第3話 朝倉パル(遥)

「あのー……キラさん?それって僕の朝食ですよね……?」


 恐る恐る訊ねる。するとキラは鋭い眼光をこちらに向けて睨んだ。そのあまりの鋭さに心臓を貫かれたかのような痛みを感じ、怯むと同時に一歩退く。だがここで気圧されては兄の威厳が無くなるので、一歩進んで握った右手を口元へ持って来てコホンと咳払う。そして右手を下ろすとキラを見据える。


「……怒ってる?」

「…………フン!」


 キラはこちらを睨んだまま皿の上のウインナーをフォークでぶっ刺した。

 食器のぶつかる音がやけに大きくて反射的に俺は体をビクつかせる。

 負けちゃダメだ負けちゃダメだ負けちゃダメだ……

 気を落ち着かせる為、目を瞑って深く息を吐いた後、目を開けて心の中で『よし!』と気合いを入れる。


「キラ、今まで黙っててごめんな。俺、最低だよな……本当にごめん!」


 両手を真っ直ぐ下げ、腰を直角に折って謝罪する。


「…………」


 無言のキラ。しかし視線は未だにこちらに向けられているらしく、刺すような鋭さは相変わらず感じている。もしかしたら何を言うか考えているのかもしれない。それがどんな言葉なのかは分からないが、俺はそれを待つ事にした。


「……あんたなんか……あたしのお兄じゃない!!」


 バンッ!とテーブルを叩く音がリビングに響き渡る。直後、キラは立ち上がり自部屋へ走り去った。


「キラ……」


 最後にチラリと見えたキラの悔しそうな、それでいて悲しそうな表情を思い出し、胸が締め付けられる。


「キラは精神的にはまだまだ子供だから……」


 俺の背後でそう言うと、カノンは台所へ行き、俺の分の朝食を作る為かコンロに火を着けた。そしてこう続ける。


「……だから許してあげて」

「そう、だな……」


 カノンの後ろ姿を見ながらそう呟くと席に座る。

 十分後、やっと俺は朝食にあり付く事が出来るのであった。


※※※※※※


 登校中、知人と会っては挨拶を交わす。とはいえ、俺はそこまで友達が多いわけではないので交わしたのはせいぜい三回程度だ。で、教室へ着くや少し大きめに挨拶。するとクラスメート達はそれぞれ挨拶を返した。

 俺の所属しているクラスの生徒達は比較的明るい。なので返って来たのはそれなりに多かった。

 そして自席に到着すると机の右横に鞄を置いて席に付く。


「そういえば……」


 ここで俺は昨日、朝倉の名刺入れを拾った事を思い出す。

 鞄からそれを取り出し、失礼な行為である事を承知で名刺を確認する。


【人生プランナー兼フリーカウンセラー

朝倉パル(遥)

Tel×××―××××―××××

Mail~~~~】


 黄色と水色とオレンジのカラフルなデザインが施された紙に、そんな文字が書かれていた。

 今度は裏に目を通すが何も書かれていない。


「フリーカウンセラーは何となく分かるが……人生プランナー?なんじゃそりゃ」


 いや、その前にどうして一介の学生がそんな仕事をしているんだ?もしかして家庭の事情ってヤツだろうか。もしそうなら何も見なかった事にした方が――


「――ん?」


 ふと真正面から視線を感じたので顔を上げると眼前に――


「……ヴッ!」


 名刺の持ち主こと朝倉パル(遥)のジト目面があった。


「お・は・よ・う・瓜生君!」


 そしてニッコリ笑顔。だがうっすら開かれた目が全然笑っていない。眼光が鋭いし、よくよく見ると右のこめかみに太めの血管が浮かんでいる。


「お、おはようございます……朝倉さん……」


 笑顔で会釈。しかし思いの外動揺しているらしく自分でも右頬が引き吊っているのが分かった。


「何……見てるのかな?」


 相変わらずの表情で訊ねる朝倉。怖いからもう笑うのはやめて欲しいと本気で思う。


「ぱ、パルさんの名刺です……」

「パル……?誰かなそれ?」

「いや、あなたでしょ」

「さあ?分からないなぁー」

「……なら大声で読み上げても良いですか?」

「だーめっ」

「ふーん」


 ジーッと朝倉の目を見詰めて考える。

 もしここでこの名刺の内容を読み上げたら一体どうなるか?それは当然、みんな怪訝がったり番号に電話してみたりメールしてみたりするだろう。そうなると朝倉は非常に煩わされる。それはそれで面白いが……いや、待てよ――


「なあ、人生プランナーって何だ?」

「顧客の人生をプランニングしてあげる人の事よ」

「そこ詳しく」

「……どうして?」


 怪むように眉をひそめる朝倉。


「どうしてもだ。もし朝倉が俺の思っているとおりの仕事をしているのなら依頼したい事がある」


 俺がそう答えると彼女は目をパチクリさせた。そして突然フッと笑うと俺の右手を左手で掴み、口端を綻ばせて言う。


「二人っきりで話が出来るところへ行きましょう。そうね……屋上はどうかしら?」


※※※※※※


 男子生徒達には睨まれ、女子生徒達には好奇の目で見られながら俺達は屋上へ到着した。

 ここに来るまでに受けたストレスは計り知れない。特にストレスだったのはたまたまキラと遭遇した事。目が合った瞬間、脛を蹴られたし。そのせいで心が痛いし脛も痛いし疲れで気だるい。そんな最悪な状態だったってのに今はもっと最悪だ。何故か?それは朝倉と密着してベンチに座るという状況に陥っているからである。しかも朝倉が俺の右腕に抱き付いて胸を押し付けてるし。何だよこの状況は!!


「なあ、離れてくれないか」

「何よ、ウブね……」

「違ぇよ、肋が当たって痛いんだよ」


 これは本当の事だ。朝倉が胸を押し付けようとする度に彼女の肋骨がゴリゴリと俺の肘を擦り下ろそうと刺激してくる。それが堪らなく痛いのだ。


「なっ!?」


 朝倉の顔から一瞬で血の気が失せた。直後、目に屈辱の涙が浮かび始める。でもこれは仕方のない事だ。本当の事を言って何が悪い。


「な、なな、なっ……」


 怒りが沸いて来たのだろう。今度はワナワナと震えながら急激に顔を真っ赤にしてゆく。

 そしてそれが頂点に達したようで――


「何てこと言うのよーー!!」

「あべぇーっし!?」


 俺は左頬に渾身のビンタを食らった。その衝撃は凄まじく、捻れた首の骨がゴキゴキッ!と鳴る程だった。


「死ね!鬼畜!外道!陵辱魔ーーーー!!」


 衝撃でベンチに倒れた俺に、大粒の涙を流しながら殴る蹴るの暴行を加える朝倉。無抵抗の俺と、そんな俺を罵倒しながら追い討ちを掛ける朝倉……凌辱魔は省くとして、果たしてどちらが鬼畜で外道なのだろうか。


「お、落ち着け朝倉!小さいは正義だ!」

「んなの慰めにもなってないわよ!バカーー!!」

「いや!なってるはずだ!だって俺はこんなに君にドキドキしている!!」

「えっ……」


 咄嗟に出た適当な台詞に、朝倉は目を見開いて動きを止めた。

 嗚呼、俺が性的に興奮を覚えたと勘違いされただろうなぁ……でもこれは好都合かもしれないな、うん。


「良いか、朝倉。俺はお前の事が好き――」

「えっ……」

「ではないが魅力的な女性だと思っている。だから小さいは正義って言ったんだ」

「…………」


 ……あれ?何か余計不機嫌になってるような気がするのだが……何故だ?

 文句を言いたげな表情でこちらをキッと睨む朝倉を見て心の底から不思議に思う。


「……それで、人生プランナーについてだったわね。早速だけど人生プランナーとは――」

「待て、何でいきなり解説を始める?」

「――所謂、顧客の今後の人生プランを提案する人の事を指しているの」


 そして何故無視をする……だがまあ、怒りが収まったようだから話に乗るとしよう。


「例えばどんな事をするんだ?」

「そうね、顧客のニーズに合った人生プランを提案するのだから……例えば瓜生君が金持ちになりたいとパルに相談したとするじゃない?そしたらパルは色々な情報と知識を駆使して何通りもの現実的なプランを設計するわ。瓜生君はまだ高校生だからまずは……とにかく勉強ね。でもただ勉強させるだけじゃない。金持ちになる為の勉強……社長のような金持ちになりたいのならビジネス学だったり、資産家のような金持ちになりたいのなら株式とかFXとかの勉強をしてもらうわ。その為の教材は勿論こちらで集めるから。それから今度は金持ちになるまでのスケジュールの設計、管理。で、実現させればパルの仕事はそこで終わり……てな感じよ。因みに保証は無し。賠償もしない」

「じゃあ自己責任ってわけか?」

「当然よ。じゃないとこっちが大損するじゃない」

「いやいや、だったら人生プランが失敗に終わった人はどうするんだよ?お前を信じてスケジュールに従ったんだぞ?それが台無しになったら――」

「時間を無駄にした……そう思われるかもしれないわね」


 そのとおりだ。そして俺なら朝倉を恨む。もしかしたら殺すかもしれない。そんな事にならない為に保証や賠償は必要だと思うのだが……


「でも心配は要らない」

「は?どうして?」

「その時の為の設計も予め行っておくからよ。社長になれなかったのなら次は社長に準ずる何かになれば良い。医者になれなかったのならそれに準ずる何か……その為の知識は既に手に入っているはずよ。そう、パルのスケジュールに従っていたのならね!」


 そう言って朝倉は誇らしげな笑みを浮かべる。その笑顔は自信に満ちていて、俺にはとても眩しく見えた。不覚にも、俺もこんな笑い方の出来る人間になりたい、と思ったぐらいだ。


「……そっか」


 そして俺は朝倉にとある依頼をする事に決めた。認めるのは癪だが朝倉の自信に憧れたからだ。


「じゃあ、一つ頼まれてくれ!」


 俺はとある事を見落とした。その事に気付くのにそこまで時間は掛からなかったが、その気付いたタイミングが最悪である事をこの時の俺はまだ知らない。


「分かったわ。何を頼まれれば良いの?」


 一つ返事の後、即座に依頼内容を訊ねる朝倉。その顔は既に仕事モードに入っていて真剣そのもの。それを見た俺は、まるで絵描き中の俺みたいだな、と思い不覚にも彼女に親近感を覚えた。そのおかげか――


「実は妹二人と仲直りがしたい」


 普通の思春期男子なら絶対に他人に言えない事がスラスラと口から出た。そして即座に『何で俺は同級生の女子にこんな話をしているんだよ……これ、絶対笑われる』と心の中で後悔する。しかしその後悔は徒労だったらしく、朝倉は表情を変えない。それどころか「詳しく教えて。力になれるかもしれない」と言う始末だ。


「お前、結構良いヤツなんだな」

「……てい!」


 無意識に俺の口から出た言葉に、朝倉はやや赤面すると、俺の額にしっぺを食らわせた。


「そんな事言っても料金はまけないんだからね!」

「はいはい、幾らになるかは知らないけど分かってますよーっと。それで――」


 そして俺は朝倉に話すのであった。自分が同人誌作家である事も含めて家族構成やら妹達との関係やら自分の性格やら家庭環境やら、それはもうあらゆる情報を――


※※※※※※


 話が終わると朝倉は『分かったわ。それじゃあ一日だけ待ってて』と言って立ち上がった。そして出入口まで行くと立ち止まり、最後に『あぁ、それとこれだけは守って欲しいんだけど…………絶対にパルに惚れないでね』と言って姿を消した。それから俺は教室へ戻ったわけだが既に二時限目になっていた事には正直驚きだ。で、普通に授業を受けて放課後になるや、嫌な女にメールで昨日の喫茶店に呼び出される事となる。


「それで、今回は何の用件でしょうか、正義先生」


 分かり切ってはいるが、取り敢えず通過儀礼のように機械的に訊ねる。そんな自分にげんなりと肩を落としつつ正義先生の正面の席へ。


「取り敢えずホットコーヒーで良いかい?」

「ええ、それで結構です」


 呼び出しボタンを押す正義先生。それと同時にピンポーン!と音が鳴り、すぐに女性店員がやってきた。


「ホットコーヒー二つ」

「かしこまりました」


 そう言うと女性店員は厨房へ駆けて行った。それを見送った後、正義先生に目を向けると、すぐさまニタニタと嫌らしい笑みを浮かべている彼女と目が合う。


「……なんすか?」


 俺が訊ねると、正義先生は右手を口に添えて「ムフッ!」と笑った。

 あー、不愉快。もう帰ろうかな?

 そう思い、無意識に唾を吐き捨てそうになるが、ここが屋内である事を思い出し、寸でのところで止める。

 コホンと咳払い。

 そして再び正義先生を見て文句の一つでも言おうとしたところで――


「やっぱり結婚する?」


 というムカつく台詞で遮られる。


「しねえよ」


 無表情で即答。


「えー、しようよ結婚」

「……帰って良いっすか?」


 そう言って本当に帰るべく席を立つ。すると正義先生は慌てる様子もなくアハハッと爽やかな笑みを浮かべた。


「いやぁー、すまないすまない!冗談ではないが冗談だ!それより座ってくれ、でないと本題に入れない」

「…………はあ、分かりました」


 席へ戻り、テーブルに両肘を付いて指を組み、それに軽く顎を乗せて正義先生を睨み付ける。


「で、用件は?」

「言わずとも分かるだろうが取り敢えず…………何か進展はあった?」


 それはもう無邪気な子供のように目を輝かせる正義先生。怒りを通り越して呆れを覚える。ため息が出るぐらいだ。


「……はいはい、ありましたよ。あり過ぎましたよ。話しましょうか?」

「うん、よろっす!」


 俺は今朝の妹達とのやり取りだけを話し、朝倉とのやり取りは一切話さなかった。

 そして俺が話し終えると、正義先生はウインクしながら他人事のように言う。


「なるほど、それはドンマイだったね!」


 よし、ビンタしてやろう!


「それで、君はこれからどうするつもりなんだい?」


 俺が右手を振り上げたところで正義先生は、両手を上げて仰け反りながら訊ねる。

 走る寸前だった右手を後頭部に回し、そのまま髪をガリガリ引っ掻く。そして右手を下ろし、正義先生に視線を戻して――


「勿論仲直りするつもりですよ。まあ、他力本願になってしまいますけど」

「他力本願……?」

「はい……」


 これは言わないでおこうと思ったが……まあ、いずれは知られる事か。


「……実は同級生に人生プランナー兼フリーカウンセラーの娘がいまして……」

「それで君はその娘にお願いする事にした……そういう事かい?」


 その問いに頷く事で答える。すると正義先生は考え込むように右手を顎に付けて俯いた。そして五秒経つと顔を上げてこちらを見る。


「その娘ってまさか…………いえ、やっぱ何でもない」


 ん?何だこの釈然としない態度は……もしかして朝倉と正義先生は――

 そこまで考えた所でコーヒーが運ばれて来た。そのせいで俺は考えていた事を一瞬で忘れてしまう。

 何考えてたんだっけ……?まあ、良いか。


「うげっ!もうこんな時間!?」


 唐突に叫んで立ち上がる正義先生。そして座っていた椅子の左側に置いていた赤い鞄を拾い上げると踵を返し――


「ごっめーん!これから編集と打ち合わせがあるから!じゃあね!」


 と言って慌てて去って行った。


「忙しい人だな…………って!勘定は俺持ちかよ!!」

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