第25話 その罪が妥当なのかどうなのか、分かるのはきっと神のみである

「よう」


 和樹と話をする為の心の準備をあまりしていなかったので、若干声が上擦ったが、なるべく冷静に挨拶。


「こんばんは」


 和樹は覇気の無い声で挨拶を返した。きっと疲れているのだろう。表情もそんな感じを思わせるものとなっているからそうに違いない。

 今日は色々あって大変だったんだ。こうなるのも無理はない。

 そう思い、和樹を労うべくその両肩に手を置こうとしたが、後ろに下がって避けられた。


「広瀬氏、何故避ける?」

「すみません、兄貴の目がやらしくて身の危険を感じたので」


 和樹が言った直後、朝倉の方から何故か苛立ちの視線を感じる。


「待て、俺はただお前を労おうとしただけで!」


 弁解するべく和樹の方へ一歩踏み出したら、それに合わせてまた後ろに下がられた。


「…………」


 これ程和樹に警戒されるとは思ってもみなかったので、あまりの衝撃にガクリと項垂れる。

 一緒に風呂にも入った仲なのに……ちょっとしたSMも二人で楽しんだのに……うぅっ……


「それよりお手洗いに行きたいのでそこを退いてください」

「はい……どうぞお通りください……」


 右横に一歩動いて道を開ける。すると和樹はすぐに俺の横を通過した。


「連れションするか?」

「兄貴、本格的に気持ち悪いです」


 そして和樹はこの場から姿を消す。


「気持ち悪い……和樹に気持ち悪いって言われた……ん、どうした?」


 何も言わず、和樹が歩いて行った廊下をただ見詰める朝倉を怪訝に思いそう訊ねる。


「……いえ、ただあの子の進行先にお手洗いがあった記憶が無いから少し気になっただけよ」

「トイレが……」


 和樹が歩いて行ったのは、先程俺達が歩いていた道だ。その道を歩いている間、トイレは一つも無かった。あるとしたら病室が幾つかとエレベーターと屋上へ続く階段のみである。


「……そう言われると確かに」

「嫌な予感がするわ。彼の後を追いましょう」

「あぁ、そうだな」






 広瀬和樹はトイレには行かず屋上へと来ていた。


 ――風が冷たい……


 季節は夏手前。やがて暑くなるとは言ってもまだまだ夜は冷える。風が冷たいのは当然である。しかし冬ほどではないので、丁度良い冷たさと言えよう。実際、和樹はこの風を受けて気持ち良いと感じている。


 ――この風が僕の憂鬱も吹き飛ばしてくれると良いんだけど……


 だがそんな都合良く行くわけもなく、そう思った後、更に憂鬱な気分になった。


 ――これから僕、どうなるんだろう……警察に捕まっちゃうのかな……


 そうなるときっと将来困る事になるだろう。そう思うと尚も憂鬱な気分になる。でもこれは自業自得だ。いくら母親に脅されてやった事とは言え、実行したのは自分である。その罰は当然受けねばならない。だが罰を受けるという事は、つまり少年院に入るという事。そうなったら自分はどうなるのか?どこぞの映画みたいに掘られるのではないか?少年院を出た後、どうすれば良いのか?そしてどこへ行けば良いのか?不安は募るばかりである。


 ――そうなるぐらいならいっその事……


 そう思い、フェンス際へ行くと下に目を向ける。


「うっ、高い……」


 正確な高さは分からない。だがここは五階建ての病院の屋上だ。飛び降りたらほぼ確実に死ぬ。

 ふと、自分が死んだ直後の姿が脳内に浮かんだ。吐き気を覚える程悲惨なもので、思わず右手で口を塞ぐ。

 そして死ぬことを諦めて後退しようとしたところで屋上へ続く階段を物凄い勢いで上がる足音が聞こえたかと思ったら、すぐに扉が開き、そこから昴が飛び出して来た。


「和樹!!変な気を起こすのは止めるんだ!!」


 すぐにこちらに気付いて叫び声を上げる昴。


「兄貴……」


 ――どうしてここに居る事が……それにどうしてそんなに泣きそうな顔をして……


 そんな事を考えていると、昴がこちらへ近付いて来た。


「こ、来ないでください!!」


 咄嗟に三メートルを超える高さのフェンスをよじ登ろうと右手を伸ばして思いっきり跳躍する。

 上昇する速度がゼロになったところでフェンスを掴み、そこから更に左手を伸ばして登ろうとしたところでその左手に激痛が走った。


「あっ……」


 あまりの痛みに思わず右手を放してしまい、和樹は後ろ向きに落下を開始する。このままでは背中を強打してしまう。最悪、後頭部の頭蓋が陥没するかもしれない。そのせいで植物人間になる可能性も大いにある。そんな状態になった自分を想像すると、嫌で嫌で仕方がなくなった。でもこれは罰なのかもしれないと思うと、自然と受け身を取る気が無くなった。なので和樹はそのまま落下する事にした。が――


「どっせぇーい!ゴフゥッ!?」


 コンクリートに激突する寸前で昴が下敷きになったので怪我をする事は無かった。けれど代償として昴はかなりのダメージを受けたらしい。下敷きの状態で和樹を抱き締めたまま口をパクパクさせ、ビクンビクンと痙攣している。


「大丈夫ですか!?兄貴!兄貴ー!!」


 そして昴は動かなくなるのであった。






 寒さを感じて脳が覚醒を開始する。

 後頭部に暖かくて柔らかい感触がする。

 この感触は……まさかおっぱい!?いや、それにしては俺が想像していたものよりも若干硬いな……なら何だ?

 感触の正体が無性に気になって目を開ける。すると眼前に和樹の心配げな顔があった。その顔の向きが逆さになっている事から俺は全てを理解する。

 なるほど、膝枕か。


「良かった……目を覚ましてくれた……」


 涙目と震える声で呟くようにそう言うと、安堵の表情を浮かべる和樹。その顔が月明かりに照らされ、とても美しいと思い、つい見惚れてしまう。


「兄貴?どうして僕の顔をジッと見てるんですか……?もしかして怪我を!?」

「あっ、いや、違う。ただお前に見惚れ……何でも無い。気にするな」


 危うく臭い台詞を言いそうになった事を隠す為と、これ以上見惚れないよう右を向いて和樹から目を逸らす。

 いや、ここはさっさと和樹の膝から退くべきだろ!!と、誰かに言われそうだが、男の娘に膝枕をされるなんて事は滅多に無いんだ。男としてここは退くべきではない。

 そんな邪な事を考える俺を不思議そうな表情で見詰める和樹。だがすぐに笑みを浮かべ、俺の前髪を撫でた。


「変な兄貴ですね」

「それが俺の持ち味だからな」

「そうですね」

「あぁ」


 そして僅かな時間、静寂が訪れた後、先に俺が口を開く。


「死ぬつもりだったのか?」

「……はい。でも死ねませんでした」

「俺が邪魔したからか?」

「いえ、あまりの高さに怯んだからです」

「……そっか」


 そんなやり取りをしながらも、ずっと前髪を撫でられ続け、背中にむず痒さを感じる。でも悪い気はしない。寧ろ落ち着くので自然と和樹の返答に怒りや悲しみは湧かなかった。


「どうして死のうとしたんだ?」

「将来の事を考えるとどうしても憂鬱な気分になったからです」

「そっか」


 ここで俺は和樹の右手を右手で掴んで前髪を撫でるのを止めさせる。そして和樹の手を上にずらすと、率直な気持ちを告げる。


「バーカ!」

「……へ?」


 驚いた様子で素っ頓狂な声を発する和樹。そんな彼を無視して俺は続ける。


「もう一度言う。バーカバーカ!お前は本当にバカだ」

「兄貴、それ一度じゃないです」

「うっさいバーカ!」

「またですか!?」

「あぁ、何度でも言うぞ。お前はバカだ」

「うぅっ、酷い……」


 心底酷いと思っているのだろう。和樹の目にうっすらと涙が浮かび始めた。

 迷惑を被ったから本格的に泣かせたいところだが、そうなると話が進まなくなるので、罵倒はここまでにする。


「後は全部俺に任せてくれ……そう言ったのをもう忘れたのか?」

「いいえ、覚えています。でもこれ以上兄貴に迷惑を掛けるわけには……」

「なあ、和樹。俺はお前の何だ?」


 和樹は考え込むように目を閉じる。それから五秒程して結論を出したようで目を開けた。


「兄貴……でしょうか?」

「あぁ、そうだ。俺はお前の兄貴だ。血は全く繋がっていないが紛れもなくお前の兄貴だよ。そして兄が弟を守るのは当然……だから後は俺に全部任せて欲しいんだ」

「でも……でも僕は兄貴を……悲しませて……それなのに後を任せるなんて……そんな事出来るわけが……」


 罪悪感に苛まれているのだろう。和樹の目から大量の涙が流れ始め、俺の両頬に何度も滴り落ちる。


「……出来るわけがないですよ……」


 そう言いながら和樹は、自分の顔を両手で覆い、何度もしゃくり上げる。


「自分を許せないか?」

「うぅっ……ヒック……はいぃ……」

「なら俺がお前に罰を与えてやる」

「罰……?どんな罰ですか……?」


 そうだな……咄嗟に出た言葉だから考えは纏まっていないが、ここは……きっとこう言うべきだろう。


「一生俺の奴隷として付き従え。それが罰だ」

「……そんな事で良いのですか……?」

「いやいや、全然そんな事じゃないぞ?家事全般と俺の世話を一生しなくちゃならないんだ。それに俺はかなりワガママだからそれはもう苦労すると思うぞ」

「そうかもしれません……でもやっぱりそんな事です……僕には軽すぎます……」

「よし、それなら俺の性欲処理も付け足すとしよう!これならどうだ?」


 右手の人差し指をピンと立ててそう言い加える。だが本心ではこう思っている。

 まあ、絶対にそんな事はさせないんだけど。和樹の男としての経歴に傷が付くからな。

 と――


「それは……本当に苦労しそうですね……兄貴、性欲強そうだし……」

「あ、あぁ!俺の性欲は凄まじいぞ!確実に朝までコースが連日続くだろうな!」

「頭がおかしくなりそうです……色んな意味で……」

「まあ、朝までが連日なんだからな!」

「…………」


 で、何故か無言になる和樹。だがすぐに袖で涙を拭い、両手を退けて笑顔を見せるとこう言う。


「分かりました!その罰を受けます!」

「あぁ!だから後は全て俺に任せてくれな!」

「はい!」


 そして俺達は互いに笑みを浮かべる。心からの笑みを……






 それから暫しの間、談笑した後、俺達は和樹の病室へと帰る事にしたわけだが、その途中で二人の男性警官と遭遇した。

 二人は俺達が見付かるや、トランシーバーで仲間と連絡を取り、そのまま和樹を病室へ連行した。

 どうやら目覚めたから早々に事情聴取をしたいらしい。

 俺は和樹との別れ際、彼に告げた。


『絶対になんとかしてみせるから!だから心配しなくても良いからな!』


 が、何をどうなんとかするのか、その詳細を話す事は出来なかった。それははっきりとした案が浮かんでいなかったからだ。でも絶対に俺が何とかしてみせる。和樹が幸せになれるようにしてみせる。その気持ちだけははっきりしていた――

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