第28話 これから気持ち良い事……しませんか?

「しまったぁー!!」

「ぬわろっ!?」


 新幹線での移動中、俺は絶叫し、仮眠を取っていた正義先生はそれに驚き目を覚ます。

 正義先生の両肩に手を置く。そして凄み混じりに俺は訊ねる。


「正義先生!夏コミの日、休みをください!!」

「それはダメよ……約束だし……」


 眠い目を擦りながら当然の如くそう答える正義先生。


「確かにそうですけど、でも夏コミは俺にとって大事なイベントなんです!!だから……お願いします!!」


 相変わらず正義先生の両肩を掴みながら頭を下げる。すると正義先生は目を擦るのを止め、視線を右斜め上に向けて考え込む素振りを見せた。そしてこちらに視線を戻すと俺の肩に手を置き返す。


「休みはあげられないけど、夏コミに参加させてあげても良いわよ」

「どういう事?」


 言っている意味がよく分からない。理解不能過ぎて思わず首を傾げてしまうぐらいだ。


「その日のスケジュールを見たら分かるわよ」

「その日の……」


 言われたとおり、スケジュールを確認してみる。


「……おっ!」


 丁度、夏コミで行われるイベントに参加する予定が入っていた。しかも三日連続、つまり開始から終了するまでの時間だ。


「しかもハードじゃない……ん?」


 よくよく見るとスケジュールの半分は同人誌のブース管理となっている。

 これはどういう意味だ……?管理……管理……うーん……


「あの……ブース管理って何ですか?」

「端的に言えば同人誌の販売よ」

「えっ!?正義先生も参加するんですか!?」

「もち」


 正義先生はしたり顔をしながら右手の親指をグッと突き立てた。


「……ん?」


 待てよ……正義先生が参加するんなら同じブースで販売する事も可能なんじゃ……

 忙しかったから俺はまだ参加の申請をしていない。時期的にはこれから申請しても参加出来ない可能性が高い。それなら正義先生が使うスペースを少しばかり借りれば良い。グレーな方法ではあるが、正義先生と俺の共同サークルという事にすれば参加は可能だろうしな。でも正義先生がそれを許してくれるとは思えない。そもそも彼女のブースの広さが分からないのだからそれは難しいと思われる。だが一応、聞いてみる価値はあるだろう。


「正義先生、ブースのスペースを少しだけ借りたいのですがそれは可能ですか?」

「その理由は?」

「最もの理由は申請する手間が省けるからです」

「それ以外の理由は?」

「俺と先生は仕事仲間です。それを知っている人の間でかなり話題になるかと」

「ふむ、つまり互いに儲かるって事だね?」

「そのとおりです」


 そう言いながら俺はコクリと頷く。すると正義先生は顎に右手の人差し指と親指を付け、視線を斜め下に向けて「ふむ」と呟き考え始める。

 彼女の目をジッと見ながらその返答を待つ。

 緊張で無意識にゴクリと唾を飲み込む。

 正義先生が顔を上げてこちらを見た。そして彼女はニコッと笑いながらこう答える。


「許可しよう!」


 っしゃ!

 右拳を後ろに引いて小さくガッツポーズ。

 これで面倒を省く事が出来た!


「でもさっき言ったとおり、休みは一切あげられない……絵を描く暇は無いと思うけど大丈夫なの?」

「大丈夫です!というか秘書仕事が始まる前日にはもう完成していました!」

「ほう、それは賢明だね……よし!」


 バチンと右手の指を弾く正義先生。そして彼女はニカッと笑いながら言う。


「決まり!そしてサークル名は【アへ顔は正義!】にしましょう!」


 うわぁー、嫌だなぁ……もっと良いサークル名は思い浮かばなかったのだろうか……


 そんな事を考えながらスマホを操作し、おとちゃんに【参加しますよー。それで、相談とは何ですか?】と返信するのであった。






【始めに、変な女だと思わないでくださいね?

実は夏コミの日、会場で仕事があるのですが、その仕事をキャンセルしたいんです。

でも『その仕事はとても大事だから』って事務所の社長が言うんです。

私、どうすれば良いのでしょうか?】


【仕事をキャンセルしたい理由は何ですか?

それ次第でアドバイスの内容が変わると思うのですが……】


【実は殺害予告をされていまして……

内容は『夏コミの日、お前を殺す』というものでした。

私、怖くて怖くて……

だからキャンセルしたいんです……】


【なるほど、警察には相談したんですか?】


【いえ、今は声優として大事な時期なので、そんな事をして悪評が立ってしまったらと思うとどうしても……】


【まあ、世の中、何が原因で炎上するか分からないですからね】


【そうなんです。

だからどうして良いか分からなくて……】


【ですよね。

因みにですが、夏コミの日はどんなお仕事をする予定なのでしょうか?】


【正義師匠のブースで同人誌を販売する仕事がメインですが、その途中、とあるイベントに出演して歌う事になっています】


【僕も正義先生のブースで同人誌を販売する予定です。

なのでその間、僕がおとちゃんの身を守るというのはどうでしょうか?

嫌ならいいですけど……】


【是非ともよろしくお願いします!!

では当日、会場でお会いしましょうね、アへ顔先生!

愛しています♥️

キャッ!言っちゃった!

ではでは~!】


 というやり取りを仕事の合間に行い。ついにその日が訪れるのであった。






「はあ……はあ……せ、正義先生!急いでください……はっ……はっ……」

「待っ……て……あ、アへ顔……先生……ぜぇー、はぁー……」

「あー、もう!じゃあ背中押してあげますから!」

「ぜぇー……あり……がとう……はぁー……」


 会場へ全力疾走しながらそんなやり取りをしていた。

 何故こんな事になっているのかと言えば、それは電車が一時運休をくらったからである。確か人身事故があったとかなんとか。それ故のこの惨状である。

 一応このペースだと遅刻する事は無い。だがどうやら正義先生の体力が限界を迎えているらしい。走り方がおかしい。全然足が上がっていないし、手の振りも小さい。というか振っているのか見て分からない状態だ。しかも背中が極限まで丸まっている。これでは走るもクソもない。


 正義先生の背後に回り込み、全力で前に押し続ける。

 うっ、重い……

 別に正義先生の体重の事を言っているわけではない。でも彼女の背中を押しながら走るのはかなりしんどい。ブースに着く頃にはもう腕が上がらなくなっていそうだ。


 会場に入る事が出来た。ここからは走る事が出来ない。それは夏コミのルールだからだ。なので速足の状態で正義先生の背中を押し続ける。


「あー、楽だぁ……もっと押して……ていうか抱っこして……お姫様にするようなやつ……」

「い・や・で・す!自分で歩けっての!」

「雇い主に向かって何て事を……本当に……恐ろしい子!!」


 何故か白目を向く正義先生。

 何をやっているんだこの人は……


「あー、はいはい。それよりもうブースが見えました!後少しですよ!」

「むむっ、それは行幸でござる!というわけでもう押さなくても良いわよ」

「了か――」

「だからお姫様抱っこして!」


 振り返り、俺の首に両手を回し、唇を尖らせながらそんな事を言う正義先生。これではお姫様抱っこというより接吻である。

 うわぁー、面倒臭ぇ……誰か助けてくれないかなぁー……

 そう思っていると――


「あっ!アへ顔先生!おはようございまーす!」


 先に会場入りして販売の準備をしていたらしいおとちゃんが、ブース内から右手を振って挨拶した。

 そのおとちゃんにこちらも右手を振り返し、正義先生を置いて彼女の下へ。背後から正義先生の「いけずー」と言う声が聞こえたが、それは当然の如く無視させてもらった。


「おはようございます、おとちゃん」

「アへ顔先生!今日は色々とよろしくお願いします!」

「……まっかせなさーい!」


 おとちゃんの言った色々には当然、殺害予告の件も含まれている。固唾を飲み込んだ後、俺はそれを承知でドン!と胸を叩いて返答するのであった。






【第百回、夏のコミックマーケットを開催いたします!それでは皆さーん!いっきまっすよぉー?五!四!】


「「「三!二!一!ゼロォー!!」」」


 イベント会場にいる全員が声を揃えてカウントダウンを終えると、すぐさま入場が始まった。

 人が一斉に雪崩れ込んで来る様は、まるで堤防の決壊を彷彿とさせ、俺は圧倒させられる。

 それからすぐに俺達のブースには行列が出来た。人気ラノベ作家である正義先生と人気同人誌作家である俺が共同で作った作品も置かれているのだが、それの売れ行きがとてつもない。一時間も経たずに二百はあった在庫が無くなった。で、そのせいで行列は短くなるだろうと思っていたのだが、どうやらその逆だったらしい。拍車が掛かって行列は更に長くなった。さすが人気作家だ。


 ひ、人が多すぎる……終わりが見えない……


 あまりの忙しさに目を回し、絶望を感じ始めたところで――


「ごめんなさーい!午前の販売はこれで終了でーす!繰り返します!午前の販売はこれで終了でーす!!午後の販売は十三時からを予定していまーす!」


 幸いと言って良いのか、在庫が無くなった。俺の分も正義先生の分も全てだ。

 お客さんのブーイングを聞きつつ俺は机に突っ伏す。そして心底思う。


 やっと終わったぁー!!


 と、ここでおとちゃんが俺の左の耳元に口を寄せてきて――


「アへ顔先生、これから気持ち良い事……しませんか?」


 とても甘い声音でそう言った。

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