6.初めての戦闘
僕たちを乗せたレオが、全速力で町を駆け抜ける。途中、動けないほどの怪我人がいる場合はネコが回復魔法を施し、時にはサクラの結界玉を渡しながら道を急いだ。
サクラは、僕たちにも結界玉を配った。非戦闘員や町の人を優先するため、彼らに渡したものよりも質は劣るらしいが、それでもありがたい。
すれ違う人々は、足をもつれさせながらもなんとか足を動かしている。一刻も早くこの場を離れようと必死だ。
災害でもなんでも、僕はこのような場に居合わせたことがない。教科書では戦争を学び、テレビでは津波や地震を見てきたけれど、惨状を目の当たりにしたことはなかった。自分の命が脅かされそうになり、それから逃れようとする人はこんな顔をするんだ。ヒーローとして無双する姿を思い描いていた自分が恥ずかしくなる。
敵を倒すだけがヒーローじゃない。戦うことがでかない一般の人に気を配ることも大事だ。本当の意味で彼らの助けになる――それこそがヒーローに求めらる素質だ。
僕の視界に、しゃがんで泣いている小さな女の子が映った。咄嗟にレオから飛び降りて、その子のもとへ駆け寄った。
「大丈夫? お父さんやお母さんは一緒じゃないの?」
しゃがんで目線を合わせようとすると、頬を擦りむいていることに気づいた。よく見ると腕や膝にも擦り傷がある。
女の子は泣きじゃくったままで、僕の声は届いていないようだ。
「転んじゃったのか。痛いよな。今からネコを呼ぶにしても――」
振り返ると、レオの姿は豆粒ほどになっている。
「ごめんね。僕、手当ては上手じゃないんだ。だからこれで我慢してくれるか?」
僕の二の腕には、青いスカーフが巻かれていた。それをほどき、一番出血の酷い膝の傷に当てて巻きつけた。
「僕はアオ。悪い奴をやっつけに来たんだ。キミ、名前は?」
「……イオリ」
「そっか、イオリちゃんか。可愛い名前だね。誰か一緒じゃないのか?」
そう言った途端、落ち着きかけていたイオリちゃんの顔が、再び崩れていった。
「ママと、一緒だったの。でもっ、イオリが転んで、ママがどこにいるのか分かんなくなっちゃってっ」
素早く周囲を見回すが、誰かを探しているような女性はいない。僕は一人の女性を呼び止め、彼女にイオリちゃんを託そうとお願いした。その女性は快く引き受けてくれた。
「イオリちゃん。後で必ずお母さんを探すよ。だから今はこのお姉さんと一緒に逃げてくれるかな。ママもきっと、イオリちゃんが無事であることを願ってるよ」
優しく頭を撫でると、イオリちゃんは小さく頷いた。
「分かった。アオ兄ちゃん、頑張ってね」
「もちろん!」
彼女の前に手を出すと、彼女の手が軽く叩いてくれた。一瞬だけ合わさった小さな手のひらから、大きなエネルギーをもらったみたいだ。そのお返しにと僕は「お守りだよ」と言って、あるものを手渡した。
イオリちゃんと女性に手を振って見送ると、レオの向かった方向を見つめた。みんなが敵と鉢合わせるまでに合流できるとは思えないが、それでもフルスピードで追いかけるしかない。
「よし、行くぞ」
足の裏にぐっと力を込めて地面を蹴った。
「う、わわわ」
一歩がかなり大きく、僕はバランスを崩しそうになった。それに体が軽い。これなら思ったよりずっと速く走れそうだ。
道がある場所は道を、障害物があればそれを飛び越えてひたすら走った。現実世界の僕は多分、こんな距離を走ったことがない。もともと運動は得意ではない。
「でも今は、みんなの希望なんだ」
この町の人を助ける。そのためにも、少しでも早くみんなに追いつく。敵と戦う。頭の中にあったのは、それだけだった。
走り出してから少しすると、道の先に複数の動く赤を視認できた。恐らく敵だ。僕は走るスピードを上げた。
開けた場所に出た瞬間、カナやんの背後に迫る赤い装束が目に入った。まるで今までの経験が刻まれているかのように、僕の体は自然と動いた。
「遅れてごめん!」
「アオ!」
赤装束は手の先に鉤爪のようなものをつけている。三本の刃と僕の剣がぶつかり、金属の擦れる独特の音がした。力いっぱい押し返し、相手がよろけたところに剣を振り下ろした。地面に倒れ、動く気配はない。
「ありがとう。ていうか、何してたのよ? 気づいたらいなくなってて、焦ったじゃない。どこにいるのか分からないから、止まるわけにはいかなかったし……」
「ううん。むしろありがとう。僕が勝手に降りただけだから」
カナやんはため息混じりに両手をTの字に広げた。両脇から迫っていた敵は彼女の二丁の銃の餌食となり、彼らの刃は僕たちに届くことはなかった。
どうやらひろろんたちはすでに避難誘導に向かったらしく、この場にはカナやんとあーちゃんが残っていた。
「リーダーが何やってるのと言いたいところだけど、ヒーローは遅れて来るものよね」
彼女はウインクをして、僕から離れていった。
ここに来た時に見た綺麗な青空も、今は灰色の煙と赤い炎でよく見えない。一度大きく深呼吸をして、しっかりと剣を握り直した。
残る敵の数は約三十ほど。それを僕とカナやん、あーちゃんの三人でさばいていく。加えて遠距離からアキの狙撃サポートがある。敵は個々の戦闘力があまり高くない。残り数人になる頃には剣技にも慣れ、あっという間に赤装束が地面に散らばった。
「ふう。なんとかなったかなあ」
初めての戦闘で緊張していた体をほぐすように、あーちゃんは体を伸ばした。僕も肩を回し、腕の疲労を和らげた。
「これで終わりなのかしら」
「そんなわけないだろう?」
顎に手を当てたカナやん。その背後に、突然赤装束が姿を現した。
「なっ」
僕たち三人は慌てて飛び退いた。
ぞわりとまとわりつくような低い声。そして、さっきまで戦っていた敵とは明らかにオーラが違う。この男は段違いに強い――そう肌が感じ取っていた。
男は辺りをぐるりと見回し、長くため息をついた。
「全く、使えない奴らだ。これではいてもいなくても変わらないな」
フードを目深にかぶっているが、ちらりと見えた金色の瞳には侮蔑の色が宿っている。それから僕たちを射るように睨みつけた。
「貴様ら、最近現れたというヒーロー気取りの連中だな。ちょうどいい。邪魔だから片づけておくとするか」
刹那、男が視界から消えた――そう思った次の瞬間、僕の目の前に現れた。ニタリと笑っている、なんてどうでもいい情報が頭に入ってきた。
「レディファーストじゃあかわいそうだからな」
左手から鉤爪が迫ってくるのが分かった。すぐに間合いを詰められそうな予感がしたので、通常よりも後ろに飛び退き、距離を取る。そこをカナやんの二丁の銃が狙い撃ち、あーちゃんが炎の精霊をまとって上から飛び込んだ。それを見た僕が三手目として斬りかかろうと剣を構えた瞬間、彼女たちの体はそれぞれ後方の瓦礫に激突していた。
「カナやん! あーちゃん!」
幸いなことに、サクラがくれた結界玉のおかげで二人は無傷だ。
それにしても体が自然と動くとはいえ、やはり慣れない動作に疲労が溜まる。自分でも分かるくらい動きが鈍ってきた。そこを男は見逃してはくれなかった。
「ぐっ」
鉤爪を避けきることができず、太腿に痛みが走った。
「アオ?!」
次の刃が迫ってきて、さらなるダメージは避けられないと覚悟した時、男がバランスを崩した。恐らくアキの狙撃だ。
「大丈夫だカナやん! ちょっとかすっただけだから」
「ちっ」
このままではだめだ。動きはもっと速く。剣撃はもっと鋭く。なりたい自分を、理想とする動きをイメージしなければ。
すると突然、聞いたことのない歌が頭の中に流れてきた。
「なんだ。怖くてちびっちゃったか?」
男が再び眼前に急接近してきた。慌てて剣を構えると、ちょうど剣が落ち着いた位置に鉤爪がぶつかり、金属音が響く。
「あ?」
ただ、思ったよりも押される力が軽い。男の鉤爪を難なく受け止めることができたのだ。僕は試しに、そのまま剣を薙ぎ払ってみた。
「ちっ」
男の舌打ちは、少し遠くから聞こえた。
先ほどまでは感じなかったパワーで体が満たされる感覚がある。恐らくさっき聞こえた歌は、ネコが詠唱してくれたものだろう。
「おい、戦闘中によそ見するたあ、余裕あるじゃねえか」
「うわっ」
思わず自分の体や剣をまじまじと見ていると、男が間髪入れずに鉤爪を振り回してきた。反撃に出たいが、両手で持つ剣ではどうしても攻撃速度が劣る。
ただ剣技を繰り出すだけではだめだ。決定力のある大技が欲しい。
ちらりとカナやんを見た。恐らく、僕が距離を詰められているせいで彼女は手出しができない状態だ。
僕は全神経を男に集中させた。動きをしっかりと捉え、一瞬の隙を見逃さないために。
「ここだ!」
ようやく生まれたチャンスに、あーちゃんとの連携で押し返す。不思議なもので、先ほどよりも自分のことに集中しているのに、あーちゃんの動きをこれまでにないくらい捉えることができた。全神経が研ぎ澄まされているようだ。
男がよろけたところに、カナやんの二丁銃がお見舞いした。弾がありえない弾道を描き、男の背中を狙う。あーちゃんは炎の威力が大幅にアップしている。突き出した右手の何倍も大きい炎の拳が、同じく赤い装束に迫った。そして、男が膝をついた瞬間――。
「はあっ!」
剣が、水の龍をまとった。
助走をつけてから、僕は高く飛び上がった。さらに勢いのままに体を一回転させて威力を上げ、男の頭上から渾身の一撃を放った。水龍が噛みつくように大きく口を開いて男に向かっていく。
「ぐあああっ」
男は膝立ちの状態で静止し、そしてゆっくりと地面に倒れ込んだ。男はもう動かない。
「やった……の?」
あーちゃんがゆっくりと近づいてきた。建物に身を潜めていたらしいネコの姿もある。
倒したとは思うけど、いまいち実感が湧かない。彼女にも確認してもらってようやく終わったのだと思うことができた。あーちゃんと頷き合い、カナやんに親指を立てると、彼女は胸に手を当てた。
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