俺、〇畜の気持ちを理解する?
第27話 俺、社畜の気持ちを理解する
これは和樹が帰ってきた日に俺が正義先生と交わした話の一部である。
俺は正義先生を膝枕しながら彼女への恩を感じていた。それをエスパーの如く感知した正義先生は、やや回りくどくこう言った。
「いやぁー、実はだね。来月、わたしは色々と忙しいのだ。だから秘書になってくれる人を捜していたのだよ」
秘書か……夏休みが潰れるが、それならやっても良いような気がする。でも内容次第になるよなぁ……よし、訊いてみるか。
そんな事を考えた後、俺は訊ねる。
「因みに雇用形態と内容はどうなるんですか?」
それに対する返答はこうだ。
「就労時間は一日二十四時間、社保無し、労災無し、そんかし給料は……百万でどう?あっ、もちろん税務処理をした額で百万よ」
なかなかハードだが百万円も貰えるのか。これはなかなか良いかもしれない。でも――
「――給料は無しで良いです」
俺がそう返した理由は、給料を貰ったら代償にならないと考えたからだ。
その考えをこれまたエスパーのように感知した正義先生はこう言う。
「おっ!て事は秘書をしてくれるのかい?」
そして俺は「よろしくお願いします」と答えるのであった。
で、その来月になった八月一日。つまり学生にとっては貴重な夏休みになるわけだが、その時間を早速正義先生へと捧げていた。
秘書という仕事について何も理解していなかった俺だが、初日でその洗礼を受ける事となった。
「畜生!何でこんなに差し入れを買う必要があるんだよ!」
現在、これから正義先生がお世話になるゲーム制作会社への手土産を買った帰りなのだが、その差し入れの数が規格外となっていた。
有名パン屋の高級サンドイッチになるのだがそれを百個買った。買い物袋で言えば十袋分はある。その重量は八キロ近くあるのではないだろうか。それを持ったまま1キロ近く歩かないといけないのだから、それはもう重労働だ。半分ぐらいまで来たけど、既に両腕がパンパンである。握力に至っては、とうに限界を超えていて、筋肉に異常をきたしているらしく、袋を放そうとしない。
「馬鹿か!?馬鹿なのか!?」
と、愚痴を吐き出すものの、それでこの地獄が終わるわけもなく、ただひたすら歩く。
『ならタクシーを使った方が良くね?』と誰かに言われそうだから一応説明しておくが、現在、道が混んでいるし時間も無い。だからこれは仕方のない事なのだ。
「ったく、ブラック企業の社畜になった気分だ!」
給料も無い。保険も入っていない。労災も無し。
給料については、自ら受け取りを断ったから自業自得だとして、これはさすがにそうとしか言いようがない。
秘書になってまだ二時間も経っていないが、その大変さを痛感する俺であった。
「はあ……はあ……はあ……お、お待たせしました……」
やっとスタジオに到着し、正義先生に報告する。
「お帰り。丁度お昼休憩の時間だからスタッフの飲み物を用意して」
「し、承知しました……」
即座にスタッフの数を数える。総数二十五名。これだけの分の飲み物を一人で用意しないといけないのか、と思い憂鬱な気分になりそうになるが、頭を振ってそれを吹き飛ばし、用意を開始する。
飲み物は五百ミリリットルのペットボトルに入った水が十本と、二リットルのペットボトルに入ったジュースがいくつかある。水はそのままで良いとして、ジュースはコップに入れた方が良い。だがいくら五百ミリリットルのペットボトルとはいえ、コップを使う人もいる。なので俺はペットボトルを並べ、紙コップを用意して、スタッフに何を飲むか訊ねてから飲み物を渡してゆく事にした。
「何を飲みますか?」
早速スタッフがこちらに来て、椅子に座ったので訊ねるが――
「淹れるのは自分達で出来るから大丈夫だよ」
と返された。
「そうですか……ではセルフでお願いします」
「はいはーい」
ここで背後から何者かに右肩をツンツンと突っつかれる。
振り返るとそこには人気女性声優が立っていた。
「どうしましたか?」
「君、もしかして同人誌を描いてたりする?」
「はい、まあ……」
「ペンネームは何て言うの?」
「思いっきり変態っぽいですが、一応【アへ顔至高伝説】というペンネームで描かせてもらっています」
そして石像のように固まる人気声優さん。
あー、これはドン引きってヤツだな。てか女性の前でアへ顔なんて単語を発する事になるとは……最悪にも程がある。
そう思っていると、いきなり人気声優さんの目がカッと開かれた。それからすぐに大きく息を吸い込む。
あっ、これは絶対に悲鳴を上げられる。嗚呼、早速正義先生に怒られるなぁ……
取り敢えず悲鳴のせいで鼓膜がダメージを受ける事を避ける為、両耳に手を当てる事にする。が、その直前で人気声優さんは意外な事を言うのであった。
「大ファンです!握手してください!」
「……へ?」
予想外な台詞過ぎて俺は素っ頓狂な声を発する。
ふと周りから沢山の視線を感じ、辺りを見回すと、ほぼ全員がこちらを見ていた。人気声優さんもそれに気付き「み、皆さん気にしないでください!」と頭を下げる。それに合わせて俺も頭を下げる。
「それより握手してください!というかこちらからしちゃいますね!」
興奮しながら極力小さな声でそう言うと、人気声優さんは勝手に俺の右手と握手した。
「うわぁー、うわぁー!こ、この手であのアへ顔を書いているのかぁー!うわぁー、感動だぁー!」
『うわぁー』を連呼し過ぎだろ。てかこんな有名人が俺のファンだとは……世の中分からないものだ。
「私は声優の
「知ってます。通称おとちゃんですよね?実は僕もあなたのファンなんです。出ている作品は殆ど観ていますよ」
これは本当の事である。あまりにもファンなものだから、彼女が所属している声優歌手グループのライブに何度も行っているし、出ている作品は何度も見返している。
「そうなんですか!?うわぁー、光栄です!あっ、良かったらid交換しませんか?」
「えっ、良いんですか!?」
「もちのろんです!それより――」
おとちゃんはジーンズの右ポケットからスマホを取り出した。そして目にも止まらぬ速さでそれを操作すると、idであるバーコードを画面に映し出した。
「――はよ」
「は、はい」
俺は辿々しくスマホを操作してバーコードリーダーを起動させると、バーコードの読み取りを開始する。
三秒後、おとちゃんのid登録が完了した。
「アへ顔先生、あなたは何をしてるのかなぁー?」
「はひぃっ!?」
右の耳元で正義先生の声が聞こえた直後、息を吹き掛けられ、あまりのこそばゆさと驚愕に小さな悲鳴を上げてしまった。
「別にナンパするのは構わないんだけどぉー、今君は仕事中なんだけどなぁー?」
「ちょっ!?待っ!痛っ!?や、止めてください!」
喋りながら丸めた台本で何度も俺の頭を叩く正義先生。その右のこめかみにはぶっとい血管が浮かんでいる。笑顔を浮かべているが、どうやらかなりお怒りのようだ。
「しかも人気声優のおとちゃんをナンパするとはぁー、もしかしてミーハーですかぁー?そして面食いですかぁー?」
「違います!そもそも話し掛けて来たのはおとちゃんからで――」
「はあ?おとちゃん?わたしというものがありながら何でそんなに親しくしてるのかな?かな?」
「何ですかその如何にも僕と正義先生が出来ているみたいな言い方は!?」
「一夜を共にした仲じゃない」
「でもずっと仕事の話をしていただけでしょ!」
「はい、口答えしなーい」
そんなやり取りをしながらも正義先生はずっと俺の頭を叩いている。
俺はその攻撃を一切避けずに反論するのみ。
ふと、おとちゃんを見ると彼女は苦笑していた。
「それよりお昼にしましょう」
ここでやっと正義先生の攻撃が止む。
「というわけでおとちゃん、あなたはわたしの横よ。アへ顔先生の良いところを沢山話してあげるわ」
「アへ顔先生の良いところ……それは魅力的ですね!」
そんな会話をしながら二人は少し離れた場所にあるテーブルに置かれた弁当を取りに行った。
スマホの画面を見ると、おとちゃんのプロフィールが映し出されていた。
俺はそのプロフィールを見ながらお昼御飯を食べるのであった。
昼休みが終わると、俺はすぐに正義先生に仕事を振られた。その内容はまた買い物。しかも手に入れるのが面倒な物だった。
まず明日沖縄でイベントが開催されるから、という事で飛行機のチケットを手に入れないといけなかった。これはインターネットで予約が出来たから、明日空港へ行けば貰える事になっている。
次は生理用ナプキン。コンビニで手に入れる事が出来たが、その際かなり気まずかった。店員の『あの人が使うのかな?』『だろうな』というヒソヒソ話を聞いてしまった時は死にたくなった。
それから昔なつかしの煙草っぽいチョコレート。これに関しては駄菓子屋で見付かった。
北海道の田舎駅に売られている弁当を二個。これは買って戻るまでに半日は掛かった。指定された移動手段が電車と船だったので、それだけ時間が掛かるのは仕方ない。せっかくなので移動中に睡眠を取った。
帰ったら帰ったで即座に沖縄のイベントへ。だが会場に居たのは一時間だけですぐに地元へ逆戻りし、丸二日不眠不休で執筆活動に付き合った。
そんなこんなでいつの間にか一週間が経過したところで、俺は大事な事を思い出す。切欠はおとちゃんからのメッセージだった。
【こんぱんは、乙女です!
夜遅くにごめんなさいm(_ _)m
唐突ですが、アへ顔先生は今年の夏コミ参加しますか?
もしするのでしたら相談したい事があります。
返信待ってます!】
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