた」
俺は静かに佐伯を睨むが、そんなことお構いなしとも言いたげに柔和な笑みを崩さない。
「四島君?こんな難しい案件を小夏ちゃんだけに任せるのもかわいそうじゃない。先輩として、ちゃ~んと支えてあげなきゃ♪」
「断った場合は?」
「職務怠慢として上層部に報告しとくわ♪」
「……はぁ、分かりました。分かりましたよ。やればいいんでしょ?ああ~めんどくせぇ~」
「よし!そうと決まれば、早速むろっちのところに行くよ!」
無気力状態の俺を、白澤が元気いっぱいに引っ張っていく。ふざけんな!なにが職務怠慢だ!やっぱ会社なんて嫌いだああああああ!
再び、寂れた雰囲気のアパートを目の前に、俺自身も寂れていた。ハイテンションでチャイムを連打する白澤に対し、この時ばかりは何も突っ込む気力が起きない。どうやら白澤が予めアポを取っていたことで、今回は、スムーズに部屋に上がることが出来た。
「昨日に引き続いて熱心ですね。」
「それだけが私の長所だから!」
「でも、何度来ていただいたところで、自分の気持ちは変わりませんよ?」
「それを変えるのが、私の仕事だから!」
意気揚々と目を輝かせる白澤を横目に、俺は気まぐれに部屋の中を見回した。
『あの様子じゃ、白澤は何度も話し合いに来るだろう。それが一番面倒だ。何とかしてこの仕事を早急に終わらせたい。少し真剣に考えてみるか……しかし、どうも引っかかる。家の中を見る限り、ほとんど生活感はない。物が圧倒的に少なく、必要最低限の家具家電しかない。必要のない物はきっと売ったか捨てたかしたのだろう。自殺を考えるのなら自然なんだが、自殺目前の人間が、友人と飲みに行ったりするか?目的はなんだ?友人と飲んだだけで、氷室が何か目立った行動をしたわけでもないし、分からないことだらけだ』
「あのーどうかしましたか?四島さん」
「え?いや~別に何でもないよ、あははは」
「そんなに部屋が気になりますか?」
「まぁ、ちょっとね……そうだ、ちょっとした雑談をしよう!氷室君は趣味とか何かないの?」
「趣味ですか?誇れる趣味なんてないですよ」
「アニメとかスポーツとか好きなものは?」
「ないですね」
「今はないかもしれないけど、昔はあったんじゃない?」
「残念ながら皆無ですね」
「うーん、そう言えば前に話した時、ちょっと気になったことがあってね、今の自分には生きる理由がない!と君は言っていたよね?もしかして、今はなくとも以前は君にも生きる理由があったのかなって?」
「……」
「確かに、氷室君が趣味らしきことに興じた情報がほとんどない。でも、あの時君は『今』と言った。何故だろう?」
「言葉の綾だと思いますよ?勢いでそう言ってしまっただけかと……」
「あぁ、あるよね~誤ってつい過去形にしてしまうこと。俺もたまにやるよ。ただの言い間違いと言われればそれまでかもしれない。けれど、無意識のうちに発した言葉って、意外と無視できなかったりするよね~」
「えっと、何が言いたいんです?」
「俺には、生きる理由がないというのは嘘なんじゃないかな~と率直に思っただけだよ」
「嘘じゃないですよ~本当のことです」
「切り口を変えよう。氷室君の経歴についても色々見させてもらったよ。趣味とは違うかもしれないが、君はあの名門、五橋大学に受かっている。これは誇ることなんじゃないかな?」
「勉強だけが取り柄でしたから」
「立派だよ。情報によると、塾にも家庭教師にも一切頼らず合格しているし、奨学金もあと少しで返し終わる。俺からしたら立派だと思う」
「借りたものはちゃんと返さないといけないですからね」
「つまり、タイムリミットは、奨学金を返還するまでということになるのかな?」
「……さぁ?どうでしょうね?」
「勿体ないな~こんな優秀な人材を失うのは非常に勿体ない。そう思わないか?白澤」
「うん!実に勿体ないね!」
「おだてても転生はしませんよ?」
「それで、何でこんなに勉強したの?」
「え?」
突然提示した俺の疑問に、珍しく氷室は狼狽えている。
「五橋大学だよ?あそこは相当勉強しないと難しい大学だから、君の勉強心を強くする理由があったと思うんだよね。そこんところどうなの?」
「別に、そんな理由は……」
「無いのに五橋大学に進学したの?将来こういう仕事がしたいから進学したとか、就職で優位に立つためにネームが欲しかったとか、お金を沢山稼ぐためとかさ?俺だったら思うけどな。不自然なんだよな~何か目指すものがあったから一生懸命勉強して進学したんじゃないの?」
「いっ、いいじゃないですか!人の勝手でしょ!」
普段冷静な氷室が声を荒げ始めた。これは、何かあるのは明白だな。他に聞きたい事もあるが、あまり刺激し過ぎるのも良くないか。
「ごめんごめん。つい気になったものだから。無理に答えなくていいよ。悪いな白澤、話しの途中だっただろ?続きをどうぞ」
「えっ?はっ、はい!それでむろっちは―――」
白澤が話している間、先ほどの会話をもとに考えを巡らせる。さっきの反応から、大体の推論は出来たつもりだが、あくまで推論でしかない。調べるべきことが、他にもありそうだ。
結局、その日も白澤の健闘むなしく、氷室が首を縦に振ることはなかった。だが、ちょっとした変化はあった。明日、白澤がまた来ることを伝えると、氷室は心底面倒くさそうな表情をしていた。一番の被害者である俺が良く知っている。白澤のど根性に取りつかれてしまったら最後、もしかすると氷室も少しずつ気持ちが変わっていくかもしれない。そして極めつけは―――
「先輩先輩!もしかして何か分かりそうですか?」
昨日とはまるで別人の明るい白澤が戻ってきていたのだった。
「いや、まだはっきりとは分からない。もしかしたらそうかもな~と思ってはいるだけだ」
「それでもいいから、教えて教えて!」
「あとで教えてやるから落ち着け犬っ娘」
「なっ!?誰が犬っ娘よ!」
「まあそう睨むな。白澤は明日も氷室のところに行って説得を続けろ」
「言われなくてもそうするつもりだよ!そっちは私に任せて。ちなみに先輩はどうするのかな?」
「ちょいと上層部に掛け合ってみる。いろいろ知りたいこともあるしな」
翌日、白澤は今日も元気に氷室の家へと出かけて行った。一方俺はと言えば、にこにこ微笑む若干年上の上司を目の前に、立ち向かおうとしていた。
「佐伯リーダー」
「あら~桃子って呼んでくれてもいいのよ~?」
「呼ぶか!そんなことより聞きたいことがあるんですが」
「桃子って呼んでくれたら手伝ってあげるわよ?」
「はぁ……」
「その心底鬱陶しそうな表情いいわよ~」
「変態め!」
「でもでも~よく考えてみて?桃子って呼ぶだけで~君が欲しい情報を提供してあげると言っているのよ?安いものじゃない♪」
「……確かに」
「はいせーの♪」
「とうっ……言わねぇよ!」
「も~そんなに照れなくてい・い・の・に♪」
「氷室翔平の件について、いろいろ知りたいことがあるんですよ」
「……やっとやる気になったんだ~」
「やれと言ったのはあなたでしょ。本当だったら早々に手を引きたい案件なんですがね」
「ああでも言わないと、四島君動こうとしないでしょ?でも、意外。ちゃんと小夏ちゃんを手伝ってあげるなんて~なんだかんだ言っても~四島君って昔と変わらず優しいのね♪」
「……」
「小夏ちゃんが傷つくのが見たくないから?」
「……あいつの心は、綺麗すぎる。どこまでも白く濁りがない。正しいと思ったことにまっすぐなんです。でも、こんな仕事を続ける以上、いつかどこかで折れてしまう。俺は、あいつにそうなってほしくないだけです」
「ええ、そうかもしれない。でもね~人はそうやって学んでいくのよ?傷ついて、絶望して、乗り越え成長していくものなの」
「成長?傷つく必要のないことで傷ついて、どれだけのエージェントが辞めていった?どれだけのエージェントが悩み苦しんできたと思っている?」
「あなたの先輩みたいに?」
「っ!?」
「辞めていった人のことなんて忘れなさい。それこそあなたが最も意味嫌う無駄ってものでしょ?」
「黙れ」
「そう言えば小夏ちゃんて~詩織ちゃんによく似ているわよね?性格とか~」
「黙れと言っている!」
「あらあら~四島君のそんな表情滅多に見れないわね。また得しちゃった」
落ち着け。このまま佐伯のペースに飲まれたら、それこそ時間の無駄だ。
「駄弁はもういいです。氷室の母親について情報が欲しい」
「あら?そんなことなら知恵の木で調べればいいじゃない~」
「調べられないから聞いているんです。どうやら氷室の母親については極秘情報になっているみたいで、俺みたいな下っ端じゃどうしても見れないんですよ」
「あらあら~エージェントリーダー以上の職階じゃないと見れない情報になっちゃってたのね~」
「だから、こうして佐伯リーダーに聞きに来たんです。どうせ何か知っているんでしょ?」
「ええ、知っているわ♪でも残念。教えてあげたいところだけど~エージェントリーダしか見れない極秘情報だからダ~メ♪いくら四島君のお願いでも教えられないわ~ごめんね♪」
「そうか。ならば無理矢理聞き出すしかないか」
「まさか~私を襲うつもり?どうしましょう。四島君に襲われちゃう♪」
「そんな手荒な真似はしないですよ~」
そう言うと、俺はポケットからスマホを取り出し、不敵に笑ってみせる。
「そう言えば、先週の金曜日はずいぶんお楽しみだったみたいですね」
「え?」
「実はこの間、いい感じの雰囲気のバーに友人が連れて行ってくれたんですよ。確か名前は、イタリアンヴィーノでしたっけ?」
「なっ!?」
佐伯の表情から笑みが消え、滅多に拝めない驚きの表情が浮かび上がる。
「そしたら、隅っこの席で男性の方と話されている佐伯エージェントリーダーを偶々目撃したわけですよ。ちょっと気になって観察していたんですけどね?男性の方が一人で帰られた後、佐伯リーダーが急に泣き出しちゃったんですよね~それがこちらのシーン」
「しっ、四島君、あなた!まさか!」
佐伯のスマホからメッセージを受信した音が室内に響いた。佐伯は、恐る恐る画面を開くと、そこには佐伯エージェントリーダーが泣きながら、やけ酒を起こしている1本の動画が映っていた。
「何でこんなところを撮影しているのよ!」
「あっ!もしかしてこれ~振られた現場を目撃しちゃった感じですかね?こんな泣いている佐伯リーダー初めて見ましたよ~」
「っ!?///////」
「それで、動画を会社のラインにシュート!しようかなって迷っているんですけど、どう思います?桃子ちゃんw」
「やめて!それだけは!」
「それじゃあ、俺の言いたいことは分かるよな?等価交換だァ!」
「うぅ~」
佐伯が涙目になりながら俺を睨む。ざまあみろ!いつもいつも余裕ぶって、俺をおもちゃのように振り回してきた罰だ。涙目で上目遣いなのは若干可愛かったが、あんたももう28なので、そういう行動は控えたほうが良いかと思いますよ?
「分かったわよ!四島君だけに情報を流してあげるから、その動画だけは消してぇ~」
こうして、朝一番から始まった佐伯リーダーとの交渉は、完全勝利のBGMを脳内で再生させ、余韻に浸る俺と机に突っ伏する佐伯リーダーの構図で幕を下ろした。さてさて、どんな情報を隠していたのだろう?早速聞き出すとするか。
「それで?何故氷室の母親は極秘情報になったんですか?」
「簡単に教えてもつまらないから~ヒントをあげるわね♪」
「早くしてほしいんですが……」
「もう~せっかちなんだから~じゃあヒント1!エージェント専用のスマホ持ってるかしら?」
「ええ、持ってますが?」
「それで~丸岡豆蔵って調べてみて♪」
「は?丸岡ってちょっと前に俺が転生させた禿上司じゃないですか。何の関係が?」
「ほらほら~いいから調べる調べる♪」
俺は、首をかしげながらスマホで丸岡について調べてみた。だが———
「極秘情報だと!?」
そんなはずはない。丸岡については転生させるとき、一通り知恵の木で調べ上げたはずだ。極秘情報になっているはずが———ん?待てよ?
「っ!?そういうことか!」
「気づいたかしら?」
「なるほど。もし俺の考えている通りなら、自殺を止められるかもしれない」
「うふふ、期待しているわ♪でも、ちょっと急いだほうがいいわよ?」
「え?何でですか?」
「実はさっき、母親の情報を見て気が付いたんだけど、今日は何日かな?」
「4月24日ですね……ん?どこかで見覚えのある日にちだな。確か、氷室の……っ!?」
俺は頭で理解するよりも早く走り出していた。
「四島君!ちょっと待って!忘れものよ」
「これは、出張用魔法陣!?」
「常に最悪の状況を想定しなさい。万が一準備しておいても無駄じゃないと思うわ」
「ありがとうございます!」
今度こそ、俺は会社を飛び出した。何も起こらないでくれよ、白澤。
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