第7話 ちょっとしたSMプレイ

 緑色のパーカーに水色の長ズボン。身長は百六十センチぐらいで痩せ型でやや猫背。フードを深く被っているから顔は見えないが、胸とお尻が出ていない事を考えるに性別は男性だろう。年齢は不明。だが服装から考えるに、大体二十~四十歳の間だと思われる。そんな不審人物がマンションから少し離れた場所にある電柱の陰に隠れていた。

 こ、怖い……しかも目が合ったよ……どうしよう……どうしよう!?

 幸い、あちらから近付いてくる事はないがここは裏通りで人気が無い。このままでは危険だ。絡まれたら確実に良い目には遭わないと本能が告げている。だが両足が動かない。まるで足と地面が同化しているかのようだ。

 マズいマズいマズいマズい!!動け……動け俺の足!!


 そして……


「……っ!」


 一瞬で気配が消えた。直後、俺の両踵が地面から離れたので、慌てて右足を前に出し、左足を前に出して全力で大通りの方へ駆ける。

 大通りまで十メートル、五メートル、三メートル、一メートル……そしてやっと大通りに足を踏み入れた瞬間――


「うわっ!?」

「きゃっ!?」


 何者かと正面衝突。

 激しい衝撃で狂った焦点を正常に戻す。すると眼前に朝倉の涙目の顔があった。


「痛たぁー…………っ!」


 俺同様、焦点が戻った瞬間、朝倉はこちらの目を凝視し、まるで金魚のように口をパクパクさせる。


 そんなに驚く事はなかろうに……ん?


 朝倉のオーバーリアクションに呆れていると、とある事に気付いた。そのとある事とは右手に柔らかい感触がある事だ。


 何だ?もしかして俺はプリンでも掴んで……


「……って、え!?」


 どうやら俺は大きな勘違いをしていたらしい。俺が掴んでいたのはプリンではなく、朝倉の小振りな左胸だった。しかもそれをシャツの上からとかブラの上からとかじゃなく直接掴んでいる。

 それに気付いた瞬間、周囲の事が見え始め、自分が朝倉を押し倒している事にも気付く。


 待て、どうしてこうなった?どうしてこうなった!?


「……け……」


 朝倉が小さく何かを呟いた。


「えっ?何て?」


 で、その何かを聞き直そうと声を掛けた直後――


「退けー!!」


 獰猛な牙を剥き出しにした朝倉に顔面をガリガリガリッ!と思いっきり引っ掛かれるのであった。


※※※※※※


 俺が朝倉を押し倒した現場から少し離れた公園。そのベンチで俺は項垂れながら座っていた。

 右隣に座るは不機嫌丸出しの朝倉。彼女は先程から一切口を開かないどころか目すら合わせてくれない。それがあまりにも居たたまれなくて、今すぐにでもこの場から去りたい気分だ。しかし俺がここまで来た理由は彼女から悩みを聞き出す為。なので逃げるわけにはいかない。


「……あー、何だ?取り敢えずごめん」


 このままお互いに無言というのはさすがに気まずいので一先ず謝罪する。が、どうやら【取り敢えず】という言葉が気に食わなかったらしい。朝倉はその言葉を聞いた瞬間、俺の右脇腹を左手でつねった。


「うぎゃぁっ!?」


 擽ったさと痛さが相まって何とも言えない刺激に襲われた俺は体をビクンッ!と跳ねさせる。


「あら可愛い。まるで初オーガズムを迎えた少女のようね、この豚野郎」


 サド気たっぷりの笑みを浮かべて罵る朝倉。その様はさながら女王様というところだろうか。今の彼女に鞭と蝋燭を持たせたら一体どうなる事か。考えただけで身の毛が弥立つ。だが興味はある。なのでここは敢えてSMプレイを行うとしよう。


「ブヒィッ!もっと!もっとこの豚めを虐めてくださいブヒィ!!」

「ほう、それなら……こうよ!!」

「ブヒィッ!?」


 今度は右脇腹を突っつかれて下品な悲鳴を上げる。すると朝倉は頬を上気させて目を輝かせながらとても愉快そうな笑みを浮かべた。


「ほら!ここか?ここが弱いのか!?」

「ブヒッ!?ブッヒィィィィィ!!ピギィィィィィ!!」


 そんな朝倉を更に喜ばせるべく俺はオーバーにビクンビクンと跳ねまくる。それはもう涎を垂らし、豚のような悲鳴を上げながらだ。


「ヒャハハハハハハッ!!そうよ!もっと!もっと哭きなさい!!もっっっっっとよ!!」

「ら、らめ、目覚めちゃう……目覚めちゃうううううううう!!」


 そして公園中に俺のよがり声が響き渡るのであった。


「……プッ!アハハハハハハハハッ!!」


 そんなやり取りが壺に嵌まったのか爆笑し始める朝倉。無邪気に笑う彼女を見て無性に嬉しくなり、俺も同じように高笑う。が、すぐに朝倉の現状が気になり、素に戻って笑うのを止める。すると朝倉も真顔に戻った。そして気まずい沈黙が訪れる。

 さて、何と話を切り出したものか……いきなり『で、何に悩んでるんだ?』とか聞いたら確実に逃げるだろうし、かと言って遠回し過ぎると伝わらないだろうし……いや、ここは敢えてストレートに訊こう。逃げられたら追えば良いだけだ。


「で、こんなところで何してたの?」


 『何に悩んでいるんだ?』と訊こうとしたら先に質問された。


「そ、それはー……その……」


 訊ねる事だけに気を回していたせいで即座に返答する事が出来ず、しどろもどろになる。

 か、返す言葉が見付からない!!

 早く何か返さないと朝倉が不機嫌になってこの場を去るかもしれない。それだけは何としてでも防がないといけないのに、口をパクパクさせる事しか出来ない。そんな自分に心底失望し、絶望を覚える。全身から血の気が引いてしまうぐらいだ。

 そんな情けない俺を真顔でただ見詰める朝倉。しかしいつまで経っても返答が無い事に痺れを切らしたのか、彼女はこう口を開く。


「じゃあパルが当てようか?」


 コクリと頷く。すると朝倉は立ち上がり俺の正面に来た。そして屈んで俺を見上げると言う。


「パルが何に悩んでいるのかが気になるんでしょ?」


 あまりにも的を射た質問に俺の鼓動が跳ね上がる。直後、大量の冷や汗が出た。両手まで震え始める。

 もしここで頷いたら朝倉はどんな行動を取るのだろうか?と思うとどうしてもリアクションが取れない。

 目を閉じる。そして軽く息を吸った後、鼻から息を吐く。すると僅かではあるが気持ちが和らいだ。しかし返答の言葉を口にするのはどうにも無理っぽいので、俺は頷く事でその問いに答える事にした。


「そう、やっぱり……」


 ゆっくりと瞬きした後、呟くようにそう言う朝倉。そして彼女は立ち上がると身を翻してこちらに背を向ける。


「心配してくれる気持ちは嬉しいわ」


 二歩進んで立ち止まると朝倉は言う。


「でもね――」


 再び身を翻す。


「――あなたに出来る事は何にも無い。だから帰って。そしてもうパルに関わらないで」


 その目は背筋が凍り付くほど冷ややかなものだった。


※※※※※※


 それから俺は已む無く帰る事にした。しかし途中で足を止めて考える。

 これで朝倉とおさらばしても良いのか?お前は後悔しないのか?朝倉に何かあったらどうするつもりなんだ?と――

 するとタイミング良く正義先生から電話が来た。それからすぐに彼女と近くの喫茶店で待ち合わせをし、合流する事に。

 現在、その彼女とテラスにある二人用テーブルに就いて向き合うように座っている。


「では、早速話を聞かせてもらおうか!」


 ホットコーヒーにドバドバと角砂糖を入れながら、明るい口調でそう言う正義先生。その所作が妙にイラッとする。きっと心に余裕が無いからだろう。そうとしか思えない。

 怒るな、怒ってはいけない……

 自らの左掌に何度もデコピンをくらわし、ストレスの発散を試みる。痛いがペチペチという音が心地好い。そのおかげかある程度怒りが和らいだ。


「端的に言えば完全拒絶されました。お前に出来る事は何もないから帰れ。そしてもう関わるな――みたいな感じでしたね」

「それは確かに完全拒絶だ。ドンマイとしか言いようがないね」


 正義先生は顎に右手の指を付けて「ふむふむ」と納得するように頷いた。そして本心を読み取る為かこちらを見据えてこう訊ねる。


「それで、君はそれに従うのかい?」

「それは…………分かりません。どうしたら良いのかさっぱりです。正直、八方塞がりです。俺はどうしたら良いのでしょうか……正義先生、教えてください」


 本心を吐露し、すがるように訊ねる。すると当然と言っちゃあ当然だが正義先生はこう答える。


「それは君が決める事だよ、アへ顔先生」

「ですよね……」

「そもそもだよ?君はどうしたいんだい?人生プランナーちゃんを助けたくはないのかい?」

「そりゃあ助けたいですよ。でも……」


『朝倉に嫌われたくない』


 そう言おうとしたが途中で止める。理由は正義先生に勘違いされたくないからだ。

 この言い方をすればきっと正義先生は俺が朝倉を好いていると思う。そうなるとややこしい。

 別に朝倉の事は嫌いではない。寧ろ好きだ。でもその好きは人間としてという意味である――と、正義先生に説明してもきっと聞く耳を持ってはくれない。寧ろ勘違いして茶化し始める。最悪な場合、嫉妬して帰ってしまうだろう。それはややこしい事この上ない。何としてでも防がなければならない事態だ。故にどうしてもその先を口にする事が出来ずにいると――


「あぁ、なるほど、そういう事か」


 それを察したらしい正義先生は、納得したように「ふむふむ」と頷いた。


「つまり君は人生プランナーちゃんの事が好きなんだね?」


 マズい、勘違いされる!!

 そう思い咄嗟に誤魔化そうとしたら正義先生はこう続ける。


「いや、別に何も答えなくて良いよ。どうせ君は、人間として、と言いたいのだろう?」


 無言で正義先生を見詰める。一切目を逸らさない。

 するとそれを肯定と捉えた正義先生は更に続ける。


「君らしいと言っちゃあ君らしい。そういう所、嫌いじゃないよ。でもね、それは本心なのかい?」

「……というと?」

「君は人生プランナーちゃんに恋をしていないと断言出来るのかい?」


 出来るか出来ないかで答えるとすれば、俺は後者を選ぶ。だがそれは迷った末に渋々という感じでだ。

 因みに、何故そんな感じになってしまうのかというと――


「そんな確信めいた口調で言われると断言出来ないんですけど……」


 てのが原因で、正義先生がそんな口調で言って来なかったら俺は普通に【断言出来る】を選んでいる。


「別に確信は持っていない。でもね、わたしは思うんだよ」

「思う……?」

「そう、君に人生プランナーちゃんを好きでいて欲しいってね」

「…………は?」


 この人は何を言っているのだろうか?てか正義先生は俺の事が好きなんじゃないのか?それなのにどうしてそんな願望を……

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