第5話 デコチュー

※※※※※※


 朝倉を家まで送ると早々に帰宅した。それから風呂と歯磨きを済ませて部屋に戻ろうとしたら風呂場前でキラとばったり鉢合わせ。


「よう、これから風呂か?」


 いくら嫌われたとはいえ、会話が無いのはとても悲しい。なので罵声を浴びせられる事を承知でそんな事を訊ねる。因みにその質問をした理由はキラが両手に着替え一式を持っていたからだ。


「…………フン」


 悲しいかな、不機嫌そうに鼻を鳴らして横切られた。

 話すらしたくない、と……こりゃ関係修復は不可能かもしれないな。

 そう思っていると背後から「ねえ」と声を掛けられる。

 キラから声を掛けてもらえた事に心が踊るが、それを悟られると気持ち悪がられるかもしれない。なのでなるべく冷静を装いつつ振り返る。


「……どうした?」

「…………」


 無言で俯くキラ。


「キラ?」

「…………っ!」


 彼女は何も言わずに風呂場へ入って行った。


「何だアイツ?」


 もしかして文句を言おうとしたけど、俺を見た瞬間、気持ち悪くなって吐きに行ったとかだろうか?もしそうなら心底傷付くな……


※※※※※※


 さてさて、翌日になりました。朝食を摂って早々に登校したわけだが、果たしてパルパルは計画を立てる事が出来たのだろうか?昨夜あんな状態になっていたのだからそれは無いと思うが、取り敢えず期待だけはしておくとしよう――という気持ちでクラスメート達に朝の挨拶したり、HRを受けたり、午前中の授業を受けていたのだが、未だ朝倉からの接触は無し。もしかしてまた何かあったのだろうか?

 そんな心配をしながら男子トイレから出ると、そのパルパルさんが姿を現した。彼女はトイレの正面にある壁に背中を預けて腕組みしている。下瞼に隈、眼球の充血。察するに昨日は徹夜だったのだろう。

 もしかして俺のせい……?

 そう思っていると、朝倉がこちらに気付いた。


「おはよう、瓜生君」

「おはよう、朝倉。昨日寝てないのか?」

「まあ、そんなところかしら。それより――」


 朝倉は勢いを付けて壁から離れると、こちらへ歩いて来て、俺の眼前で足を止めた。そして……


「――計画書が完成したわ。これから打ち合わせをしましょう」


 顔が近い……

 あまりの近さに思わずキスしたくなる。だがそんな事をしてしまうと朝倉ファンに抹殺されかねないので、仰け反って顔を離す事で衝動に逆らう。


「と、唐突だな」

「良いじゃない、今は昼休みなんだし」


 そう言ってズイッと顔を寄せる朝倉。

 だから近いって……

 更に仰け反って離れる。


「どうして逃げるの?いえ、そんな事よりほら――」


 俺の右手を左手で掴み、引っ張る。その方向にあるのは屋上へ続く階段だ。


「――早くしなさい」

「分かった。だから手を放してくれ」

「ん、何で?」

「童貞には辛い」


 人よりけりとは思うが、童貞とは人前で女子と手を繋ぐ事に苦痛を感じる生き物だ。理由は人前で勃起する事を恐れているからである。

 何で手を繋いだだけで勃起するんだよ?と思う人も少なくないだろう。でも分かる人には分かるはずだ。手を繋いだらどうしてもその先を考えてしまうこの愚かさを……

 とまあ、俺が言いたいのはそういう事である。そしてそれを防ぎたいから朝倉にそんな事を言ったのだ。


「…………プッ!アハハハハハッ!」


 どうやら俺の考えを理解したらしい。朝倉は吹き出し、爆笑し始めた。


「あんた童貞だったんだ!アッハハハハハハッ!」

「おい、大声で童貞言うな。死にたくなるから」

「あー、はいはい!ごっめんねー!それじゃあさっさと行きましょう!」


 考えを理解したはずなのに未だ俺の手を掴んで引っ張る朝倉。今の彼女ほどサディスティックなヤツはそうそういないだろう。


「だから放せって言って――」

「はいはい、童貞は黙っててねー」

「童貞言うなっての!」


 そして俺は引かれるまま屋上への階段を上るのであった。







 で、屋上に着いても手を放してくれない、と……どんだけ性格悪いんだよ。

 俺と朝倉は屋上のベンチに密着するように並んで座っていた。右に俺で左に朝倉という並びだ。勿論手は繋いだまま。というか悪戯心に火が着いた朝倉のせい――いや、朝倉のおかげで指を絡めて繋いでいる状態である。まあ、恋人繋ぎってヤツだな。


「ねえねえ、興奮する?勃起する?」

「ムカつくから教えない」

「えー、じゃあ……」


 そこまで言うと朝倉は俺の耳元に口を近付けた。そしてこちらの脳が蕩けそうになる程の甘い声で言う。


「パルがほっぺにキスしたら勃起する?」


 で、更に俺を苛めるべく耳に息をフゥーと吹き掛ける。


「ひゃうん!?」

「あらやだ可愛い!」

「…………」


 本当に性格悪いなっ!押し倒してやろうか!?


「とまあ、童貞遊びはここまでにするとして」


 そう言って俺から離れ、繋いだ手も放す朝倉。本当に酷い女だ。だがもっと酷いと思うのは――


「あっ、この前も言ったけどパルの事好きにならないでよ?」


 と、念を押す所である。


「わぁーってるっての。てかお前みたいな性格の悪い女、俺の好みじゃないし!」

「ならどんな系が好みなの?もしかして妹のどちらかとか?」

「お前って、賢そうに見えて実は馬鹿だよな」

「はあ!?どこがよ!?」

「いや、だって…………うん、そんな事よりさっさと本題に入ろうぜ」

「釈然としないわね!でも、取り敢えずそうしてあげるわ」


 かなりあっさりした性格のパルパルさんであった。


「ちょっと待ってて」


 そう言って、背負っていた小さな鞄を降ろすと、チャックを開けて中を漁る朝倉。そして「あった!」と言うとそこから黒いファイルを取り出してこちらに差し出す。

 それを受け取り、ファイルを開くと、そこには左上に小さな穴を開けて紐で綴ったA4サイズの用紙の束が入っていた。一枚目には大きく【仲直り計画書】という文字がプリントされているだけで、二枚目からは一日のスケジュール表やらその解説やらイラストやらがプリントされている。


「これ、お前が作成したのか?」

「当然よ!」


 朝倉は無い胸を張って自慢げに言う。俺はその胸に憐れみの目を向けた後、用紙に視線を戻して内容の確認を始める。


「一応、解説は詳しく書いてあるけど質問は?」

「無い。これで充分だよ」


 朝倉の作った計画書は完璧そのもので口頭での解説が一切いらない程の出来だ。全ての漢字にルビが振られているし細かい解説だし。質問?そんなのあるわけがない。あるとすれば『これ作るのにどれぐらい時間が掛かったんだ?』とか『こんなに手間を掛けて……もしかして俺の事が好きなのか?』とか『スリーサイズが知りたいんだけど……良いかな?』ぐらいである。


「なら良かったわ」


 安堵したのかホッと息を吐く朝倉。そんな彼女の頭を撫でて全力で褒め称えたい衝動に襲われるが、それをすると人前で何度も【童貞】と罵倒されそうなので止めておく。その代わり――


「ありがとう、マジで助かるよ」


 礼を言う事にした。でもってこう付け加える。


「ついでに依頼料も安くしてくれると嬉しいなぁー……」

「それは無理」

「ですよねー」


 当然の如く拒否られた。


「そう言えば依頼料っていくらぐらいになるんだ?高いのは何となく分かるが……百万円を超えたりはしないよな?」

「まさか。必要経費を合わせたとしても五十より上は無いわ」

「五十って……五十万円って事?」


 朝倉はコクリと頷き、こう答える。


「その通りよ。高い?」


 高いか高くないかと聞かれれば、それは誰だって高いと答える。だが俺は違う。妹達と仲直りが出来るのなら寧ろ安い方だ。


「いんや、別に」

「そっか、さすが一人で妹達を養っているだけはあるわね」

「まあ、なにで生活費を稼いでいるのかは大きい声では言えないんだけど」

「確かに」


 俺の現状の殆どを知っている朝倉はクスリと笑う。

 そして沈黙が訪れる。だがこれは気まずい沈黙ではない。心が落ち着くような安心感のある沈黙だ。

 そう言えば俺だけ色々と知られているのは不公平だよな……

 幾ら妹達と仲直りする為とはいえ、朝倉に個人情報を知られ過ぎた。しかも妹達についても幾つか知られてしまった。それなのに俺は朝倉の事をあまり知らない。そんなの公平ではない。

 ……よし。


「なあ、朝倉」

「ん、何?」

「お前、昨日は一体どうしたんだ?」

「…………」


 朝倉は下唇を噛んで俯いた。どうやら俺はかなりマズい質問をしてしまったらしい。

 再び訪れる静寂。それが五秒ほど続いたところで朝倉はバッと立ち上がる。


「……依頼料は払わなくて良いからもうパルに関わらないで」

「……えっ」

「……ごめんなさい!」


 そして朝倉は走って校舎へ戻って行った。


「……クソッ!俺は……」


 俺は何て愚かなんだ!!

 走り去る朝倉を掴もうとしたが、寸でのところで臆病風を吹かせてそれを止めた右手を下ろす。


「朝倉……」


 俺は肩を落として、暫くの間、項垂れるのであった。


※※※※※※


 あの後、俺は早退し、寄り道せずに帰宅した。それからすぐに部屋でふて寝する事にしたが、どうもショックが大きかったらしい。眠りに就けず、気付けば夜になっていた。

 唐突に胃がグゥ、と鳴って空腹を訴える。だが食欲も動く気力も無いので俺は微動だにせず、ずっと天井の一点だけをただ見詰める。

 そんな状態が何時間か続いたところで扉が二回ノックされた。だが動く気ゼロの俺が唇を動かすわけもなく、そのまま耳を澄ますだけにする。すると声掛けも無く扉が開いてそこからキラが入って来た。


「何だ、やっぱりいるんじゃない」


 そう言いながら部屋に入ると、キラは俺の傍らまで来てベッドに腰掛け、こちらの顔を真上から覗き見る。

 その直前で俺は目を極限まで細める。


「ねえ、起きて」


 この台詞から察するに、どうやらキラは俺が起きている事に気付いていないらしい。これは好都合だ。そのまま狸寝入りをするとしよう。


「寝てる……?」

「…………」

「そっか、寝てるのか……」


 呟くようにそう言うとキラは俺の額に右手を当てて前髪を掻き上げた。そして何を思ったか俺の額にキスをし、三秒後に離れると立ち上がり、部屋の扉の方へ歩を進めて部屋を出た後、扉を閉める。

 すぐに離れて行く足音が聞こえた。

 で、完全に足音が聞こえなくなると俺は目を見開く。

 何だ今のは……俺、キラにデコチューされたよな!?何で!?もしかしてキラは俺の事が好きなのか!?いや、でもキラは心底俺を嫌っているはずだ。仕事を知られてからずっと毛嫌いしているような態度を取っている事からもそれは明らか……ならどうしてデコチューを……?

 上体を起こし、布団に顔を押し付ける。そして「何故だああああああ!?」と絶叫する俺であった。


※※※※※※


 キラのせいで悶々とする事約二時間。思考回路を酷使したせいで甘いものが欲しくなって来た。なので俺はついに部屋を出てリビングへと足を運んだ。即座に目に映ったのはソファーで仰向けに寝ながら両手を前に突き出してスマホを弄るキラ。先程のアレを思い出し、顔が熱くなるのを感じながらテーブルへ行くと、俺の席にカツ丼が置かれていた。

 食べないわけにもいかないので、丼を持って電子レンジの前へ行き、その中にカツ丼を入れて加熱開始。

 ふとキラがいる辺りから視線を感じたのでその方向に目をやる。するとキラと目が合った。だがそれは一瞬の出来事で直ぐ様互いに目を逸らす。

 き、気まずい……今すぐここから消え去りたい……

 が、ご飯を温めている途中だし、食べないとカノンに何を言われるか分からないので、ここで逃げるわけにはいかない。

 堪えろ……堪えるんだ俺……

 レンジが加熱終了を知らせる。

 カツ丼を取り出し、自分の席へ。


「いただきます」


 両手を合わせて挨拶し、箸を持つ。そして汁だくのカツを一切れ摘まみ、それを口に入れる。


「っ!?」


 あ、甘い!!まるでべっこう飴のような酷い甘さだ!!まさか塩と砂糖を間違えたのか!?いや、でもカノンがそんなミスをするとは思えない……そうか!これは俺が甘いものが欲しくなって部屋から出てくる事を予想して――って、それはねえか。それならどうして……


「……っ!」


 再びキラの方から視線を感じる。しかも観察するような凝視線だ。


「…………そうか」


 俺は思い至った。これはキラの悪戯なのだと――

 カノンが料理でミスをする事はほぼ無い。ましてや砂糖と塩を間違えるなんて有り得るわけがない。それならキラが何かしら――例えばテーブルに取り置きされていたカツ丼に砂糖を入れたりという悪戯をしている可能性がある。というかその可能性が非常に高い。それなら俺が取るべき行動はただ一つ。


「……美味い!そして甘ったるい!てか何で俺が糖分を欲しがっているって分かったんだ!?アイツすげぇな!」


 そう、俺が取るべき行動はその悪戯を受け入れる事だけである。


「なっ!?」


 ソファーの方からキラの驚愕する声が聞こえる。横目で見ると彼女は目をパチクリさせていた。

 視線をカツ丼に戻す。そして更に一口、二口、三口と食べ進め、ものの五分で完食すると立ち上がり、丼を台所へ持って行くとそのまま部屋へ戻る事に。


「……どうした?」

「……フン」


 リビングを出る直前で立ち止まりキラに訊ねるとそっぽを向かれた。その耳が真っ赤に染まっていた事に僅かな疑問を覚えるも俺は部屋へ戻る。


「……そういや」


 部屋の扉を閉めた所で俺は朝倉から貰った計画書の存在を思い出した。


「…………はあ」


 直後、朝倉に去られた事も思い出して深くため息を吐く。

 机に置かれた鞄を漁ってそこから計画書を取り出し、ベッドに腰掛けて内容確認。

 二枚目に書かれたスケジュールを確認すると【帰宅してからのスケジュール】と書かれていた。その隣には今日の日付け。つまりこれは今からしなくちゃならないスケジュールだ。

 ……計画の実行って今日からだったのかよ!!

 心の中で絶叫し、更に目を通す。


【とにかく二人にキモがられるまで褒める】


 スケジュールの始めにそんな文字が書かれていた。


「…………は?」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る