第21話 出来事

 取り敢えず朝倉にはネットオークションの張り込みをしてもらう事にした。とても賢い彼女の事だ。きっと良い結果をもたらしてくれるだろう。そんな気がする。


 で、現在俺は近場の銀行を片っ端から見回っている。

 俺達が財産を預けている銀行は限られているので、回る所はそこまで多くない。だからもしかしたら和樹を見付ける事は容易かもしれない――と思うのは早計過ぎるので油断は禁物だ。とにかく回れるだけ回る。俺に出来るのはそれだけだ。

 因みに回る箇所は三つ。どちらも家の一キロ圏内にあるから移動するのにそこまで時間は掛からない。しかし走っては和樹の姿を捜し、走っては和樹の姿を捜すのはさすがに骨が折れる。ぶっちゃけ、一度全て回った時点で体力が底を尽きてしまった。でも今日で決着を付けると決めたからには足を止めるわけにはいかない。


 二週目を終えても和樹を見付ける事は叶わなかった。

 そして三周目、作業を開始してから一時間が経過したところで――


「あれは……和樹!!」


 ついにその姿を見付ける。

 黒いキャップを深く被り、白いマスクを着けているが、体型と髪型ですぐに分かった。

 ATMに並ぶ人達を掻き分けて、和樹の方へ。そしてやっとの思いで彼の右腕を掴むと、和樹がこちらに気付いた。


「兄貴!?……っ!!」


 俺の手から逃れるべく右腕を振り回す和樹。だが俺がそれを許すわけもない。

 俺は和樹が逃げる前に、彼を後ろから抱き締める形で捕まえた。


「暴れるな。こんなところで警察に捕まりたくないだろ?」

「…………」


 すると和樹はすぐに脱力し、項垂れた。

 その右手首を掴み、俺は和樹を引いて行列を出る。そして――


「別にお前を警察に突き出そうだとかは考えていない。だから安心してくれ。でもって付いて来い」

「……はい」


※※※※※※


 それから俺は、キラとカノンとお兄さんと朝倉に『和樹を見付けた』とメールで連絡し、近くの公園へと来ていた。もちろん和樹も一緒だ。

 さて、何から聞いたものか……

 色々と聞きたい事はある。特に聞くべきなのは、何故あんな事をしたのか?という事なのだろうが、俺はそれ以上に気になっている事があった。それは和樹が右目に眼帯を着けている事。これじゃあまるで右目を怪我したようではないか。もしそうならどうやって怪我をしたのか?それが気になって仕方がない。けれど薮蛇になりそうで聞くのが怖い。でも結局は聞く事になりそうなので――


「その右目、どうしたんだ?」

「…………」

「怪我か?」

「…………」

「……ノーコメントか」


 俺と話したくないのは分かる。けど無言なのはさすがに困る。それ以上に傷付く。あんなに仲良しだったのに、あんなに懐いてくれていたのに、その面影はもうない。それが悲しくて仕方がない。不覚にも涙が出そうだ。しかしここで泣いてはそれこそ話が進まないので深呼吸して落ち着く事に。

 そして平常心になったところで深呼吸を止め、ベンチに腰掛けている和樹の右隣に座る。


「なら言い当ててやる。その右目、母親にやられたんだろ?」


 当てずっぽうではあるが、あながち間違いではないだろう。

 和樹の母親は和樹に泥棒をさせるようなヤツなんだ。暴力を振るってもおかしくはない。


「…………」


 まだだんまりか……それなら――


「和樹、もしお前が困っているのなら俺は助けてやりたいんだ。だから話してくれ。どうしてあんな事をしたんだ?そしてその右目はどうしたんだよ?」

「……例え言ったとしても兄貴には何も出来ませんよ」


 やっと和樹が口を開いた。しかしそれは拒絶にも似た、とても悲しい台詞だった。


「確かにそうかもしれない。でも話してくれ。でないと何も分からない」

「……ははっ、なら教えてあげますよ。どうせ何も出来ないでしょうけど……」


 そして和樹は話し始める。


※※※※※※


 これは約一時間前の和樹の実家での出来事である。(前項の一幕の続き)


 閉めきっていて暗い八畳の部屋の中、唯一点いている明かりはパソコンのディスプレイが発するもののみ。部屋中タバコの煙が充満していて噎せそうになるのを我慢しながら和樹は布団の上で毛布を深く被り、丸まっていた。


 兄貴、きっと怒っているんだろうなぁ……


 せっかく仲良くなれた人。血は繋がっていないものの、彼は本当の弟のように接してくれた。そんな彼を裏切った罪悪感に押し潰され、涙しそうになるのを下唇を噛んで堪える。


 パソコンでとある作業に没頭していた母親が立ち上がって和樹の布団へ歩を進めた。


「起きろ」

「……はい」


 母親の低くてドスの利いた声にビクリと身を震わせた後、ノソノソとした動きで布団を退かして上体を起こして返事する。

 そして母親の顔を見ようとした所で――


「っ!?」


 和樹は思いっきり鳩尾を蹴られた。

 母親の右足の爪先が深く突き刺さり、激しく胃を変形させる。そのせいで強烈な吐き気に襲われたが幸い、何も食べていなかったので逆流するものはなかった。


「けほっ、けほっ!!」


 腹を抱えて蹲る。母親はそんな和樹の後頭部に右足を置いて、体重の半分を乗せた。

 母親の体重は九十キログラムを超えている。という事は和樹の頭蓋には現在、四十五キログラムの重りが乗っている事になる。その痛みと頭蓋が陥没するかもしれない恐怖は尋常のものではない。

 でも和樹が悲鳴を上げる事はなかった。これはいつもの事で慣れているからだ。

 とはいえ、痛いのは痛いし怖いのは怖いので、極度の緊張を覚え、身が激しく震える。


「あたしはこれからやる事があるからお前は金を下ろして来い。暗証番号は知っているだろ?」

「……はい」

「なら……とっとと行け!!」


 そう言って母親は和樹の右側頭部を蹴り飛ばす。

 和樹は衝撃で飛ばされ、顔面と左肩を壁にぶつけた後、ぐったりする。しかしこのままではまた暴行されるので、奥歯を噛み締めてすぐに立ち上がり、テーブルに置かれた必需品を右手で拾ってズボンのポケットに仕舞って家を出た。

 壁に顔面をぶつけた際、当たり所が悪かったらしい。程なくして、和樹の右瞼は腫れ上がった。

 これが和樹が眼帯をしている理由である。

 和樹はその出来事を昴に話した。歪な笑みを浮かべながら自嘲するように――


※※※※※※


「――とまあ、そんな事があったわけですよ。それで、兄貴に何が出来るんですか?」

「…………」


 俺はあまりの衝撃に言葉が出なかった。声を出そうと口を動かすものの、パクパクと開閉させる事しか出来ない。

 そんな俺をジッと見詰める和樹。まるで視線を巡らせて俺の挙動で心意を見定めようとしているかのようだ。

 それから長いようで短い時間が経ったところで彼は長いため息を吐く。


「ほら、何も出来ないじゃないですか」

「…………違…う……」


 やっと出た言葉は途切れ途切れの小さくて短いものだった。


「何が違うんですか?もしかして『きっと助かる方法はあるはずだ』とか思っているんですか?もしそうなら苦笑せざるを得ませんね。そんな約束されてない気休めの言葉なんてはっきり言って耳障りなだけです」


 そう言うと和樹は身を翻した。そしてズボンの右ポケットに手を突っ込むと、そこから通帳と印鑑を取り出し、地面に落とし捨てる。


「でも、兄貴が僕を助けたいと思ってくれているというのは嬉しいです。なのでこれは返す事にします」


 右足を始めに、四歩進む和樹。だが、このままじゃ和樹が去ってしまう!何とか止めないと!、と俺が思ったところで足を止めた。そして――


「さようなら」


 と言うと、再び歩き出し、そのまま人混みに消えた。


「……畜生……」


 残された俺は、自分の不甲斐なさに絶望する事しか出来なかった。

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