第2話 妹達が俺のアへ顔イラストを所望してくるのですが

 何言ってんのこの人?俺の日常を題材にだって?そんなの売れないに決まってるだろうが。そもそもの話、俺、エロ専の絵師である事以外は平凡な高校生だし。そんなヤツの日常を題材にして何が面白いっての?バカなの?死ぬの?


「何だその可哀想な人を見るような目は?」

「いや、普通はそんな目になるでしょ。俺、普通の高校生だしつまらん人間だし」

「いいや、君の生活はこれから面白いものになるよ」


 そう言って正義先生は意味深にニヤリと笑う。

 それを見て俺は嫌な予感がした。


「だって……」


 右側に画面を伏せるように置いていたスマホを右手に取り、画面をこちらに見せる正義先生。


「……げっ!?」


 画面には動画が映し出されていた。その動画は誰にも見せられないもの。もし見られたら切腹しないといけなくなるレベルのものである。因みに内容は俺が自作の同人誌を嬉々として朗読しているというもの。しかも朗読後は誇らしげに作成時の苦労話をしている。


「ま、待て!それをどうするつもりだ!?」

「これを~……あなたの妹二人のスマホに送り付けるの!」


 語尾にハートを付けて満面の笑みを浮かべる正義先生。だが彼女は二人のアドレスを知らないはずだ。だから二人に動画を送り付けるのははっきり言って不可能である。が、


「妹達のアドレスは知らないはずだ、と思ったのなら残念!じゃーん!これなーんだ?」


 と言って正義先生が今までテーブルの下に隠していた左手をこちらに見せた所で俺はそれは可能だと悟る。

 その左手にはいつの間にか俺のスマホが握られていて、メールの送信フォームが映されていた。しかもしっかりと妹二人のアドレス宛てになっている且つ、動画のデータが添付されていて、既に【送信しますか?】のボタンが表示されている。そして――


「ま、待て!待ってくださ――」

「ぽちっとな!」


 正義先生は無情にもその動画を二人に送信した。


「はっはっはっ!これで君の人生は面白おかしいものになったはずだ!」

「な……なな……な、何て事をおおおおおお!!」


 怒りでワナワナと震えながら涙目で正義先生の胸倉を掴み、彼女を激しく前後に揺する。


「まあ、そう怒るな!ギャラは印税の半分にしてやるからさ!」

「んな事で怒りが収まるかボケ!!返せ!俺の薔薇色人生を返せえええええええ!!」


 正義先生の首が勢いに負けてカクカクする程更に激しく揺する。


「あっ!情報は小まめに教えてね!でないと執筆作業に支障が出るから!」

「知るか!!絶対に教えないからな!!」

「でも考えてみろ。これで妹達を幸せにしてやれるかもしれないぞ?」


 幸せ、という単語に反応して動きを止める。


「……どういう事だ?」


 俺が訊ねると正義先生は右手を眼前に持って来て人差し指をピンと立てた。


「自分で言うのもなんだが、わたしには文才がある。それ故に本の売り上げもなかなかのものだ。だからかなりの金持ちであーる。そんな私がこれから出そうとしている新作は確実に大ヒットするはずだ。その印税の半分が手に入るのだぞ?もしかしたら億が手に入るかもしれない。それだけのお金があれば何が出来ると思う?」

「それは……」


 何でも出来る。二人を大学に行かせる事も可能だし、旅行に連れて行く事も可能だ。それに楽をして暮らす事も出来る。それは二人にとってはとても幸せな事だ。ならばここは俺が恥辱に堪えれば良い。そうだ、そうだよ。でも……納得行かねえ!!

 これからの事を考えるとどうしても正義先生に対して憤りを覚える。綺麗な顔をグーパンでメチャクチャにしたいぐらいだ。だが時既に遅しなわけで――


「……分かった……分かりました……半分ですよ……?」


 念を押す事に。


「うん!約束だ!」


 そして話が決まると正義先生の胸倉から両手を放し、気持ちを落ち着ける為に長く息を吐く。


「後で誓約書に署名してもらいますからね」

「おうともさ!」


 ニカッと前歯を見せながら右手の親指を立てると正義先生は席を立って身を翻した。


「じゃ、これからもよろしく頼むよ、アへ顔至高伝説先生!」


 で、正義先生は後ろ手を振って去って行く。

 俺はその背中を見送った後、ため息を吐いて家路へ就くのであった。


※※※※※※


 家の玄関前に到着した。ここに来るまで二人からはメールも電話も来ていない。今、彼女達がどうしているかは分からないが、家に入るのが怖くて仕方がない。

 二人が包丁持って待ち構えてたらどうしよう……

 扉を開けた瞬間、そんな二人と出くわした場面を想像した瞬間、背筋に戦慄が走った。

 途端に全身が震える。特に酷いのは両手で、あまりの震えにドアノブを掴む事が出来ない。

 急激なストレスに苛まれていると、唐突に扉が開き、そこから二つの頭が出てきた。その二つは勿論キラとカノンのもので、とても恨めしそうにこちらを睨んでいる。


「た、ただいま……」


 右手を胸の位置まで上げて挨拶すると――


「お兄のバカ」

「お兄ちゃんのバカ」


 静かに罵倒されました。


 それから二人に手を引かれるままリビングへ移動し、床に正座させられた。二人は腕組みし、まるで般若のような形相でこちらを見下ろし、俺はその二人の目を見る事が出来ずに俯く。


「それで、あの動画は何なのかな、お兄ちゃん?」


 ダンッ!と右足で床を踏んで訊ねるカノン。


「ど、動画って、な、何の事かな……?」

「しらばっくれても無駄だよ?」


 今度はキラがカノンと同じ動きをし、こちらに件の動画が流れている自分のスマホの画面を見せる。丁度俺が『逃げられると思っているのか?』と朗読しているところだった。


「はい、すみません……」


 まるで二人に言われているような気がして反射的に謝罪する。


「違うよ、お兄ちゃん。私達はお兄ちゃんに謝って欲しいわけじゃないんだよ?ただ説明して欲しいだけなんだよ?」


 とても優しくて穏やかな口調でそう言うカノンだが、その表情は相変わらず激怒していて、見ているだけで恐縮してしまう。


「…………ごめんなさい」


 思わず二度目の謝罪。するとカノンの左のこめかみに太い血管が浮かんだ。どうやらイラつかせてしまったようだ。


「で、どういう事?」

「…………」


 もう話すしかないか……仕方ない。


「……実は俺、エッチな絵を描いてお金を稼いでいるんだ」

「そんな……」


 崩れ落ち、床を這いつくばるカノン。一方、キラはまるで虫けらを見るような目をこちらに向けていた。

 嗚呼、死にたい……この世から消え去りたい……

 そうは思うが、そんな事をすれば二人が路頭に迷ってしまうので死ぬわけにはいかない。となればもう嫌われるだけ嫌われれば良い。その後、仲直り出来るよう頑張れば良いだけの話だ。


「ねえ、どんな感じの絵を描いてるか実際に見せて」


 興味本意なのか何なのか、唐突にそんな事を言い始めるキラ。その目はより一層軽蔑に満ちていて、殺意の表れである鋭い眼光が見える。


「い、良いのか?後悔するぞ?」

「何を今更。そんな事より――」


 何かを探すように辺りを見回すキラ。そして右二メートルの距離にある台に置かれた目当ての物を見付けると、それを右手に取ってこちらへ滑らせるように投げた。その目当ての物とは黒いボールペンとメモ帳だ。


「ほら、早く」


 ここで描けというわけか……酷だな。でも……

 左手でメモ帳を掴み、右手にボールペンを持って顔を上げる。二人はクイッと顎を動かし、早くしろのジェスチャーをした。

 メモ帳に視線を戻す。

 ……やるしかないか。

 物凄い速さでボールペンを走らせ、いつも通りエロ画を描き始める。

 まずは萌え系の顔を描いて、次にショートヘアを描いて頭部を完成させる。そこから首、両肩、腕、胴体、小さく膨らんだ胸、へそ、腰まで描いて、顔を上げる。


「こ、後悔するなよ?」


 その問いに二人は頷いて答える。それを見て俺は、二人は既に覚悟していると判断し、再びボールペンを走らせる事に。

 次に脚を描き、モザイク付きの女性器を描いて、最後に女性の両手にピースさせる。これで股を開いてダブルピースするアへ顔女性の絵は完成した。で、恐る恐る顔を上げて二人の表情を確認しようとしたら――


「「最っ低!!」」

「あべぇっし!?」


 当然の如く罵声と同時に顔面キックを食らわされた。


「「死ね!!」」


 そして二人は床を踏み抜くんじゃないかと思う程、大きな足音を鳴らしながら部屋へと戻って行くのであった。

 俺は右手を伸ばして二人が去るのを見ている事しか出来なかった。そんな自分が情けなくて仕方がないと思ったのは言うまでもない。


※※※※※※


 部屋へ戻るとスマホが着信を知らせた。振動が長いからこれは電話だ。

 ズボンの右ポケットからスマホを取り出す。そして相手が大惨事を引き起こした張本人である事を知るや猛烈な憤りを覚える。


「……もしもし?」


 非常に不本意ではあるが、相手は仕事仲間のようなものなので電話に出る事にした。


『やあ、アへ顔先生!先程はどーもっ!』

「…………」


 あまりにも明るいその声音に怒りを通り越して呆然とさせられる。


『あれ?アへ顔先せー?おーい!結婚してくれー?あなたの事がー、とぅきだからぁー!』


 文句の一つでも言いたいところだが、それをしてしまったら話が進まなくなるので左手に固い拳を作ってグッと堪える。そしてフゥー、と息を吐き、気を落ち着けて――


「お断りさせていただきます、正義先生」


 ドスの利いた低い声で告げる。


『あらまっ!何て酷い男なのかしら!』


 どっちがだよ!


「それで、用件は?」

『言わずもがなだよアへ顔先生!』


 つまりどうなったのかが知りたいわけか。そしてそれをネタに新作の執筆を開始すると……舐めてるなコイツ。今度会ったらビンタしてやろうか……?いや、いくらムカついたからとはいえ、暴力はいけないな。うん、暴力はいけない。

 そう自分に言い聞かせて無理矢理怒りを鎮める。


『で?で?どうなった!?』

「あんたのお望み通り悲惨な事になりましたよ」

『というと?』

「ええ、実は――」


 俺は玄関前に到着したところから全てを話した。その間、正義先生は低い声でちょくちょく相づちを打って話を聞いていた。で、それが終わると――


『なるほど、それは面白いね!』

「全っ然面白くないから!!どんだけ地獄だったと思っているんですか!?」

『いやぁー、想像出来ないねぇー。だから心的描写とかそこら辺も詳しく教えてちょ!』

「教えてちょ!じゃねえよ!!」

『そんな事言って結局は教えてくれるんでしょー?』

「あー、はいはい。教えますよ、教えれば良いんでしょ!!」


 それから正義先生の質問は明け方まで続くのであった。


※※※※※※


 チュンチュンという小鳥の囀りを合図に俺の脳はゆっくりと覚醒を始めた。

 最初ははっきりしない思考だが瞬く間に正常を取り戻す。

 目を開ける。すると見慣れた天井があった。この天井は俺の部屋のものだ。

 ふと右腕に何かが絡み付いているような暑苦しさを感じる。その何かを確認するべく首を動かすと――


「うおっ!?」


 目と鼻の先にカノンの寝顔があった。


「…………」


 カノンは昨日、激怒していたはずだ。そんな彼女が俺のベッドに潜り込むとは思えない。なら一体どうして俺のベッドで寝ているのか、謎で仕方がない。あまりの謎さに思考と動きが停止し、息苦しさを覚えたところでやっと呼吸を思い出すぐらいだ。


「すぅーーー、はぁーーー」


 深呼吸し、思考を働かせる。

 怒っている人が怒りの原因である人のベッドに忍び込もうと思う事はまずない。あるとしたら――

 で、思い至る。


「――そうか!夢遊病か!」

「んなわけねぇー」


 結論を口にしたらカノンに突っ込みを入れられた。


「お、起きていたのか……」

「いんや――」


 そこまで言って目を開けるとカノンは上体を起こして瞼を擦り始める。


「――今起きたの」


 そしてフワァー、と大きな欠伸をすると、今度は両手を天に突き上げて伸びをする。


「そ、そうか。おはようカノン」

「うん、おはよう昴さん」


 昴さん……?お兄ちゃんじゃなくて昴さん……?


「もしかして……まだ、怒ってる?」

「怒ってないよ」

「そうか、それは良かっ――」

「でも気持ち悪いとは思ってる」

「はぐぅっ……」


 思いがけない辛辣な台詞に心臓を抉られるような痛みを覚える。


「昴さんの絵が上手い事は分かっていたし、それを活かしてお金を稼いでいた事も知っていた……けどあんな絵で稼いでいるなんて……私、私……ううっ、死にたい……」


 両手で顔を覆ってシクシクと泣き始めるカノン。そんな彼女を慰めるべく抱き締めようとしたら――


「触らないで!!」

「はぶしっ!?」


 思いっきり左頬をビンタされた。

 痛い……でもカノンはもっと痛い思いをしているんだろうなあ……心に。

 そう思うと何も言い返せない。左頬を左手で押さえて、カノンの言葉を待つ事しか出来ない。


「ごめんなさい……でも本当に気持ちが悪くて……」

「お、おう……」


 そして再び両手で顔を覆って静かに泣き始めるカノン。

 どうしよう……いつもなら頭を撫でてやるところだが……でもなあ……

 ビンタされる事を知っていながらそれをやるのは愚行でしかない。つまり今の俺に出来る事は何も無いという事だ。それに気付き俯く。そしてカノンが口を開くのを待つ。


「……昴さんの事は今でも好き……それは本当だよ?でも昴さんと同じ布団で寝て分かった……好きだけど……好きだけど生理的に受け付けない……さっきから鳥肌が立って仕方がないの……私……私どうしたら良いのかな……?」


 膝の上に両手を置いて最後にそう訊ねるとカノンはジッと俺の目を見た。


「…………」


 俺は一生懸命解決法を考える。だが生理現象に対する解決法なんてあるわけもなく、思い付いたものは全て失敗に終わった。なので俺は考えるのを止めた。そしてこう言う事にする。


「……分からない」

「そんな……」


 カノンの希望を求めるような真剣な顔が絶望的なものに変わる。


「待て、話はまだ終わっていない」


 また泣き出す前にカノンの眼前に開いた右手を突き出す。で――


「分からないけど絶対に触れても大丈夫な状態に戻してやるから……だから安心しろ!」


 右手を握りその親指を立ててニカッと笑ってみせる。


「お兄ちゃん……」


 カノンの表情が明るくなった。


「うん!期待してるね!」


 直後、彼女の後ろにある窓から光が差し込み俺の眼球を刺激する。その光は、まるで神の後光のようでとても神々しかった。

 俺は目を閉じ、絶対に戻してやると決意すると再び目を開ける。そしてフッと笑うとカノンに言うのであった。


「おうよ!」


※※※※※※


 それからすぐ、朝食を摂るべくリビングへと足を運んだ。運んだわけだが、俺の席に置かれている皿の上にあるはずの料理は何者かに盗まれていた。

 犯人はすぐに分かった。理由はその犯人ことキラの皿に二人分の朝食が置かれていたからだ。

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