第18話 もし彼が女なら混浴というものが成立したのだが

※※※※※※


「ほう、それで君達はその男の娘を居候させる事にしたと……そういう事かい?」


 待ち合わせ場所である近場のカフェに到着し、新作のネタ提供として和樹の事を正義先生に話した。その話を終始聞くだけだった正義先生は話が終わると心配と怒りの入り雑じった表情で訊ねた。

 彼女がそんな表情になる理由は分からなくもない。普通ならぶん殴ってでも和樹を拒絶するべきだ。でもそれを俺達はしなかった。同情で居候させる事にしてしまった。そんなの愚行でしかない。もし俺が正義先生と同じ立場の人間なら、それはもう彼女と同じような顔になるだろう。


「はい、まあ……そういう事です」


 苦笑してそう答える事しか出来ない。そんな俺を見て正義先生はそれはもう長いため息を吐く。


「あなたの妻として言わせてもらうけど――」

「いえ、ただの仕事仲間ですから」


 この人、然り気無く爆弾発言する節があるよなぁ……


「黙らっしゃい!この愚夫!クフ王ならぬ愚夫王が!!」

「誰それ!?」

「とにかく!遅くはないからさっさと家から叩き出しなさい!」


 激しい怒りを覚えたのだろう。それを象徴するように何度も俺の右脛にハイヒールの先端をぶつける正義先生。右のこめかみには太めの血管まで浮かんでいる。


「それは不可能かと」

「どうして?」


 足蹴にするのを止めて訊ねる正義先生。


「男として一度決めた事を変えるわけにはいかないし、妹達を説得できる自信もありません」

「こ・の・へ・た・れ!」


 一言一言発する度に再び俺の脛を蹴ると、正義先生は俺の両頬をつまんで左右に伸ばした。


「君って人は本当にもう……本当にもう!」

「へ、へへへっ……」


 何も言い返せず苦笑するしかない。そんな不甲斐ない俺に更なる憤りを覚えたのか、伸ばす力を強める。そのせいで俺の両頬は餅のように伸びた。そして正義先生が――


「でも大好き!」


 と言って指を放すと、形状記憶された両頬は元の位置に戻る。


「嗚呼、この次第に駄目人間になってゆくアへ顔先生を見ているとどうしても興奮する!」

「変態ですね。そしてあんたこそ駄目人間だと思います」

「フフッ、小説家とは基本的に駄目人間なのよ!」

「いえ、それ多分あんただけですから」


 てかそうであって欲しい。


「というわけで結婚しましょう」

「何故そうなる!?」

「どうしても……嫌?」


 潤んだ瞳で上目遣い。そんな正義先生を見ても俺が萌えを感じないのは言うまでもない。


「はい、嫌です」

「何……だと……」

「そんな事より、もう決めた事だし説得も難しいのでその男の娘を家から出すなんて酷な事はしませんから」


 埒が明かないので強制的に話を変える事に。


「そう……それなら仕方ないわね」


 そう言って正義先生はホットコーヒーを一口飲んだ。そしてこう続ける。


「でもね、十分に気を付けなさい。その男の娘、近いうちに消えるわよ」

「消える……?」

「ええ、断言しても良いわ」

「それってどういう事で――」

「おっと、もうこんな時間か!」


 自分の腕時計を確認した後、いきなり立ち上がると、正義先生は残ったコーヒーを一気飲みした。


「この後パルちゃんと遊びに行く事になっているからお姉さんはもう行くわ!」


 踵を返して走り出す正義先生。しかし六メートル程離れた所で立ち止まった。そして左手首に着けた腕時計を右手人差し指で指差すと言う。


「理解の足りないアへ顔先生にヒントよ。じゃ、また会いましょう!」


 俺は正義先生が人混みに消えるまでその背中を見送った。

 腕組みしながら俺は考える。

 腕時計を指差しながらヒントって言ってたよな?それは時間が関係しているという事なのか?もしそうなら一体どの時間を指しているんだ?


「……分からぬ」


 それから三十分経っても答えは出なかった。


※※※※※※


 帰り際、大雨が降ったせいでずぶ濡れになったので、家に帰ってすぐ風呂に入る事にした。現在、四十度の湯に肩まで浸かり、冷えた体を温めている途中である。

 くっ付けた両手で湯を掬い、それを顔に掛ける。絶妙な熱加減が顔面を刺激し、一気に表面が温められるような感覚に襲われた。


「ぶはぁっ!」


 止めた呼吸を再開し、瞼に掛かった水を両手で拭う。


「やっぱり風呂は最高だ。憂鬱な気分が消える」


 まるで垢と一緒に洗い流されるような、そんな気がしてならない。


「にしても……」


 やっぱり他人からしたら俺達の行動はおかしいんだろうなぁ……

 和樹が俺達の兄弟である証拠はあの母親の手紙しかない。それなのに同情して家に住まわせるのはおかしい。はっきり言って愚の骨頂である。普通はそんな事しない。

 でも今更和樹を叩き出すわけにはいかないし、双子を説得出来る自信もない。現状、手詰まりである。

 ここで何らかのイベントがあれば追い出す事は可能だ……でもそんなのそう簡単に起きるわけもないし、

起きて欲しくもないよなぁ……

 そこまで考えた所で浴室の扉が開いた。


「兄貴、お背中をお流しします」

「いらない!そんなのいらないから!」


 慌てて首まで湯に浸かる。


「そう謙遜なさらずに」

「謙遜するわぁ!!てか勘違いしてしまうから体にバスタオルを巻いて乱入するのはやめろ!!」

「なら取ります!」

「待て!それもやめてくれ!いやマジで!」

「何故……ですか?」


 困ったように眉を乢ませて訊ねる和樹。


「お前の珍さんなんて見たくないからだ!!」


 てか色々なものが壊れそうだから本気でやめて欲しい!!


「では僕はどうすれば……」

「風呂から出れば良いだろうが!!」


 そうすれば全て解決する!!


「断固として拒否させていただきます」

「何でだよ!?」

「親交を深めたいのです」


 エヘヘと笑うと和樹は一歩こちらに近付いた。


「待て!こっち来るな!」

「せめて一緒の湯船に……駄目、ですか?」

「目を潤ませて上目遣いになるのはやめろ!そして絶対に駄目だ!!」

「分かりました、では失礼します」


 そして和樹は俺の同意を得ないまま対面するように湯船に入るのであった。







 き、気まずい……

 和樹が同浴しておよそ一分。その間、一度も俺達は言葉を交わしていない。

 俺は気まずいからなのだが、和樹は何故何も喋らないのだろうか?俺と同じく気まずい思いをしているのか?はたまた恥ずかしくなってきたのか……?いや、どちらでも無いように思える。それは和樹の飄々とした顔を見ればすぐに分かる事。では一体どうして……っ!もしやこの状況を楽しんでいるのか!?俺が気まずい思いをしているこの状況を!?そうだとしたら恐ろしいな……恐ろしい娘だな!!あっ、この場合は恐ろしい男の娘!!か……って、んな事どうでも良いわ!!

 そんな感じで様々な事を考えていると、不意に和樹が目を合わせた。


「気持ち良いですね、兄貴!」


 体温が上がったからなのだろうが、和樹は頬を真っ赤にして言った。

 え、エロい……鼻血が出そうだ……てか本当に出始めた……

 鼻血が穴から垂れ出ないよう上を向く。


「ああ、確かに気持ち良いな。逝ってしまいそうだ」

「ではお手伝いします!」


 冗談で言ったつもりだが本気にされてしまった。


「いや、良いから。マジで良いからやめろ」

「はあ……」


 何故か残念そうな口調で相槌を打つ和樹。

 もしかして本当に手伝おうとしていたのか?もしそうなら凄まじいな、色んな意味で。てか早く出てくれないだろうか……そろそろ気絶しそうなのだが……

 ならお前が出ろよ、だなんて言われそうだから今のうちに説明しておくが、現在、俺は男の娘に欲情して暴れてしまっている。どこが暴れているのかは言うまでもないわけだが、義理の兄としてそれを見られるわけにはいかない。もし見られたらあまりの恥ずかしさに死んでしまう。それに気まずくてこの先一緒に暮らせなくなるだろう。それを避ける為には和樹が出るのを待つしかない。それ故の『早く出てくれないだろうか』というわけだ。


「それではそろそろ――」


 そこまで言って立ち上がる和樹。幸いな事に未だ体にバスタオルを巻いてるからモツが見える事はない。因みに胸も見えない。

 おっ、やっと出るか……


「兄貴の背中を流させていただきます」

「マジでいらないから!」

「そう、ですか……」


 そして和樹は、今度はこちらに背を向ける形で再び湯に浸かる。

 って、また入るんかい!


「ねえ、兄貴。僕、このままここに居ても良ろしいのでしょうか……?」


 声のトーンを下げて不安そうに訊ねる和樹。


「…………」


 何か気の利いた台詞が言えれば良いのだが、俺の口からは何も出なかった。

 その理由は分かっている。本当は和樹をこの家から叩き出すべきだと思っているのと同時に、和樹に同情しているからだ。その二つの気持ちが心の中で激しくせめぎ合っているからこそ何も言えないのだ。


「そう、ですよね……ごめんなさい。少しだけ考える時間をください」


 考える時間……何を考える時間だ?

 俺がそう思ったところで和樹は立ち上がった。そして入口前まで行くと扉を開け――


「本当にごめんなさい!」


 と言って風呂場を去った。


「……はあ」


 どうしろって言うんだよ……

 頭を抱えて心中呟く俺であった。

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