01 始動

 2020年4月22日。季節は春真っ盛り。始まりを告げるシーズン。初めてのことだらけで心躍る人もいれば、不安に押しつぶされそうな人もいる。初めての出会いもあれば、久しい出会いもある。しかし、これから社会人となって行く人には大変申し訳ないが、険しくとても辛い社会人生活との悲しき出会いが待ち受けている。新卒の子が入ってくるたびに思ってしまう。早まるな!まだ間に合う!幻の大学5年生を歩めと。勝手に哀れむなと言われるだろうけれど、よく考えてみて欲しい。人には好き嫌いが当然のようにある。好きな事を仕事にできる人なんてほとんどいないし、仲の良い上司を据えることもまず出来ない。上司も色々、部下も色々十人十色。意見が違うのも当たり前。リセマラできない上司ガチャで、お互いを理解しあえる親しい仕事の関係を築けるのは、ごく一部なのだと思う。すると決まって———


『築く努力をしないお前が悪い!』


と言う奴もいるだろう。ならば言おう。俺だって好き好んで誰かを嫌いになろうとしているわけじゃない。嫌われる事をするから関係が築けないのである。こちらから寄り添った上で突っぱねられたのなら寄り添ってやる義理はもうない。俺の意見をはっきり言おう。仕事も春も大嫌いである。


「あの~仕事も春も嫌いということは分かったから、いい加減仕事をしようよ」

「早く夏が来ないかなー」

「人の話を聞け!」


 錦糸町のとあるオフィスで、俺こと四島拓也(しじまたくや)は遠い目をしていた。株式会社転生エージェントに勤めてから数年、俺にもようやく後輩が出来た。今目の前で呆れている白澤小夏(しらさわこなつ)が、俺の後輩第一号なわけだが……後輩ってこんな生意気な存在だっけか?面倒くさそうに外を眺める俺の気持ちも露知らず、負けじと彼女は話を続ける。


「そもそも、働けることはありがたいことなのよ?感謝しなくちゃ!」

「はっw」

「ちょっ!?なぜ笑った!」

「あのな?お前はそうかもしれないけど、俺にとっては苦行なの。俺はこれから、約50年の悲しい時間を生き続けなければならないんだ。考えただけでも死ねる」

「もはや働いたら負け!とでも言うニートに近しい思想だね。現実をちゃんと見て!先輩は今社畜なのよ!」

「空はこんなに青いのに、お先はまっくろくろすけだねぇ~」

「こっちを向け社畜ニート!」


 無理やり首を回されて、白澤の顔が俺の目の前に映る。白澤は俺より2つ年下の女の子で、癖のある毛並みで、ポニーテールをローポジションで束ねた髪型が特徴の健康的な子という印象だ。初めて会ったときは、それなりにおとなしい印象だったが、時間が経つにつれて、ものすごくフレンドリーになった。それは結構なことだが、仮にも俺は年上ですよ?友達感覚でタメ口になるのは如何なものかと思うわけよ。昔はそんなキャラでしたっけ?呼び方は先輩のくせに、基本タメ口なのは違和感しかない。まぁいい。俺は決して先輩とか後輩とか、そんな陳腐な肩書きを押し付けることは絶対にしない。しかし、流石に社畜ニートって面白すぎるだろ。


「上から降りてきた仕事なんだから、もう少し気合を入れなさい!」

「分かった。分かったから俺の顔から手を放せ」

「はぁ……それじゃあ知恵の木の情報を一通り話すよ?名前は氷室翔平(ひむろしょうへい)24歳。名門五橋大学をストレートで卒業。ぱっと見で、バイトと勉強に勤しんだ学生時代って印象ね。卒業後は株式会社ホリデーに入職し、現在新卒3年目。株式会社ホリデーは、主に冷凍食品を扱っている会社のようで、一応全国的に有名な食品メーカーよ。そこの事務系総合職として配送の手配やお電話対応などを入社当初はしていたみたい」


「当初?」

「すぐに部署を異動させられて、営業に回されたんだって」

「あらら。合わない営業職に回されて、精神的に落ち込んでいるわけか~」

「なんでそんな嬉しそうなのよ」

「これだけ若いなら向こうも欲しがるだろ。簡単な仕事にありつけそうで良かった良かった」

「どうせそんなことだと思ったわ。薄情者!」

「それで?ご家族は?」

「転生候補者よ?私たちが対応する人に、ご家族がいるわけないでしょ」

「それもそうか。いなくなった経緯は?」

「んーと、幼い頃両親が離婚。母親に引き取られたみたいだけど、2018年4月24日、ちょうど今から約2年前の春に病気で亡くなっているわ。女手一つ子供を育て上げ、ようやく息子を社会人として大成させて、これからという時なのに……」


「確かに、壮絶な過去だな」

「私だったら発狂しちゃうレベルね」

「ちなみに、母親の情報はこれだけか?」

「知恵の木で調べたんだけど、極秘情報だから見れなかった」

「極秘情報?珍しいな」

「エージェントリーダー以上じゃないと見れない情報だからどうしようもないね」

「まあ、あまり首を突っ込むなってことだろう。そんなことより、この株式会社ホリデーって会社。名前と真反対のブラック企業だ。氷室の勤務経歴見てみろ。居残り残業当たり前。昼飯もろくに食えないほどの激務。土日出勤も定期的にやってたみたいだし、有給取得率なんてほんの僅かだぞ?残業手当が一応出ていることと、社宅制度のおかげでお金が貯まりやすいことがまだ救いかな」


「氷室が転生リストに挙がった理由だけど、度重なる激務とストレスから倒れてしまい、一時期入院してたんだって。現在は自宅で休職中みたいだけど、上層部は精神的に不安定と判断したため、転生候補者としてノミネートするってさ。他には、独身でご家族もいなければ付き合っている彼女もいないし、転生をお勧めしやすいということも一つの理由かもね。本人の意思さえあれば、ほぼ間違いなく転生させられると思うよ」

「なるほどね。しかし……知恵の木ってすごいよな」


 そう言うと、俺につられるようにして、白澤は目の前にある巨大な木を見上げた。


「魔法と科学の融合体だっけ?ホントやばいものを作ったものよね」


 先程から話に出てくる知恵の木とは、オフィスを1階から4階までぶち抜く勢いで生い茂っている木のことだ。昔、とある異世界人が日本へと渡ってきた。その時、右も左も分からない異世界人を優しくもてなしたのが、転生エージェントの創始者となる人物だった。異世界に興味を持った創始者は、異世界人と協力して、どうにか異世界と日本を繋げられないか、魔法や科学技術を駆使して試行錯誤したそうだ。まぁ、普通に考えてみれば頭のおかしいことを成し遂げようとしていたわけだが、本当に成し遂げてしまったのだから笑えない。異世界転生を成し遂げた創設者は、これを仕事にできないかと考え、現在の転生エージェントを設立した。しかも何を考えたのか、エージェント業を円滑に進めるため、偶々見つけた巨大な木に魔法や科学の力を注ぎ込み、どういう理屈かあらゆる人間の基本情報は勿論、これまでの経験や行動をデータとして吐き出すことに成功した。つまり、知恵の木とは、あらゆる人間の情報を日々更新し、インプットし続けるとんでもないプライバシー侵害の木なのだ。ただし欠点はある。


 一つは、人の感情までは把握できないため、この行動がどういう感情のもと行われたのかは全くわからないということ。

 二つ目に、極秘情報の存在だ。極秘情報は、一部例外はあるが、政治家や著名人の情報が多く、情報漏洩が起きないよう、エージェントリーダー以上の職階でしか閲覧できない。その為、調査の妨げとなってしまうことが偶にある。今回のように、母親について調べたくても調べられないというのがいい例だろう。


「とりあえず、私はこの案件を受けたいと思うけど、先輩はどう?」

「そうだな。折角見つけてきてくれた案件だし、やるかー」

「先輩って、なんだかんだ言いながら、あっさり仕事に入るよね」

「学生だったら流せることも、大人になると流せなくなるんだよ。心底嫌だけど、結局は仕事をしてしまうのが社会人というか社畜というか……」

「氷室の家は曳舟か……意外と近いね」

「おい、人の話を聞け。聞かれたから答えてやったのに……」

「だって面倒くさいし」

「傷つくわ~。もういいよ……」

 かっくりと首を落とす俺をよそに、白澤はさっきからどこかに電話をかけている。

「どこに電話してんの?もしかして本人にアポでも取っているのか?」

「うん、案の定繋がらないけどね……」

「なら、直接伺うしかないか」

「そうと決まれば、ほら、準備する!折角の仕事なんだから、絶対成功させるよ!」

「へいへい。それじゃあ始めようか……転生を」



 白澤の話では、氷室は現在曳舟のとあるアパートで自宅休養中だという。知恵の木によると、必要最低限の買い物以外、アパートに引き籠ってしまっているらしい。転生エージェントの会社からさほど遠くないことから、早速、東武伊勢崎線直通半蔵門線に揺られ、氷室の家へと向かう最中、白澤が真剣な表情で話しを切り出してきた。


「先輩……今回の件、率直にどう思う?」

「どうとは?」

「知恵の木で氷室の過去を見るからに、精神的にやばそうな予感しかしないけど、それでも簡単に転生させてしまうのはどうかと思うの」


 確かに早急に決めて良い話じゃない。氷室という一人の人間の人生が、今動こうとしているのだ。慎重に判断すべきなのだろうが―――


「いいんじゃねぇの?」

「え?」

「資料を見る感じ、転生条件は満たしているし、本人が希望するなら転生させてあげたほうがいいと思う。そのほうが楽だし」

「先輩が楽かどうかなんてどうでもいいの!転生が氷室の為になるかどうかを聞いているの!」

「なるんじゃねぇの?」

「うわ~適当……」

「実際に話を聞いてみない事には分からんが、俺たちの担当する異世界は、心に傷を負った人にちょうどいい異世界だろ?」


 転生エージェントは、様々な異世界への転生を手掛けている。まるでゲームのような、魔王討伐のため勇者と共に戦うファンタジー世界もあれば、超常現象が蔓延るバトルチックな異世界もある。仕事量から考えて、勿論エージェントごとに担当する異世界が決まっているわけだが、対応した転生候補者が自分の担当する異世界と合わない場合、別の異世界担当のエージェントにバトンタッチすることも出来るため、その他の世界に関する知識も多少なりとも必要だ。


 ちなみに、俺たち2人はベスティアという異世界への転生を担当している。ベスティアは、人間以外にもいろんな種族がいて、のどかでゆっくりと時間が過ぎていく超日常系な優しい世界のため、転生先として非常に人気な異世界だ。今回のように、精神的に不安定な候補者にはもってこいの世界である。


「とにかく!転生させる云々はまだ決めるべきじゃないよ。そうやってすぐ転生させようとしないこと!いい?」

「はいはい、白澤嬢の仰せのままに」

「本当に分かっているのかな?前科があるし正直信用できない」

「前科って……あれは、転生させて正解だったろ」

「やり方が気に食わないんです!私が風邪で休んでいるのをいいことに、何の相談もなしに勝手に転生させたくせに」

「あーそれは……ドンマイ」

「何がドンマイじゃああああああ!」


 白澤が怒っているのは、少し前に受けた仕事のことだろう。あれは確か、ターゲットが強烈なパワハラを受けていた案件だったかな?相当精神的に参っていて、早く転生させてほしいと泣きながらせがまれたのだった。だがしかし、俺が転生させたのはターゲットの方ではなく、パワハラを働いていた上司の方である。


「あのパワハラ禿げ頭が異世界にグッバイしたと聞いて、私も『えっ?何それ!おもしろい』って思ったのは認めるよ?」

「認めるんだ……」

「だけど!どんなに頭に来ても、ターゲット以外を転生させちゃうなんて……何てことしてくれたのよ!」

「エージェントリーダーは面白い!って言っていたぞ?」

「確かに面白いよ!」

「面白いならよかったじゃないか」

「違うんだよな〜グッバイする時にいるかいないかで面白さのレベルが全然違うの!ちなみにだけど、転生させるはずのターゲットはどうなったの?」

「報告によれば、今は楽しく仕事しているみたいだぞ?」

「何でうまくいっているのよおおおおおお!」

「騒がしい。少し声量を落とせ」


「ふーふーふー……ねぇ、何でターゲットを転生させなかったの?」

「ターゲットの情報、ちゃんと見たか?」

「え?みっ、見たよ?」

「なら、ターゲットが相当優秀な人材だということは分かるよな?社会人になってからも勉強を続け、あらゆる資格を取得しているし、しっかり目標をもって仕事してることも直接会ってみて分かった。何の努力もしなくなり、あの地位に甘んじたどこかの禿とは大違いだ。そこで俺は、会社にどちらの人間が必要か天秤にかけてみた。まぁ、答えは明白だよな?」


「なっ、なるほど……?」

「ターゲットを転生させるのは非常に勿体ない。あの会社に必要な人材だったんだよ。その人材の成長を邪魔するたんこぶがいたから取っ払ってやっただけだ」


「むー、無駄に説得力がすごい……でも、どうやって禿上司を転生させたの?」

「何、簡単な話さ。家族もいない独身禿げ頭だ。遠回しに、転生して髪も人生も取り戻してみませんか?って勧誘してやった」

「えっ?」

「初めは全く信じてくれなかったけど、異世界見学させてやったらころっと転生したぞ」

「あはは……ちなみに、禿上司のその後は?」

「エージェントリーダーが雑談で話してたけど、今まで自分のやってきたことがブーメランになって戻ってきたらしいぞ?他のエージェントに頼んで、昭和の日本のような異世界に飛ばしてやったら、パワハラをする側からされる側になったらしい」


「うわー……ざまぁとはいえ、えぐいね」

「という訳で、俺の判断は正しいと主張する」

「でっ、でも!やっぱり私に相談してほしかったな~風邪で寝込んでたとは言っても、せめて一言くらいあってもいいじゃん……」


 若干不貞腐れ気味の白澤が大きくため息をつく。やめろ。そんな顔をされると多少なりとも罪悪感が芽生えてくるじゃないか。


「まぁ、その点は悪かったと思ってるよ」

「素直に謝られると調子狂うな~」

「俺はどうすればいいんだよ」

「とにかく!今後はこーゆーことの無いよう気をつけること!」

「はいよ」

 

 『次は~曳舟~曳舟~お出口は左側で~す』


 気の抜けたような車掌の声で、ようやく目的地についたことに気付いた。慌てて電車から降り、歩くこと20分ほどで今回のターゲットである氷室の家らしき建物が見えてきた。


「なぁ白澤、あのアパートであってるか?」

「そうみたいだね……こう言っちゃ悪いけど、寂れてない?」

「確か会社の借り上げ社宅なんだろ?大体こんなもんだろ」

「でも、空気が死んでいるというか……」

「それは……まぁ、感じるな」

「生きてるのかな?」

「いや、それは大丈夫だ。さっき知恵の木で調べて生存確認は出来ている。流石にいざ行ってみたら死んでました〜なんて最悪な状況にはならないと思うが……」

「そうだといいんだけどね……」


 白澤が不安を感じるのも無理はない。俺たちが対応する人のほとんどは、例外こそあれど、社会の闇に飲み込まれ、この世界から逃げ出したいと強く願う自殺志願者だ。昔の話にはなるが、エージェントの目の前で、自殺を図った者もいるし、家に行ってみてびっくり!死んでいた人もいた。正直、俺もその状況は避けたい。


「とりあえず、チャイムを鳴らしてみるか」

「あっ、ちょっと待って!少しだけ集中するね」


 チャイムを鳴らそうとした矢先、背後にいた白澤が、いつの間にか隣で耳を澄ましていた。


「先輩、準備オッケーよ!」

「よし、鳴らすぞ」


ピンポン♪


 チャイムを鳴らしてみたものの、中から人が出てくる気配が一切ない。


「どうだ、何か聞こえたか?」

「うーん、何の音も聞こえないね。先輩、もう一回鳴らしてみて!」

「わかった、もう一回行くぞ」


ピンポン♪


「どうだ?」

「やっぱりダメ。お風呂に入っているってこともなさそうだし、足音が全く聞こえない。どうしようか?」

「鍵もちゃんと閉まっているな。どうやら本当に留守みたいだし、また時間を改めるか」

「でももしも、もしもだよ?最悪な状況になってたらどうしよう……」


 その線はあまり考えにくいと思うが、念のため、もう一度知恵の木で調べてみよう。俺は、ズボンのポケットからエージェント専用のスマホを取り出した。このスマホは、知恵の木とリンクしているため、外出先でも知恵の木から情報を入手することが出来る優れものだ。早速スマホを起動し、氷室の行方を調べようとアプリを立ち上げたその時———


「あの~うちに何か御用でしょうか?」


 背後から突然声をかけられて、慌てて振り返ってみると、そこにはまるで死んだ魚のような生気のない目をした男が立っていた。


「えっと……氷室翔平さんですか?」

「ええ。そうですが?」


 突然ターゲットが目の前に現れたことに取り乱す。ただ、最悪の状況だけは回避した。俺は、若干の動揺と安堵から名刺を取り出すことに思わず手こずってしまう。


「えっと、いきなり押しかけてしまい申し訳ございません。実は私、こういうもn———」

「あなたが氷室翔平ね!私の名前は白澤小夏!突然だけど転生しよう!!」

「……は?」


 俺が顔を上げ、話を切り出そうとしたのも束の間。氷室の手を乱暴に掴み、キラキラした目で頭のおかしい台詞を高らかに口走った白澤の声が、ご近所に轟いたのであった。

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