第34話 非常事態発生

 それから慌ただしく時間は過ぎた。

 まず、お得意の販売。まるで戦場であるかのように行きつく島がなかった。終わった頃には精魂尽きた状態であったのは言うまでもない。その途中なのだが、少しだけ気になる事があった。それはとある人物がずっとおとちゃんを遠くから見ていた事だ。しかもただ見ていたわけではない。首に掛けたカメラのレンズ越しに見ていたのだ。もしかしてあれがおとちゃんの元カレだったのだろうか?とも思ったが、これから会う事になっているのだ。それは無いと判断し、俺は無視をする事にした。


 次にイベントに参加する正義先生の付き添い。これはただ正義先生のサポートをすれば良いだけだったので、前者と比べればそこまで疲れはしなかった。しかしそれは肉体的にはという話であって、精神的な疲れはなかなかのものであった。何せ大勢の前に出ざるを得ない状況に陥ったからな。正義先生がいきなり『今回一緒にイベントでコラボをしたイケメンを皆に紹介する』とか言い出さなければこんなに疲れる事はなかったのに……ったく、本当にあの人は……


 で、最後に夕飯であるのり弁を食べつつ、翌日のスケジュールの確認と段取りをスタッフと行って本日の業務は終了となった。


「はぁー……」


 キャンピングカーに備え付けられたシャワーを浴びながら大きくため息を吐き、両手を壁に付けて俯く。


「……疲れた。これは死ぬ。本当に死ぬ……でも――」


 本番はこれからなんだよなぁー……

 相手はストーカーでおとちゃんの元カレでもある。つまり俺にとっては他人であって、得体の知れない相手だ。正直、どんな行動に出るかが読めないから恐怖を覚える。もしナイフとか持っていたらと思うと背筋にゾワゾワと感じるものがある。

 怖いな……もし朝倉の時のような展開になったらと思うとどうしても身震いが……


「……いや、負けるな俺!これはおとちゃんの為だ!あの可愛くて人気声優であるおとちゃ――」


 ふと、俺を『スーたん』と呼ぶおとちゃんの姿が思い浮かんだ。とても幸福そうに笑っている彼女の姿に若干の嫌気が差す。


「……やっぱり止めようかな」


 そんな事を考え始めたところで――


「昴、そろそろ時間だぞゴルァ」


 キャンピングカーの入口付近から愛斗さんの声が聞こえる。

 俺は蛇口を捻ってシャワーを止める。

 そしてすぐに近くの床に置いていた畳まれたバスタオルを拾い上げ、それで体を拭き始める。


「分かりました。今出ます」

「あぁ、頼む。それとだが、面倒な事態が発生したから報告しておく」

「面倒な事態?」


 顔を拭くのを途中でやめ、入口の扉を見て訊ねる。


「実は愛野乙女が姿を消してしまったんだ」

「えっ……」

「約三十分前、彼女はトイレへ行くと言ってブースを後にした。オレはそれに付き添い、トイレの前で待っていたのだが、暫く経っても出てこなくてな。それで他のスタッフに確認してもらったら……」

「姿が消えていた……そういう事ですね?」

「そうだ。もっと早くに気付けていれば良かったのだが、どうにも女性のトイレ事情がよく分からなくてな……すまない」

「それについては超同意なので謝らなくても良いですよ。それよりもこれからどうするかです」


 そう言って再び体を拭き始める。


「おとちゃんがどこにいるか分からない状態って事は為す術が無いという事です。なのでまずはおとちゃんを捜すのが先だと思いますが、愛斗さんはどう思いますか?」

「いや、それについてはさほど問題ではない。彼女には内緒で発信器を付けさせてもらったからな」


 内緒で付けるとか愛斗さんパネェ!!そこに痺れる憧れる!!Wryyyyyyyyyy!!


「って、何でここでジ〇ジョネタなんだよ」

「ん、どうした?」

「いえ、何でもありません」


 マズい。コミケの雰囲気に当てられ過ぎたみたいだ。一旦、頭の中をリセットしないと!

 そう思い、メタル系っぽく激しくヘドバンし、濡れた前髪がおでこにバチバチッと鞭打つ痛みを感じつつ、脳内が空になった気がしたところでそれを止める。

 よし、これで大丈夫だ!


「それで、おとちゃんの現在地は?」

「この敷地外だ。これは……恐らくゲーム製作会社の建物があるビルの中だな」


 ゲーム製作会社って……まさか!?


「そのゲーム製作会社って○○○という名前では?」

「そのとおりだ」


 なるほど、おとちゃんが現在居る場所は、俺とおとちゃんが初めて会ったあのゲーム製作会社があるビルの中らしい。でもどうしておとちゃんはあんな所にいるんだ?もしかして元カレと何か関係があったりするのか?もしそうだとしたら一体どんな関係が?いや、考えるだけ時間の無駄だ。とにかく、今すぐおとちゃんの下へ向かわないと彼女が危険だ。もしかしたら既に元カレと会っているかもしれないからな。


「愛斗さん、急ぎましょう。おとちゃんの身が危険です」

「それもそうだが、それより良いのか?何の準備も無しで」

「それは……」

「取り敢えずとっとと風呂から出てくれ。良い物を渡してやる」


 その良い物というのが気になりつつ、急いで体を拭き、服を着終える。そして車を出ると、愛斗さんがこちらに珈琲の缶を差し出した。


「これは?」

「これはな~~」


 愛斗さんの説明を聞いた後、ついに俺達は決戦の地へ。






 とある建物のとある一室。そこに愛野乙女は監禁されていた。

 両手両足には鎖が巻かれ、身動きは一切取れない。口にはティッシュが詰め込まれ、ガムテープが貼られている。これぞまさに窮地である。

 そんな乙女の傍らには体格が大きい男性が立っていて、ずっと乙女をビデオカメラのレンズ越しに見て恍惚としている。

 そしてこの男性こそ乙女の元カレの【元祖スーたん】である。


「デュフッ!デュフフッ!おおおお、おとちゃん!ぼぼ、僕のおとちゃん!か、かわ、可愛いよ!」


 男は右手でカメラを持ち、左手で自らの股間を揉み揉みする。

 とはいえ、恥部を世間に晒してというわけではない。ズボン越しにである。だがそれでもその行為がおぞましい事に変わりはない。それ故に乙女の背筋を寒気が走る。


「お、おと、おとちゃん!ぼぼ、僕がどれだけこの日を待ちわびていたか分かるかい?」


 乙女は『知らない!』と返答する代わりに男を睨む。


「どどど、どうしてそんな怖い顔をするんだい?ぼぼ、僕の事あれだけ好きっていい、言ってくれたじゃないか!まま、また言って欲しいぉ!」


 そう言うと男はうつ伏せに寝て身動きの取れない乙女の前髪を掴み、顔を上げさせる。


「デュフフッ、か、かわ、可愛いぉ?可愛いぉ、おとちゃん!も、もも、もっと近くで撮ってあげるね!」


 男は乙女の顔にレンズを目一杯寄せ、ハアハアと息を荒くする。


「でで、でも残念だぉ……おお、おとちゃんは僕だけのものだったはずなのに……いつの間にかあんな男と仲良くなって……ぼぼ、僕がどれだけ嫉妬したか分かるかい?


 乙女の映るビデオカメラのモニターをペロリと舐める男。そして「はあはあ……も、もう辛抱溜まらん!」と言うと、胸ポケットに入れていたカッターを右手に取り、刃を出すと、乙女を仰向けに寝かせる。


「おおお、おとちゃんが悪いんだからね?らね?」


 そして乙女のシャツを胸元から一気にへその方へと裂く。

 すると綺麗にシャツとブラが裂け、乙女の乙女たる証の柔肌が外気にさらされる。


「ももも、もう、辛抱たまらあああああああああああああああああん!!」


 それから男がカメラとカッターを後ろへ放り投げ、乙女の両胸に手を伸ばした所で――


「ぉぉぉぉぉおおおおおおおおおうるぅぁぁぁぁぁぁぁぁああああ!!」


 という雄叫びと共に部屋の扉が勢い良く開き、そこから昴が入ってくるのであった。

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