第32話 おとちゃんのヤバい秘密
シャワールーム内にクチュクチュという淫靡な水音と俺の喘ぎ声が鳴り響く。その理由はもちろん、十八禁の行為をおとちゃんと行っているからだ――なんて事になっていればと期待していた人もいるかもしれない。だが残念ながらそんな事にはならなかった。現在、俺は、元エステティシャンであるおとちゃんから頭皮マッサージの施しを受けている。ただそれだけ。今やっているのはただそれだけである。それなのに――
ど、どうしてこんなに気持ち良いんだ……
「お客さま、痒いところはありますかー?」
「はぅん!?だ、大丈夫です……」
「もし痒いところができれば言ってくださいね?私がとっても気持ち良く掻いてあげますから」
「あー、あー、気持ち良い……おとちゃん、最高だよぉー……」
そのまま昇天しそうになるぐらいの気持ち良さだ。おかげで今日一日の疲れが飛んだような気がする。眠ってもいないのに後二日ぐらいはぶっ通しで働けそうだ。さすが元エステティシャンである。
「それにしても、かなり清潔にしてるんですね」
「どうしてですか?」
「フケが落ちないので。本当ならどれだけ清潔にしていても一つぐらいは落ちるものなのですが……一切それがない。もしかして日頃から頭皮ケアをしてたりします?」
「いえ、でも妹の一人に『お兄は将来禿げそうだね』って言われた事があって、それを気にしてシャンプーとコンディショナーには気を使っていますよ」
これは本当の事である。妹の一人、詳しくはキラにそう言われたのだが、それがあまりにもショックだったのでこの二つは高級なものを使っている。
キラに言われた時の光景がフラッシュバックされ、若干気が落ち始める。と、ここでおとちゃんが「プッ!」と吹き出してそのまま爆笑を開始した。愉快そうに両手を叩く始末だ。
「ちょっと!笑い過ぎですから!」
「いえ、だって、アへ顔先生が妹に『将来禿げそうだね』って言われて気にするような人だとは思ってもみなかったから!キャハハッ!」
嗚呼、笑われた……泣きたいわぁー……
と、思ったところでおとちゃんが頭皮マッサージを止める。
どうしたんだ……?
「あの、アへ顔先生……」
「……はい」
普段より低いトーン。そして若干震えた声。おとちゃんがこれから真剣な話をするつもりなのだと察し、こちらも低い声で返事をする。
ドクンドクンという激しい鼓動がおとちゃんの方から聞こえるような気がする。幻聴なのだろうが、そのせいでこちらも緊張してきた。
互いに固唾を飲み込む。そして――
「こここ、これからはスーたんって呼んでも良い……ですか?」
「……はい?」
予想外の願望に思わず頓狂な声で訊ねる。するとおとちゃんは照れ隠しのつもりか、両手で俺に目隠しをした。
「うぎゃあああああああ!!」
俺の目に泡が侵入した。
「し、滲みる!泡が目に滲みるぅぅぅ!!」
「ご、ごめんなさい!」
おとちゃんは慌ててシャワーの水を出し、俺の髪に付いたシャンプーを流す。一方、俺は目を瞑って痛みが引くのを身を震わせながらジッと待つ。そして数秒して痛みが引いたところで、おとちゃんもシャンプーを流すのを止めた。
「本当にごめんなさい!」
「うごっ!?」「あだっ!?」
頭を下げたおとちゃんの額と俺の後頭部がごっつんこ。あまりの激痛に俺は後頭部を両手で押さえて丸くなり、おとちゃんは額を両手で押さえて仰け反る。で、互いにプルプルと震えながら痛みが引くのを待つ。
な、何だこのコントは……
「何度もごめんなさい……」
先に口を開いたのはおとちゃんだ。彼女は謝罪しながら額から両手を離し、そのまま指を絡めて気まずそうな表情になった。
「い、いや、大丈夫です……それよりスーたんとは?」
「実はですね、私、昔ペットを飼っていたんです!そのペットの名前は何と……何と……アへ顔先生と同じ昴だったんですよ!」
「……はぁ」
「それでですね、私はそのペットをスーたんって呼んでいたんです!」
「だから僕にもその呼び方をしたいと……そういう事ですか?」
「はい!」
周囲に星が現れるんじゃないか思ってしまう程のキラキラとした笑み。眩しさに俺は目を細める。
「因みに犬ですか?猫ですか?それとも――」
「豚――」
へぇー、豚をペットにする人ってやっぱり居るん――
「――野郎です!」
「……へ?」
待て、今、おとちゃんは何て言った?俺の聞き違いじゃなければ【豚】って言った後に【野郎】って言ったよな?いや、きっと聞き違いだ。そうに違いない。でもそうじゃない可能性もあるわけで……聞いてみるか。
「もう一度言って」
「豚野郎です!」
「…………」
聞き違いじゃなかったぁー!!
「ついでに言えばヒモ男です。そして一言で言えば人間のクズでした。働けないのは俺のせいじゃない。社会が悪いと思っていて、いつもパチンコに行くし、浮気もするし、本当にクズの豚野郎でした!」
「そ、それは何て言うか……最――」
最低ですね、と言おうとしたら――
「最高ですよね!?」
と言われた。
「…………」
先程よりもキラキラとしながら鼻息荒くするおとちゃん。どこからどう見ても思い出して興奮している。
あー、分かった。おとちゃんは……ダメ男が好きなんだ……Oh my god!!
頭を抱えて大いに衝撃を受けてしまったが、コホンと咳払いして冷静に戻る。
「あー、何だ。取り敢えずだが……」
「はい!」
「……却下させていただきます!!」
「えぇー!?」
いやいや、そこまで驚かれてもなのだが。
「どど、どうしてですか!?」
「無理なものは無理だからです」
てか嫌過ぎるだろ。クズの豚野郎と同じ呼ばれ方をするとか。
「じゃあ養いますから!私がスーたんを養いますからぁー!」
「スーたん言うな!!」
涙目で懇願しながら、こちらに抱き付こうとするおとちゃんの顔に両手を付けて、彼女を突き放す。
「私の事、嫌いですか!?」
「いや、嫌いではないですけど――」
「ならスーたんと呼ばせてください!というか呼ばせろこの豚野郎!!」
「ちょっ!?豚野郎に格下げされてるのですが!?」
「あぁ~ん!じゃあこれからも時々で良いのでお世話させてくださいぃ~!それだけで我慢しますから!だからお願いしますぅ~!!」
「お断りします!!」
「じゃあ私と付き合ってください!そしてダメ男になってください!」
「要求が重い!てか俺には養わないといけない家族がいるのでそれは無理です!」
「養わないといけない家族……?」
ピタリと動きを止めるおとちゃん。
「まさかその若さで既に結婚を――」
「してません。ただ家庭の事情で妹二人を養っているだけです」
「そう……なら私が纏めて面倒を見てあげます!だから……ダメ男の豚野郎になってください!!」
そして再びこちらに抱き付こうとする。しかももう歯止めが利かなくなっているのか先程より力が強い。それに呼吸も荒いし、興奮で頬が赤く上気しているし、目の焦点も合っていない。さながら、危険な薬をやっている人だ。
「はあはあ、そ、そうだ!今、既成事実を作れば良いのよ!」
「へ?」
「大丈夫!1ccだけで良いので!」
「何を!?」
「ナニを……ですよ!!」
今度は俺の股間に両手を伸ばそうとするおとちゃん。
「あー、もう!!こうなったら――」
「こうなったら諦めて私の旦那さんになるのですか!?そうなのですか!?」
「違うわぁ!!こうなったら……」
おとちゃんの頭を両手で掴む。
「へ?」
そしてキョトンとするおとちゃんの額に――
「どっせぇーい!!」
「はぎゃん!?」
――渾身の頭突きをお見舞いする。
「きゅぅぅぅぅぅぅ……」
幸いな事におとちゃんは一撃で気絶した。
「や、やった、仕留めた……てか――」
どっと疲れが来たので、床に座り込んで壁に背を付ける。そして精神的ダメージから両手で顔を覆う。
「――おとちゃんのヤバい秘密を知ってしまった……」
俺はあまりのショックに暫くその場から動けなくなるのであった。
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