第23話 幸せになっても
俺と朝倉とお兄さんは三人で和樹の家へ向かっていた。
和樹の住所を突き止めた、というかその可能性を手に入れる事が出来た理由は、言わずもがな、ネットオークションが関係している。
俺は無事、腕時計を落札する事が出来た。その腕時計が郵送されて来た時、宛名が書かれていた。つまりはそういう事である。
とは言え、それに至るまでに払った代償はかなり大きなものだった。落札価格が五十万円もしたのだ。痛手にも程がある。だがそのおかげで住所が分かった事を考えると、安い買い物だったのかもしれない。しかし元はと言えばあの腕時計は俺の所有物だ。それを盗まれて買い戻したのだから納得は出来ない。
「本当にこの近くに和樹の家があるのか?」
「ええ、ゴーグルMapさんはこの近くを指しているわ。だから恐らくはあるはずよ」
「恐らくって、お前なあ……」
納得出来ないからこそ、どうしても慎重になってしまう。それと同時に不安も覚えるというものだ。
『もし間違っていたらどうしよう』だとか『五十万円が無駄になったらどうしよう』だとか、負の情念ばかりが脳裏を過ってとにかく落ち着かない。
「少しはパルを信じなさいよ」
朝倉はそんな俺の気持ちを十分に理解している。落札した後、俺が心底落ち込んだのを見ているからそれは明らかだ。だからこそ彼女は低音ボイス且つ、至って落ち着いた様子でそう言ったのかもしれない。
「いや、朝倉の事は心底信頼している。だがどうしてもな。それに嫌な予感がするんだ」
「嫌な予感?」
「和樹の母親は自分の子供に平気で暴力を奮うようなヤツなんだぞ?もし俺達が家に行ったとして、良からぬ事が起こったらどうするんだ?俺とお兄さんは男だから咄嗟に対処出来るかもしれないけど……」
「もしかしてパルの身を案じてる?」
肯定すると怒りそうだな……こう、『自分の身は自分で守れるわよバカ!』みたいな感じに。
決戦前に朝倉と喧嘩はしたくないと考え、返答に困る俺の目をジィーっと見詰める朝倉。そんな彼女に俺は口頭ではなく、首肯する事で問いに答える事にした。
「そう……」
俯く朝倉。表情は前髪の影で見えないがきっと怒っているだろう。
あー、人波乱ありそうだなぁー……
と、思ったら朝倉が顔を上げた。しかも何故かとびっきりの笑みを浮かべている。
そして彼女は言う。
「でも大丈夫よ。昴君が守ってくれるんでしょ?」
「朝倉……」
胸がきゅぅぅぅ、と締め付けられる。
この表情にこの台詞は卑怯だ……童貞には来るものがある……いや、童貞じゃなくてもきっと来るだろう……この悪女めっ!でも――
「……あー、はいはい。守りますよ。守れば良いんでしょ!」
――可愛いから許すか。
そう思う。そしてそんな二人のやり取りを見てみたお兄さんは言う。
「あー、イチャつくのは良いが見付けたぞ」
「イチャついてません!てか見付けたって――」
俺がそこまで言ったところでお兄さんがとある場所を指差した。
その先を目で辿ると、年季の入った小アパートがそこにはあった。そしてその一〇一号室のドアには広瀬と書かれた白いテープが貼られている。
「――なるほど」
俺が覚えている限り、住所は東郷という名前のアパートの一〇一号室だった。そこの広瀬さんとなればそれはほぼ間違いなくお目当ての場所である。
お兄さんと目を合わせた後、朝倉と目を合わせて互いに頷く。
次の瞬間、室内から「ヴッ……ぎゃあああああああああ!!」という断末魔のような悲鳴が上がった。
「な、何だ今の悲鳴は!?」
「ぱ、パルに聞かないでよ!分かるわけないでしょ!でも……嫌な予感しかしないわ」
「あぁ、そうだな」
俺と朝倉がそんなやり取りをしていると、お兄さんが玄関の戸の右側にある小窓の隙間から中を覗いた。
「……なっ!?」
そしてすぐに目を見開き、驚愕する。
「どうしたんですか!?」
慌ててお兄さんに駆け寄り、俺も小窓の隙間から中を覗く。そしてすぐに我が目を疑い開いた口が塞がらなくなる。
視界に映ったのは肥満体型の女性が血だらけで倒れている光景だった。その手前には床に両膝を突いて項垂れる和樹。そして彼の右手には血がベットリとこびり付いた包丁が握られている。
「……年……」
一体何が起きたんだ……?あれは和樹がやったのか……?
「……少年」
いや、でも和樹はとても優しい子だ……そんな事をするわけがない……
「少年!」
きっと事故だ……そうに違いな――
「少年!!」
「っ!」
気付けばお兄さんが俺の両肩を掴んで俺を前後に揺すっていた。
「何をしている!?さっさと乗り込むぞ!!」
そう言ってお兄さんは素早い動きでドアの前まで行くと、その丸ノブに右手を掛けてそれを回す。するとすぐにドアが開いた。どうやら鍵は掛かっていなかったらしい。
「は、はい!!」
俺が返事をした直後、お兄さんはドアを大きく開けて中へ入る。その後に続いて俺も中へ。
「た……すけ……て……」
その声は和樹の母親と思われる女性のものだった。彼女は仰向けの状態で震える右手をこちらに伸ばしている。
もしコイツが和樹の本当の母親なら俺は助けたくない……でも!!
振り返り、朝倉を見る。
「朝倉、救急車を頼む!」
「それで良いの?」
「はあ?」
朝倉が和樹を指差したのでそこへ目を向ける。
「……っ!?」
和樹の顔に痛々しい傷が増えている事に気付き、俺は瞬時に怒りを覚え、奥歯を噛み締める。そして――
「……頼む、救急車を呼んでくれ」
「分かった」
朝倉は右手に持った手提げ鞄に左手を突っ込み、スマホを取り出した。
「すぐに戻るわ。だから昴君、ここをよろしくね?」
俺がコクリと頷くと、すぐに朝倉は外へ出た。
「お兄さん、この女性の止血をお願いします。和樹は僕が何とかしますので」
「あ、あぁ!」
お兄さんは急いでシャツを脱ぐと、女性の上着を捲った。
さて……
心の中で呟いた後、和樹の方へと歩を進め、その背後で立ち止まる。
「和樹、大丈夫か?」
ここで俺が強い口調で訊ねたらきっと和樹は困惑するだろう。そうなると何をするか分からない。なのでなるべく優しい口調で訊ねる。
「…………」
無言でこちらを振り返る和樹。その顔には血の気がなく、目には涙が浮かんでいる。きっと絶望と後悔に苛まれているのだろう。
「兄貴……包丁が右手から離れないんです……手伝ってくれませんか……?」
「あぁ、手伝うよ」
包丁を持ったまま右手をこちらに差し出す和樹。その手首を右手で掴み、左手で和樹の人差し指を動かそうと試みる。だがなかなか離れない。
ふと、和樹と目が合うと、彼は不安げに眉を乢ませた。俺は和樹を安心させるべく、ニコッと笑ってみせる。
「心配はいらない。ただ緊張で筋肉が硬直しているだけだよ」
「兄貴……」
「それより、何があったか聞いても良いか?」
俺が訊ねると、和樹は視線を母親と思われる女の方へ向けた。そしてゆっくり目を閉じ、三秒後にまた目を開けてコクリと頷いた後、口を開く。
「その前に僕のこの左手を見てください」
そう言って左手を自分の胸の位置まで上げる和樹。
彼の左手は全体的に血にまみれていた。きっとこれはあの女の血液だろう。そう一瞬だけ思ったが、すぐに違う事に気付く。それは和樹の掌に大きな刺し傷が出来ていたからだ。
「大きな声では言えませんが、母の体に付着しているのは僕の血です。彼女に怪我はありません」
「……は?」
和樹の母親に目を向けると、彼女は相変わらず死にそうな表情でお兄さんの応急処置を受けている。
胸元までシャツが捲れ、肌が見える。お兄さんはその肌に先程脱いだ自らの白いシャツを当てているわけだが、そのシャツには殆ど血が付いていない。
お兄さんと目が合うと、彼は右目でウインクした。どうやら和樹の言うとおり、母親は怪我をしていないらしい。
なら何故母親は死にそうな表情をしているのか?
それはきっと刺されたと勘違いしているのだろう。思い込みのせいでそうなっているのだと思われる。
和樹があの女を刺したのではないか?と思ったが、そうじゃなかったか……良かった……本当に良かった。
現状を理解し、俺はホッと安堵の息を吐く。
「最初に包丁を手にしたのは母です。母は僕を殺す為か僕に向かって包丁を振り下ろしました。僕は咄嗟に母に体当たりして彼女を押し倒しました。そして彼女のお腹に左手を当てて、その左手を……」
「刺したというわけだな?」
その問いに首肯する和樹。
で、母親は自分が刺されたと勘違いして瀕死の状態になっている、と……そういう事か。
「よく頑張ったな。偉いぞ和樹」
俺だったら違う決断をしていた。だから本当に和樹は偉いと思う。なので俺は彼を誉めるようにその体を優しく抱き締める。
「でも兄貴……僕、もうこんな生活は嫌です……もしこの先も続くのならいっその事……」
そう言って和樹は右手を動かし、包丁の先を首筋に付けた。
そんな和樹の体を更に強く抱き締める。
そして俺は言う。
「安心しろ。もうこんな生活はお終いだ。これからお前は俺の家で暮らすんだ」
「……えっ」
「まだ一緒に暮らす目処は立っていない。だがキラとカノンはお前を迎え入れたいと言っている。俺も同じだ」
「でも僕は兄貴達に迷惑を掛けたんですよ……?それに僕は今まで沢山の人に迷惑を掛けました……だから僕には兄貴達にそうしてもらう権利なんか――」
「ある。お前は今まで散々苦しんできた。だからもう幸せになっても良いんだよ」
「兄貴……」
和樹の両目から涙が溢れ、床に滴り落ちた。それと同時に和樹の右手から包丁が離れて床に突き刺さる。
「……ごめん……なさい……今まで……本当にごめんなさい……」
「あぁ、許す。俺はお前の全てを許す。だからさ、後は全部俺に任せてくれよ」
「うん……うん……」
そして和樹は声を上げて大粒の涙を流し、俺はそんな和樹を抱き締め続けるのであった。
それから救急車が駆け付けたのは間もなくしての事である。
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