短編

お嬢様は靴が汚い

 舞台は、城下町。町の真ん中にお城がどーんと建っている、非常にわかりやすいつくりの町。お城へと向かう広い通りでは、毎朝人と馬車が忙しそうに行き交っている。そんな城下町の大通りのすこし外れ、裏路地へと続く道の入り口が僕の仕事場である。

「坊主、いつもすまねえな!」

 そう言ってガハハと笑うのは、この町の有名なお金持ちのステインさんだ。少し太っているが、その分身長も高く熊のような見た目をしている。ピチピチのスーツによく似合う高級そうな革靴は、1年以上も僕が磨いている。

「お、さすがだな!ありがとよ!」

 大きな口を開け再びガハハと笑うと、僕の横に置いてあるイワシの油漬けの空き缶にコインを3枚投げ入れ、大股でドカドカと町の人混みに消えていった。


 午後5時、オレンジ色に染まり始めた町に、ゴーン、ゴーン、ゴーン、と教会の鐘が3回鳴った。飲食店がいそいそと店の外にテーブルを出し始める。帰り支度のために空き缶に20枚ほど貯まったコインを麻袋に移し、靴を磨くワックスをリュックに詰めて立ち上がったとき、町の外れの方から立派な茶色いドレスを着た女の子がドタドタと走ってきた。真っ黒のブーツは泥だらけだ。ドレスに不釣り合いな汚いブーツのせいか、すれ違う人は皆彼女を目で追っている。それは僕も例外ではない。するとその女の子は僕の目の前でピタッと止まり、高く、よく通る声で、

「爺や、この男の子は何をしているの?」と叫んだ。突然のことに、後ろからタキシード姿のおじいさんがはぁはぁと息を切らせて追いかけてくるまで動けなかった。

「はぁ、こちらの少年は恐らく、靴磨きでしょう。革靴を掃除することでお金をもらっているのです。」ようやく追いついた、「爺や」と呼ばれたおじいさんは、合ってますか?と言いたげな表情で僕の方を見た。僕はどうしていいかわからず、すばやく何度か頷いた。

「へぇ!じゃあ私の靴も磨いてもらおうかしら!池でカメを捕まえるときに少し汚れてしまったし。」

「見たところもう店じまいの様ですが、、、お願いできますかな?」

 財布を出しながら尋ねるおじいさんに僕は「お金はあとで結構です」と伝えた。一度リュックにしまった台を取り出し、ワックスやタオルなど靴磨きに必要な道具を手元に揃えると、「わぁ」と女の子は目を輝かせた。

「では、この台に足を乗せてください。」

 女の子は、素直に泥だらけのブーツをドンと乗せた。まだ湿り気の残る泥がべっとりと付いている。乾いた布で泥を拭き取る。この布はもう使い物になりそうもない。

「あなた、名前はなんていうの?」

 視線を彼女の顔に向けると、ニコニコとした顔でこちらを見つめている。まつげが長くパッチリとした二重にスッと通った鼻筋のおかげでとても可愛く見える。

「・・・レオって言います」

 泥を全て拭き終え、ワックスでツヤ出しをしながら答える。顔が赤くなってないか心配だ。そんな僕のことなどおかまいなしに話し続ける。

「私はミアっていうの。あなた、何でこんなことしてるの?」

「明日の朝食べるパンを買わなきゃいけないんです、あと卵も」

「家族は?いないの?」

「母が3年前に結核で。」

「あら、それは悪いことを聞いたわね」

「いえ、もう慣れましたので。」

 ワックスを塗り終え、ピカピカに磨かれたブーツを見たミアは、ふたたびよく通る声で叫んだ。

「すごいすごい!新品みたい!あなたすごいわね!」

 生まれ変わったようなブーツを見ながらぴょんぴょんと跳ねるミアを微笑みながら見ていると、爺やと呼ばれていたおじいさんがコインを10枚空き缶に入れた。

「こ、こんなに頂けません、3枚で結構です」

「あんなに笑ったミア様を見るのは久しぶりです、これは彼女の執事としてのささやかな気持ちです」

 戸惑う僕にミアが再び寄ってきた。鼻が触れるほどの距離だ。

「すごいわレオ!私あなたのこと気に入ったの、またお話して下さる!?」

「ぼ、僕は毎日ここにいるので・・・」

 目を逸らしながら答えると、ミアは満足そうな顔で頷き、「爺や、帰るわよ!お母様に見せてあげるの」と言うと1人でお城に走っていった。

「レオ様」

 1人ポツンと残された爺やが僕に話しかける。

「ミア様は王様の一人娘です。ご兄弟はいらっしゃいません。お城暮らしゆえ、お友達とお呼びできるような方もおりません。どうかまたミア様の靴を磨く間だけでもお話して頂けると大変嬉しゅうございます。」

 爺やは少し微笑んでゆったりとした動作で会釈をしたあと、ミアを追いかけ始めた。

「いえ、まいどあり・・・」

 すっかり日が落ち、仕事が終わった人たちでガヤガヤと賑わい始めた大通りで、僕の耳には自分の心臓の音だけが響いていた。


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「レオ、見なさい、私また靴が汚れたの!キレイにしてくださいな」

 次の日も、ミアは靴を泥だらけにしてやって来た。

「どうやったらこんなに汚れるんですか?」

「今日はね、チョウチョと追いかけっこをしていたの、何回かはちゃんと捕まえたのよ、すごいでしょ」

 自分の腰に手を当て、ふふん、とミアが笑う。よく見ると白くて細い指は鱗粉で粉だらけだ。僕は呆れながら靴の泥を拭った。

「今度レオも追いかけっこしましょ、なかなか手ごわいのよ、チョウチョ」

「二人でチョウチョを追いかけるんですか?」

「そう!先に捕まえた方が勝ち!楽しそうでしょ?」

 せっかく二人で遊ぶんだから、二人で追いかけっこした方が楽しいんじゃないかな、と思ったが、ミアがあまりにも得意げなので黙っておくことにした。

「ミアさんはいつもこんなに靴を汚してるんですか?」

「いえ、ミア様は・・・」

「ミアさんじゃなくて、ミアって呼んで!お友達でしょ!」

 爺やの言葉を遮り、ミアが叫んだ。ふと目の前を見ると、彼女が顔を真っ赤にして僕を睨んでいる。何かを言いかけた爺やは後ろで微笑んでいる。

 僕も思わずふふ、と笑った。笑ってから、自分が笑ったことに自分で驚いた。そういえば、母が死んでからこうして笑ったことは無かったと思う。

「笑いごとじゃないのよレオ!私はレオって呼んでるんだから、あなたもミアのことはミアって呼ぶの!いい!?」

「わかった、わかったよミア。」

 とうとう涙目になったミアに半ば諦めるように言うと彼女はピンク色の唇を尖らせて「わかればいいのよ」と小さな声で呟いた。

 その後、再び10枚のコインを支払おうとする爺やを説得するのに10分ほどかかった。押し問答をする僕らの横で、目の周りを赤くしたミアがなぜか得意げに腕を組んで立っていた。


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 次の日も、そのまた次の日もミアは靴を汚してやってきた。

 「お手伝いさんの草むしりを手伝って」「畑でミミズを捕まえて」「川で綺麗な石を探して」

 靴が汚れる理由は毎日違うものだった。よくもこんなに靴が汚れる遊びばかり思いつくなぁ、と思いながらも、僕はミアが来るのを毎日楽しみにしていた。ミアと話している時間は、悲しいことや辛いことを忘れて笑顔になれるからだ。

「ねぇレオ、もし私が立派なお姫様なったら、一緒にお城に住みましょ?」

 初めて会った日から3週間ほど経ったある日、ミアが真面目な顔で僕に問いかけた。

「それはできないよ、僕なんかただの靴磨きだし、身分も低いしお金もない。とてもじゃないけどミアと一緒にお城になんか住めないさ」

 「だから、私が立派になるんじゃない!」

 ミアは涙目で叫んだ。驚いて喋れない僕を睨むと、ボソッと「レオのばか」とつぶやいてお城へと戻っていった。爺やは僕にコインを渡すと、「レオ様、申し訳ありません。」と、ぺこりとお辞儀をしてミアを追いかけた。

 「なんだよ、一緒になんか住めるわけないだろ、ミアの方こそバカだよ」

 僕は泥だらけになった布を地面に叩きつけた。湿った風が大通りを吹き抜けた。明日は雨になりそうだ。


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 予想通り、次の日は雨が降っていた。雨の日は稼ぎ時で、晴れている日に比べて多くのお客さんが来る。その日は正午過ぎのわずかな時間を除き、ひっきりなしにお客さんが来ていたので、一息ついたときには午後6時を過ぎていた。

 ふと通りを見ると、降りしきる雨の中、いつものスーツを着た爺やがポツンと立っていた。

「レオ様」

 僕が会釈をすると、静かに爺やは喋り出した。

「本日、ミア様は後継者として、3年間の修行に向かわれました。隣国のお城に住み込みで、礼儀やマナー、人を統べる者としてのいろはを叩き込まれます。」

「え・・・」

 僕は言葉を失い、その場に立ち尽くした。3年間、という言葉だけが頭をぐるぐると回っていた。

「最初にお話した通り、ミア様にはご兄弟がいらっしゃいません。それゆえ、この国の後継者はミア様しかおられないのです。」

 「じゃあ、ミアには3年間会えないってこと、ですか?」

 やっとの思いで絞り出した声は震えていた。心臓がきゅう、と締め付けられている。

 「その通りです。出発の日の朝、レオ様にご挨拶するように申したのですが、ミア様は『靴が汚れていないから会えない』と・・・」

 ミアは毎日靴が汚れていたわけではない、靴をんだ。ミアの笑顔を思い出すと、自然と目頭が熱くなる。

「バカだな、ミア。靴なんか汚れていなくても会いにきていいのに」

「やはりお二人は似ております。」

 シャツの袖で涙を拭う僕に、爺やは優しく話しかける。

「レオ様は昨日、ご自身の身分を考慮し、『一緒に住めない』とおっしゃられました。しかし、ミア様にとって身分などどうでもよいことだったのです。レオ様が靴の汚れなど関係なく、ミア様に会いたいと思うように、ミア様も身分など関係なく、レオ様と一緒になりたかったのです。」

 一緒にお城に住みましょ、というのは、ミアなりの、明日から始まる辛い修行に行く決心のための、精一杯の告白だった。

「分かりづらいよ・・・」

 目に涙を溜めた僕を見ると爺やはいつものように何も言わずぺこりとお辞儀をして、お城へと1人でとぼとぼと戻って行った。

 僕は涙が止まるまで1時間ほどその場所から動かなかった。

 

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「久しぶりね、爺や。元気だった?」

 城下町の入り口に止まった派手な馬車から顔を出した女性が、よく通る声で言った。おじいさんをまっすぐ見つめる瞳はキラキラと輝いている。

「はい、お待ちしておりました。」

「それにしても爺や、本当に3年間生きてた?全く見た目が変わっていないわよ」

「爺やはもう爺やですので」

 おじいさんが乗り込むと、馬車は町の中心にあるお城に向かって走り出した。

「それにしても爺やと違ってこの町はずいぶん変わったわね」

 この3年間で発明された道具の数々のおかげで国の経済状況は変わり、この城下町もそこそこ栄えていた。衣服や食べるものは変わり、需要のなくなった職業は消えた。

 何も言わずに外を眺める彼女の横顔に、幼い頃には見せなかった切なさを感じ、おじいさんは少しだけ微笑んだ。町の路地裏へと続く道の入り口を目で追う彼女に、おじいさんはそっと話しかける。

「そういえば、お嬢様がいない間、お城に新人の仕立て屋が訪ねてまいりました。なんでも、お嬢様専属の仕立て屋になりたい、と。」

「ふーん、どんな人なの?」

「なんでも、特技は靴磨き、だとか。」

 彼女は窓の外を見たまま、馬車の御者ぎょしゃに向かって言った。

「ごめんなさい、お城に行く前に少しだけ池に寄りたいのだけど」

 御者の男は驚いて馬車を止めた。

「分かりましたが、なぜそのようなところに?せっかくの履物が汚れますよ?」

目を丸くして尋ねる男に、彼女はとびきりの笑顔で答える。

「あら、知らないの。靴が汚れていないと会えない人がいるのよ。」










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短編 @Raku-Raku

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