第8話 不審者

「俺の事を好きなはずなのにどうしてそんな願望を……?なんて思ったかい?」

「はあ、まあ」

「その理由は簡単だよ」


 そう言うと正義先生は、今度はミルクの入った小さなカップを右手に取り、蓋を開けると、ホットコーヒーに中身を淹れてマドラーでかき混ぜ始める。そして彼女好みの中途半端な混ざり具合になると、マドラーを抜き、ミルクのカップとそれを受け皿の上に置いて、コーヒーを一口啜る。


「うわっ!?熱っ!あっつっ!!」


 で、慌てて口からコーヒーカップを離し、そのまま皿に戻す……って!続きはどうした!?


「あのー、その理由は?」

「おぉ、そうだった!その理由はね、単に小説のネタになるからだよ!」


 うわぁー、最低な理由だぁー……いや、正義先生の事だからその可能性はあると思っていたけど。でも最低だなぁ!!

 あまりの最低さに正義先生の頭を引っ叩きたい衝動に襲われそうになったが、両手に固い拳を作って何とか堪える。


「いやはや、いくら君が好きとは言え、仕事が小説だからね。その仕事のネタになるのなら自らの恋は後回しにするよ。俗に言う、『仕事とあたしどっちが大事なの?』『えっ?仕事に決まってるじゃん』状態だよ」

「うわっ!本当に最低だな!?最低過ぎてある意味憧れるわ!!」

「ふっふっふっ……だろう?」


 いや、不敵な笑みで言われてもなのだが……


「それにだね、わたしは負けるつもりはないのだよ」

「というと……?」

「最後に君を手に入れるのはわたしだ、って言いたいだけさ。そう、例えば金の力とかでね!ふぁーっはっはっはっはっはっ!!」


 そして腕組みしながら声高らかに笑う正義先生。最低なのやら格好良いのやら、本当に訳の分からない人である。と、思ったがほんのりと頬が赤い。察するに、今の気概はただの照れ隠しだったのだろう。そんな正義先生が何となく可愛く感じる。まあ、性格があれだし、相性も良くは無いので交際や結婚をしたいとは思わないんだけど。


「それで、君はどうしたいんだい?人生プランナーちゃんを助けたいのか助けたくないのか……そこら辺はっきりさせようか」


 それは訊かずとも解っているだろうに。でもここははっきりと答えるとしよう。


「助けたいです」

「そっか……じゃあそうする他無いね!」


 正義先生は満足げにムフフッ、と笑うとコーヒーを二口飲み込んだ。


「はい……ですが何に悩んでいるのかが分からないので実際問題、何をどう助ければ良いのやらって感じで……」

「ならやっぱりストーキングするしかないね!」

「…………」


 あー、もう、ダメだよこの人。人間として終わってるよ。いくら原因を知りたいからってストーキングはダメだって。最悪、捕まるから。この人それを分かってて言っているのかなあ?いや、分かっていないんだろうなあ……


「馬鹿みたいな顔をしていったいどうしたんだい?」

「してねえよ。呆れてジト目を向けてるだけだよ。てか聞きますけど、どうしてストーキングなんですか?他にも知る方法はあると思うんですけど?」

「例えば?」

「……本人から聞き出すとか」

「他は?」

「…………」


 全く以て思い浮かばない。そんな自分に幻滅しつつ「さ、さあ?」と答える。すると正義先生は先程の俺と同じであろう顔――呆れ顔でジト目を向けるという行為に出た。


「なるほど、それが馬鹿みたいな顔ですか」

「違わい童貞」

「童貞言うな!」

「じゃあDT」

「…………」


 ちょっと言い方が変わっただけで意味は同じじゃねえか!!

 と、文句を言いたくなったが、そうすると童貞を散々弄られるような気がしたので心の中でだけにする。

 でもってコホンと咳払って無理矢理場を仕切り直す事に。


「分かりました。正義先生の言うとおりストーキングするしか知る方法は無さそうなのでそうする事にします」


 渋々正義先生の案に乗る事にした。すると正義先生は満足げな笑みを浮かべて「うん!」と頷く。そしてコーヒーを一気に飲み干すと立ち上がり、踵を返して――


「じゃ、頑張りたまえよ童貞君!」


 後ろ手を振りながら夜の喧騒へと姿を消した。


「……だから童貞言うなっての……でも――」


 ――おかげで今後の方針は決まった。これに関してだけは後で礼を言っておくとしよう。


※※※※※※


 それから一旦帰宅する事にした。その理由は仲直りスケジュールに従って行動する為である。朝倉をストーキングするのはその後だ。


 自部屋に到着し、背負っている鞄を早々にベッド脇に置いて、机の引き出しに隠していた仲直り計画書を取り出す。そして【二日目、夕方のスケジュール】と書かれたページを開いて内容を確認する。


【とにかく二人を突き放す】


「…………」


 ……は?突き放す?何で?これじゃあ嫌われる一途だと思うのだが?

 そう思いながら解説に目を通そうとしたら、扉が二回ノックされた。そしてすぐにカノンの声で「昴さん、ちょっと良いですか?」と聞こえる。

 計画書を見られると今以上に仲が悪くなりそうなので、静かにそれを机に仕舞い、扉を開ける。するとオドオドした様子のカノンが立っていた。その隣には困った表情を浮かべるキラの姿も。

 二人のただならぬ様子に俺は嫌な予感を覚えた。だがここで考える。

 確か計画書には【とにかく二人を突き放す】って書かれていたよな?それを実践するなら今じゃないか……?いや、でもこの様子はただ事じゃない。明らかに困っている。なら二人の話を聞いてやるべきだ……よし!!


「リビングで待ってろ。すぐに行く」

「うん……分かった」


 リビングへ向かう二人を見送る。そして姿が消えるのを確認すると、心の中で朝倉に『ごめん』と謝罪し、外着に着替え、二人のもとへ。


 二人は朝食の時、いつも座っている定位置に腰掛け、俺を待っていた。

 俺も自分の定位置に座り、左正面のキラを見た後、その右に座るカノンを見る。

 キラは視線を下にして項垂れ、カノンは組んだ両手をテーブルに置いてこちらを見据えていた。

 その様子から俺は、直感的に話があるのはキラの方だと気付く。だがここにカノンがいるという事は、キラ本人からは話しづらい事なのだろう。なので俺はカノンから話を聞き出す事にした。


「それで、どうしたんだ?」


 カノンの目を見て訊ねる。


「その前に、助けるって約束してくれませんか?」


 助けるだって……?何を……?話の意図が全く読めないのだが……でもまあ――


「――分かった、約束する」

「絶対ですよ?」

「あぁ」


 深く頷く。そして……


「絶対だ」


 それを聞いてカノンは、一度キラに目を向けるとこちらに視線を戻して淡々と話し始めるのであった。


 話によると、キラにはとても仲良しの同級生男子がいるらしい。キラ的にはその男子とはただの友達だったようだ。だがどうやら男子の方はそうではなかったみたいで本日キラはその男子に告白された。

 その告白にキラは無難な言い方でNOと返事した。すると男子は激昂してキラのお腹を蹴ったらしい。そして『付き合わないのならもう一度蹴る』と言ったとの事。

 幸い、その現場をたまたま教師が通りかかって男子は逃げて行った。が、最後に彼は『明日の放課後、体育館裏に来い』と吐き捨てたようだ。何ともまあ、下衆な話である。

 俺は両手に固い拳を作って怒りに堪えながらその話を聞いていた。

 そして最後にカノンは頭を下げて言う。


「――だからお願い、昴さん……キラを助けてあげて」


 キラを見ると目が合った。しかし気まずいのかすぐに俯いて目を逸らされる。

 助けてあげたい……けど俺が首を突っ込んでも良いのか……?余計話がややこしくなりそうなのだが……

 未だ頭を下げているカノンを見る。感情が昂っているのか彼女の体は小刻みに震えていた。

 そもそも、この話が事実であるとは限らない。それなのにほいほい頷くのはどうかとは思うが――


「――分かった。俺が何とかしてやる」


 そう言って俺は席を立ち、リビングの扉を開ける。そして……


「だから安心しろ」


 と言うとリビングを出て、そのまま家も出るのであった。


※※※※※※


 それから二時間が経過した。現在、俺は朝倉の住むマンションの敷地入口から五十メートル程離れた電柱の陰に隠れてマンションを見ている。その理由は朝倉のストーキングを実行しているからだ。いや、朝倉が近くに居ないからストーキングと言えるかは分からないんだけど、でも個人的にはストーキングだ。朝倉が現れたらきちんと後を付けるつもりだしな。

 とはいえ、ターゲットが現れないのでは意味が無い。これじゃあただ電柱の陰で突っ立っているだけ。延いては足が疲れるだけである。実際、一時間半ぐらいここで立ったままだから足裏が痺れてしんどい。正直もう地面でも良いから座りたい。

 唐突に胃が長い鳴き声を出して空腹を知らせる。

 よくよく考えると、俺は夕飯を食べずに家を出た。時刻は夜の九時。腹が鳴るのは当然の事である。

 そう言えば近くにコンビニがあったよな……?

 ここに来る前に通りかかったコンビニを思い出す。

 あそこは確かおでんが美味いんだっけか……

 ホクホクの大根、プルプルのテビチ、やわらかくて熱々の豆腐、味の染み込んだ卵を食べている自分を想像すると、途端にひもじくなってきた。

 食いたい!!でで、でも今ここを離れたとして、その間に朝倉が通りかかったらと思うと……


「くぅ~……葛藤するぅ~……」


 両手で腹を押さえ、その葛藤を吹き飛ばすべく地団駄を踏む。が、再び腹が鳴り出したのでそれは不可能だった。


「ちょっとだけ、ちょっとだけなら……」


 そして欲求に負けてコンビニへ向かおうとしたところで俺は気付く。昼間の不審者が居た場所に同じ格好の人物が立っている事に……


「アイツまだ居たのか……」


 俺が呟いた直後、不審者が動いた。ヤツはマンションから出てきた低身長の女性の十メートル後ろを女性と同じ速度で歩き始める。

 暗いからシルエットしか見えないが、どことなく女性は朝倉の特徴に似ている。

 丁度女性が街灯の下に来たので目を凝らす。すると案の定と言うべきか女性は朝倉だった。

 その朝倉の顔は緊張で強ばっていて、まるで後ろに不審者が居る事を分かっているかのようだ。いや、頻りに背後を振り返っているからそうに違いない。

 走り出す朝倉。不審者も同じ速度で走り出す。そして不審者が街灯の下に来た瞬間、俺ははっきりと視界に捉える。その不審者が右手に持っている刃物を……


「……助けないと!!」

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