それから半年経った頃です。公隆さんに突然ご結婚のお話が持ち上がりました。お相手は、門倉波留子さん。あのティーパーティーの時に、池内様とご一緒されていた方です。

 当時のいきさつについては、まだ子どもの私の耳に届くはずもないことでしたが、このご結婚が公隆さんと唯の運命を大きく変えてしまったのです。

 公隆さんのお父上、佐倉有信伯爵は、大変温厚なお人柄で人望も厚く、多方面の方々とご親交がおありで、詩人や彫刻家、音楽家など芸術を愛する方々のご支援をなさっておられたそうです。

 そんな中に波留子さんもいらっしゃったのです。波留子さんご自身が創作活動をされているわけではなく、伯爵同様に芸術家のご支援をされていらしたのですが、それも投資目的であったと後にわかったそうです。

 波留子さんはその一年前にお父上を亡くし、「女相続人」「若き女ブルジョワ」と当時の新聞で騒がれ、社交界では有名な方のようでした。そして、お父上の代からお付き合いのあった函南財閥家から、軽井沢に新しいホテルをお作りになったらどうか、と勧められた波留子さんは、佐倉伯爵にそのことをご相談されたのです。

 伯爵は、出来る限り後ろ盾になって差し上げたいとおっしゃられ、ホテルの建築について設計や内装の専門家をお探しになるなど、波留子さんのためにご尽力されていたそうです。

 軽井沢の別荘地は有閑の方々がお集まりになるところですから、明るくモダンで華やかなホテルを経営されるということは、波留子さんにとりましても大変魅力的な事業であったようです。しかし、ご当主になられたばかりの波留子さんにはまだ早い、現在は好況といえるが、いつまた株式市場が大暴落を見せ、銀行が破綻する事態になるか把握できないのだから時期尚早である、とまわりの方々に反対されました。ところが波留子さんはどうしてもあきらめきれず、佐倉伯爵の名義を無断でお借りしてホテル経営に着手なされたのです。

 佐倉伯爵は、あくまで波留子さんに経営者としてのお力が充分に備わるまでの代理人のおつもりでいらしたようですが、伯爵名義の契約書の写しが波留子さんから送られてくると、「伯爵家がホテル経営をするなんて醜聞である」と、分家の方やご親族の方々に責め立てられ、心労のあまりお身体をお悪くされてしまったのです。

 そして工期が遅れ、完成の見通しが思うようにいかなくなったことを、まるで伯爵の責任であるかのように波留子さんに責められ、本当にご病気になってしまわれました。

 そんな伯爵をいつも気遣い、励まされていたのは公隆さんです。本来ならば、公隆さんはその翌年からまたヨーロッパへ発たれることになっていらしたのに、波留子さんはあのパーティーの日に公隆さんに惹かれ、公隆さんとのご結婚を望まれました。

 伯爵ご自身は、ホテル経営の一件で、波留子さんがそれまでにお考えになっていたような女性ではなかったとお知りになり、公隆さんのお相手として相応しくはないと、お思いになったことでしょう。まして波留子さんは公隆さんより七つも年上で、離婚の経験もおありでした。

 しかし波留子さんは伯爵にホテルの建設が滞っていることの責任を押し付け、なかば強引に公隆さんとのご結婚を決めてしまわれたのです。

 当時の公隆さんのお気持ちは如何でしたのでしょう。ご自分さえ波留子さんの望まれるようになされば、あるいはお父上である伯爵様の名誉をお守りになれると、自ら犠牲になってしまわれたのではないでしょうか。このような言い方は伯爵様にも公隆さんにも失礼に当たるとは存じています。ですが、私はそう思わずにはおれません。お気の毒な公隆さん。そして、可哀相な唯。

 

 波留子さんの前のご結婚相手は、画家の乙橘恭一先生でした。

 波留子さんが十七歳の夏、万平ホテルで行われた舞踏会でお知り合いになったのだそうです。その会場に飾られていた絵画の何点かは、乙橘先生の作品でした。

 先生の作品は、原色が綾織りのように絡み合う中に、女性の顔や身体の一部が抽象的に描かれているというものが大半で、好悪が分かれるといわれており、私にはとても難解でした。

 先生ご自身の印象は、洋画家というよりは水墨画を描かれている方だとどなたも想像されるような、透き通るほどの白く肌理の細かいお肌をされ、切れ長の瞳に長い睫毛、柔らかそうな長髪を肩のあたりで一つに束ね、水紅色のお着物が良くお似合いの、大変美しく神秘的な男性でした。

 その乙橘先生とのご結婚がなぜ解消されたのか、私にはわかるはずもございませんが、公隆さんと波留子さんのご結婚は唯には相当つらい出来事であったのです。

 ご結婚が決まり、お式の日取りなどが具体的になって参りますと、公隆さんも急にお忙しくなり、結婚式がお済みになるまでは唯のために我が家へいらっしゃるご予定も控えられることになりました。

 唯は、それまで公隆さんがいらっしゃっていた曜日になりますと、自然と朝早くに目を覚まし、庭へ出て花壇を眺めてぼんやりするなど、虚ろな表情を見せることもありました。

 公隆さんと波留子さんのご結婚披露宴は、等々力渓谷にあるヨーロッパ風のホテルで行われました。私と唯もご招待いただき、家族全員で参列いたしました。

 晴れの席だというのに、新郎である公隆さんも佐倉伯爵ご夫妻も、何故かかたい表情をしておられます。とくに伯爵は療養中の外出でお加減がよろしくないのか、お顔の色もすぐれず疲れきったご様子でした。楽しげに大きな声で笑っていらしたのは、派手なお化粧と毒々しいまでの装飾を身に着け、公隆さんの隣にお座りになった波留子さんだけでした。

 披露宴のテーブルを彩ったのは、それは見事なフランス料理でした。フランス王室の料理長を務めたという料理人をこの日のために呼び寄せ、そのための特別な材料を輸入されたのだそうです。美しい大広間、きらびやかなシャンデリア、緻密な細工が施された銀食器、手描きの絵皿、楽団が奏でる荘厳で華やかな音楽。

 このような最高の贅沢といえる演出も、何故か白々しく虚しいと感じたのは、私の隣にいる唯の淋しげな顔を見ていたからでしょうか。それとも、それらを企画なさったのがすべてご自分だと、波留子さんが誇らしげにおっしゃっていたからでしょうか。

 披露宴がお開きになり、退場されるお一人ずつにご挨拶される新郎・公隆さんは、とてもお幸せそうには見えませんでした。

 私たちの少し前を、乙橘先生が新郎新婦に向かって進んでおられます。先生は、波留子さんの前で黙って頭を下げ、公隆さんの前までお進みになると、その耳元で何ごとかを囁いておられました。公隆さんは少し困ったようなお顔をされ、先生は微笑みながら悠然と去ってゆかれます。

 私たちの順番が回ってきました。父と母はにこやかにお祝いの言葉を述べて過ぎてゆきます。私は、何故か公隆さんのお顔を拝見してはいけないような気持ちになり、少し俯いたままで祝詞を述べました。

 唯は、公隆さんの前で立ち止まり、握りしめた両手を微かに震わせて唇を噛んでいます。そして、おめでとうざいます、とやっと小さな声でそう言うと、細い背中を丸めてその場で泣きはじめました。このところ背が伸び、幼さが抜けて少年らしくなってきた弟が、口許を手のひらで覆い、息を殺し嗚咽を堪えて涙を流しています。私は唯が可哀相で愛おしくて、公隆さんを少し恨みました。

 公隆さん、あなたは。

 おそらく清潔で健全な精神をお持ちになった方なのでしょう。唯の気持ちを解っているのは、きっと私だけだと思います。もちろん、唯が私にそのようなことを話した訳ではありません。でも、ずっと唯に色々なことをお教えくださったご聡明なあなたが、少年の視線にどんな想いが込められているのかをお気づきにならないはずはないと、そう思ってしまうのはいけないことでしょうか。

 唯を受け入れていただけないのは解っています。唯があなたに対して抱いているのが、許されない恋心だということも解っています。でも、私は、私だけは唯の気持ちを守ってあげたいと思っていたのです。


 公隆さんのご婚礼の後、唯は努めて明るく振舞っているようでした。様々なことに積極的に打ち込み、公隆さんへの想いを断ち切ろうとするかのようにいつも忙しくしておりました。公隆さんも、三ヶ月ほど経ちました頃から以前と変わらずに我が家へおいでになり、唯に音楽をお教えくださいます。しかしピアノに向き合い、指を鍵盤の上にのせた唯の背中は、いつも哀しく切ない色を漂わせておりました。


 波留子さんは、公隆さんのお気持ちがご自分にはないことをご存知の上でご結婚をされました。美しい男性をご自分のものにしたいという強いお気持ちが常にあるようでした。

 乙橘先生が波留子さんを愛していらっしゃったのかはわかりませんが、そのご結婚は一年も経たないうちに解消されたのでした。

 私は、ひそかにその時を待ちました。公隆さんが波留子さんと離婚されれば、あるいは唯の気持ちも少しは楽になるのではないか、などと愚かなことを思っていたのです。


 そして、またたく間のように月日は流れ、何事もなく二年が過ぎてゆきました。

 とうとう念願のホテルが軽井沢に完成し、波留子さんはそこで完成披露を兼ねた乙橘先生の展覧会を開催されることになさいました。

 私たちもご招待いただき、また家族でうかがうことになったのです。唯は、学校を休むことを嫌がって辞退したいと言い出しました。この半年間は、波留子さんのご事業を手伝うことにお忙しく、公隆さんは唯のところへいらしていなかったのです。唯はそんな公隆さんのお顔を見ることが苦しく、この機会に忘れることができればよいと、思っていたのではないでしょうか。

 父と母に支度をするよう言われても、頑なに拒んでおりました。軽井沢でのパーティーにお招きいただいたとあれば、当然幾日かは滞在しなくてはなりません。学業でお友だちに後れを取ることは唯の嫌うところですから、確かに子どもが無理をしてまでうかがう理由はありません。ですが、こんな機会でも公隆さんとお会いすることができるなら、出掛けた方がよい、その方が唯は幸せでしょうと、私は思いました。そして、父と母より一足早く二人で帰宅することを唯に約束し、トランクに着替えを詰めるよう促したのです。

 そのホテルは波留子さんのご趣味が色濃く表れた印象で、ホールからロビー、ダイニングや客室にいたるまで安らぎとは無縁といえるほど、居心地の悪い場所でした。

 ただ一箇所、南側の小さなお庭だけは公隆さんのご希望で英国式庭園が設けられ、香草や草花などが優しく可憐な佇まいを見せておりました。私は、その中のロックガーデンと呼ばれる石畳のようなブロック敷きの間から香草が生い茂る小径を、いつからか手をつないではくれなくなった唯と並んで散策しておりました。

 初秋の陽射しは柔らかく、微かな風が吹くたびに草たちのさわやかな香りが漂ってきます。私たちは少しずつ歩きながら、見知らぬ種類の草の前で立ち止まり、指で葉をつまんではその香りを楽しみました。

 私の背丈ほどもあるウサギの形に刈り込まれたトピアリーに添って小径を曲がると、偶然にも向こうから歩いてこられた公隆さんと出会いました。久しぶりにお会いした公隆さんは、少しお痩せになったようでした。唯は頬を緊張させ、満足なご挨拶もできずに口ごもっております。私は、せっかくの機会なのですから、唯が公隆さんと少しでもお話しできればと、その場を離れることにいたしました。

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