第13話 俺がときめいたのは言うまでもない

「何かって何よ、何かって……フン!アへ顔先生なんて大っ嫌い!」


 子供のように頬を膨らませてそっぽを向く正義先生。

 それは好都合だ。同級生の叔母に求婚されてもだしな。

 と思い、安堵するが、横目でチラチラと視線を飛ばしてきているので、すぐに嘘だと気付き、再び気を引き締める。


「では早速本題に入りましょうか」


 このままではくだらないやり取りが続いて埒が明かなさそうなので早々に話を切り出す。すると朝倉と正義先生は表情を真剣なものに変えた。


「朝倉、自分で話せるか?」


 数秒だけ視線を左斜め上に向けて考えた後、朝倉はコクリと頷く。そして正義先生の目を真っ直ぐ見据えると――


「叔母さん……ごめんなさい!!」


 と、頭を下げた。


「パルちゃん……」


 目を丸くして朝倉を見る正義先生。もしかしたら朝倉が頭を下げるとは思っても見なかったのかもしれない。

 過去、彼女達の間に何があったかは分からない。でも朝倉が家出する程の事があったんだ。つまりそれぐらい険悪な状態になっていた。それなのに朝倉は自ら頭を下げた。正義先生にとってそれはとても意外な事だったに違いない。


「あれは全面的にパルが悪かったです!罰ならちゃんと受けるつもりです!だから……」


 頭を上げて一度深呼吸し、正義先生の目を見据える。そして朝倉は緊張した面持ちながらはっきりとした口調で言う。


「また一緒に暮らさせてください!!」


 再び頭を下げる。


「…………」


 相変わらず驚いた様子で朝倉を見たまま固まる正義先生。だがすぐにハッとして朝倉の左肩に右手を置こうとする。しかし寸前で怖くなったのかその手を止めて下唇を噛んだ。

 返答が無い事を拒絶されたと捉えたのか、朝倉の体が小刻みに震え始めた。そのすぐ後、彼女の目から絶望の涙が零れる。

 正義先生が助けを求めるようにこちらを見た。俺は『許してやって欲しい』という気持ちを込めてコクリと頷く。すると正義先生は朝倉に視線を戻してすぐに強く目を瞑った。そして五秒後、やっと心が決まったらしく、震える右手を朝倉の左肩に置いてこう返す。


「……わたしこそ、ごめんなさい。わたしも罰なら何でも受けます。だから……」


 そこまで言うと正義先生は朝倉を優しく抱き締めた。そして穏やかな声で言う。


「……また一緒に暮らしましょう」


 良かった……本当に良かった。これで万事解決だ。朝倉は幸せになれる。いや、彼女だけじゃない。きっと正義先生も幸せになれるだろう。


「叔母さん……」


 頭を上げる朝倉。その顔は既に涙でグシャグシャ。若干鼻水まで出る始末だ。他人から見れば今の朝倉の顔は確実に不細工に見えるだろう。でも俺にはそれがとても綺麗に見えた。


「……だいずぎぃぃぃぃ!!」

「わだじもだいずぎだよぉぉぉぉ!!」


 そして二人は声を上げて号泣する。俺はというと、周囲から向けられる奇異の目に苛まれるのであった。


※※※※※※


 感動的な場面は女性店員の注意の声によってすぐに終止符を打った。それから食事を再開したのだが、完食まで残り僅かというところで俺達の箸は止まっていた。

 それもそのはず。朝倉が頼んだのは合計十三品なんだ。しかも油ものや肉ばかりなのだから完食出来るわけがない。


「うぅっ、油で酔った……吐きそう……」


 右手で口を押さえてそんな事を呟く朝倉。


「無理……もう無理よ……」


 テーブルに突っ伏してプルプルと身震いしながら涙を流している正義先生。


「駄目だ……た、食べないと……店に失礼だぞ……」


 そして激しく震える右手に持った、フォークに刺されているサイコロステーキを見詰めてげんなりしている俺――まさしく地獄絵図である。


「そ……そう言えばだけど……朝倉……質問良いか……?」


 プルプル震えながら訊ねる。すると――


「何……かしら……?」


 朝倉は死んだ魚のような目でこちらを見た。


「俺のアドレスを知っていないはずのお前が俺に電話出来た理由って……もしかしてだが……」

「叔母さんに教えてもらったのよ……いえ、勝手に送られて来た、と言った方が正しいかしら……?」


 そう言って朝倉は正義先生に目を向ける。それに続いて俺も。


「アへ顔先生と……パルちゃんの関係は……アへ顔先生の話を聞いていてはっきりと分かったから……もしかしたら知りたいだろうなぁー、と思って……パルちゃんに教えたの……」


 突っ伏したまま答える正義先生。無断で朝倉に教えた事に憤りを覚え、彼女の頭をひっ叩きたくなる。しかしそのおかげで朝倉とここまで仲良くなる事が出来たのだと思うとどうしてもそれが出来ない。

 この怒りをどこにぶつければ良いのか……いや、グッと堪えるだけに留めるんだ!クールに行こう!So cool……よし!

 目を瞑り、鼻で深呼吸。するとすぐに落ち着いたので目を開ける。


「そっすか。それはありがとうございます。おかげで面倒くさい事になりました」


 でもムカつくのはムカつくので皮肉を言わせてもらった。が、正義先生はそれに気付いていないらしく――


「いえいえー」


 と言うと顔を上げ、後頭部に右手を回して満面の笑みを浮かべた。

 畜生!皮肉だと分かっていない!

 悔しさを紛らわせるように右の指をバチンと弾く。

 けどそういうわけか……ん?でもそれって二人が仲直りする前の出来事だよな?それなのに正義先生は朝倉に俺のアドレスを教えたって……この人、もしかして……


「ずっと仲直りしたかったんですね?だから俺のアドレスを教える事を切欠にしようとしたんでしょ……ん?でもどうして今しか仲直り出来なかったんだ……?」


 正義先生のおかげで俺のアドレスを知る事が出来た。その後、朝倉はお礼のメールなり電話なりをしたはずだ。だったら普通はその時に仲直り出来たはずである。それなのにどうして今なのだろうか。

 あまりに謎過ぎて首を傾げて『うーん……』と唸る。するとすぐに朝倉が口を開いた。


「お礼のメールを送ったんだけど、その後、叔母さんからは何も返って来なかったの。だから今ってわけよ」


 朝倉はやれやれと言いたげに両手を肩の位置まで上げて首を横に振った。

 正義先生にジト目を向ける。そして先程の憤りを解消させるチャンスだと思った俺は――


「どうしてですか?もしかしてヘタレました?」


 ここぞとばかりに毒を吐き、右手を口に当ててププッ!と嘲笑してみせる。


「うぅっ……」


 俺の思惑通り罰の悪そうな表情を浮かべる正義先生。で、


「……そ、そうよ!ヘタレて話を切り出す事が出来なかったのよ!!何?悪い!?」


 顔を真っ赤にして逆ギレを開始する。


「そもそも!全部パルちゃんが悪いんだからね!一年近く連絡してくれなかったし!」

「そ、それを言うなら叔母さんだって同じでしょ!?何でしてくれなかったのよ!?」

「そりゃ怖いからに決まってるじゃない!!もし『仲直りしよう』って送って『嫌だ』って返って来たらと思ったらどうしても連絡出来ないわよ!!」

「パルだってそうよ!!もし叔母さんに拒絶されたらと思うと怖くて――」

「はい、そこまでー!」


 今にも噛み付きそうな剣幕で声を張り上げる二人の間に右手を伸ばして強制的に言い合いを止める。


「「……フン!!」」


 すると二人共そっぽを向いて互いに頬を膨らませた。

 子供かお前らはっ!

 心の中で突っ込みを入れる。そして勝手に話を纏める事に。


「取り敢えず話は分かりました。つまり互いにヘタレたというわけなんですね。全く、どれだけ臆病なんだって話ですよ」

「「うっ……」」


 俺の毒舌に二人は声を詰まらせる。それを無視して俺はこう続ける事にした。


「でも、そうなってしまう程お互いを大事に思っているんですよね?」

「「っ!?」」


 一瞬で二人の顔が真っ赤になった。心中を読まれて途端に恥ずかしくなったのだろう。


「おやおやー?二人共、どうして顔を赤くしてるんですかぁー?」


 俺がそう言うと二人は互いを見た。そして相手も自分と同じ気持ちなのだと分かると照れ臭そうにハニカム。

 そんな二人を見て、俺は家族愛の素晴らしさを実感するのであった。


※※※※※※


 それからやっとの思いで完食した後、すぐに正義先生は店を出ていった。彼女曰く『おかげで新作の第一章の完結が見えた!忘れないうちに仕上げて来る!』との事。さすが正義先生と言うべきか仕事熱心である。そんな正義先生の背中を見送りながら、だからこそ売れっ子作家なんだろうな、と思ったのは言うまでもない。

 そして現在、俺と朝倉はボンボヤージから徒歩十分の距離にある高台の公園へと来ていた。二人共ブランコに腰掛けて街の景色を無言で眺めている。


「ねえ、瓜生君……」

「何だ?」

「何て言うか……本当にありがとね。あなたが居なかったらきっといつまで経っても叔母さんとは仲直り出来なかった……」

「そうか?お前と正義先生のやり取りを見ていると、それは時間の問題だったと俺は思ったのだが……」

「ううん――」


 朝倉はゆっくりと首を横に振った。そしてこちらを見て続ける。


「――瓜生君が居なかったら叔母さんと会う決心は絶対に付かなかったし、連絡を取る勇気も出なかった……」

「…………」


 確かにそうかもしれない。朝倉は見掛けによらず臆病だし、正義先生も似た感じだから、きっと俺無しじゃこうも上手くは仲直り出来なかった。でも俺じゃなくてもこの結果に持って行く事は出来ただろうし、人によってはこれ以上に良い結果を出せたはずだ。だから礼を言われても素直にその気持ちを受け入れる事が出来ない。言葉を返す事すら出来なくなる。


「今、瓜生君が何を考えているのか何となく分かる。だから言い方を変えるね……一緒に居てくれたのが瓜生君だったからこそパルは叔母さんと仲直りする決心が付いたし、連絡を取る勇気も出た。つまり瓜生君じゃなきゃ駄目だったの」

「俺じゃなきゃ……」

「そっ!瓜生君だったからこそだよ」


 朝倉はニンマリと笑う。それはもう俺への感謝の気持ちを表すかのように。それを見て俺はどうして良いのか分からず再び口をつぐんだ。


「だからさ、パルは他人を好きにろうと思うの」

「えっ……」


 あの好意を向けられるのも向けるのも忌み嫌っていた朝倉が他人を好きに……?


「どうして……」


 どうしていきなりそう思うようになったんだ?そして一体誰を好きになるつもりなんだ?

 そう思い、そのまんまの事を訊ねようとしたら朝倉がブランコから降りて俺の正面で立ち止まる。


「というわけで……」


 そして気恥ずかしそうにモジモジしながら――


「ま、まずはうりゅ……」


 ――中途半端に俺の名前を呼ぶ朝倉。そしてコホンと咳払いして仕切り直し、


「昴君の事を好きになる!」


 と言うと、こちらをビシッ!と指差して堂々とした口調でこう続けるのであった。


「だから覚悟しなさいよね!」


 そう言った朝倉の頬がほんのり赤く染まっている。きっと夕日のせいではないだろう。

 朝倉がどういう意味で俺を好きになるのか?それは今は分からない。でもそんな朝倉の台詞と恥ずかしげな表情に俺がときめき期待を抱いたのは言うまでもない。


――第一話、完――

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