第17話 私がそんなお人好しに見えるか?

 ルチールは奴に呪い殺されて魂のみをこの屋敷に縛られた亡霊だ。亡霊とはいえ、ダメージはしっかりあるし、痛みだってないわけじゃない。現に今も全身がバラバラに引き裂かれるような激痛が走り抜けている。

 歯を食いしばってどうにか上半身を起き上がって今も怒り狂っている炎の竜を眺めながら、

「最悪ね……」

 ルチールはまさに現状を表す言葉を喉の底から小さく呟いた。

 最悪なのは、あの炎の蛇が竜になったことにはない。

 あのおかっぱ頭の少年がカーネルにより攫われてしまったこと。おそらく、あの少年はこの屋敷の主であるあの怪物の餌となる。

 炎の蛇を竜へと進化させたのは、十中八九、あのおかっぱの少年だ。オカメと呼ばれた青年が炎の蛇に契約の履行的なニュアンスの台詞を口走っていたから、あれが【魂使契約】なのはほぼ間違いない。【魂使契約】は、あくまで対価という贄を捧げることにより、契約した相手を使役する術式であり、他者を進化させるような効果は一切ない。つまり、契約の対価とされた少年の魂があまりに特殊だったため、その一部を取り込んだ炎の竜が変貌した。そう考えるべきだ。

炎の蛇でさえもあの少年を取り込んで手に負えない竜へと進化したのだ。この屋敷に住まう怪物がもしあの少年の魂を取り込んだら、常軌を逸した事態になるのは目に見えている。ただでさえあれは人には抗うことができぬ厄災。ただ、それがこの屋敷に留まるから問題になりにくかったに過ぎない。

 しかし、あの少年は特別だ。もし取り込んで進化すればこの屋敷に留まる保障がないことくらい火を見るよりも明らかだ。もし、あの怪物が世界に解き放たれたら、もうこの世界は終わりだ。

 とはいっても、もはやルチールに何かをやれるものではない。世界の命運についてはまさに運を天に任せるしかない。ただ、世界が滅んでも守らねばならぬものが、ルチールにはある。

『アモギ! 早く皆を一階倉庫に集めなさい!』

 ルチールの忠実な部下の一人、執事長アモギに念話により指示を送る。万が一のために一階倉庫には特殊な術式を編み込んでいる。あの怪物が暴れまわったとしても僅かの間ならばしのげるかもしれない。もし、あの怪物がこの屋敷の外に開放されたならば、奴にとってルチールたちに大した価値はない。もしかしたら、ルチールたちは助かるかもしれない。それに賭けるしかない。

『は! お嬢様、承りました』

 理由すら聞かずにアモギは了承してくれた。

『くそがっ! あの小僧をどこに隠したぁ!?』

 炎の竜は怒髪冠を衝く状態で血走った目でルチールを睨みつけて答えの知らぬ疑問を火柱とともに吐き出した。

『ルチール様、俺が時間を稼ぐ! 早く、そいつらを連れて逃げてくれ!』

 グリアが、半身が焼けただれた状態でルチールを促す。

『し、しかし――』

『あんたがここで滅べば、あいつらに領域を張れる者はいなくなる! あんたは滅んじゃだめだっ!』

 グリアの正論に、

「……」

 結論が出せなくているルチールに、

『早くしろ!』

 グリアは怒鳴り声をあげてきた。

『絶対に無事きてくださいね!』

 尻もちをついて震える少年たちの元まで駆け寄ると、

『逃げますよ! 早く立ちなさい!』

『……』

 ルチールの指示にも目じりに涙を貯めて震えるだけ。

『早くしなさい! 死にたいんですか!』

 怒鳴り声を上げると、何度も泣きながら頷いて立ち上がる。

『あの扉まで走ります。気を失った子を抱えなさい。私はその子を運びます! 早く走りなさい!』

 ルチールの指示を契機に気絶したマイムを背負いながら、一心不乱で走る少年たち。ルチールもオカメという少年を背中に背負う。

「お、お前?」

『いいから、静かにしていなさい!』

 何か言いたそうなオカメに怒鳴り付けて、走り出す。

 しかし、その少年たちの行く手を拒むように幾多もの火柱が頭上から落ちてくると、小型な竜の姿に変えてゆく手を拒む。

『貴様ら、生きてここから逃れられると思っておるのかっ⁉』

 口から炎をまき散らして怒号を上げる炎の竜に、

『けっ! とっくの昔に俺たちは死んでんだよ!』

 悪態をつきつつ、グリアは大剣を構えて重心を低くすると、一直線に疾駆して、小型な炎の竜に切りつける。大剣は小型の炎の竜の灼熱の鱗にあたると、ドロリ溶けてしまう。

『くそがっ!』

 悪態をつくグリアに、小型の炎の竜の尾が振るわれて吹き飛ばされて壁へ叩きつけられた。

『もう一度尋ねるぞ。あの小僧はどこだぁ?』

 炎となって一瞬で本体の炎蛇公はルチール達の眼前へと移動し、見下ろしつつドスのきいた声で聞いてくる。

『さあ、どうでしょうね』

 炎蛇公は目を細めてルチールを少しの間眺めていたが、舌打ちを打つと、

『どうやら、知らぬようだ。時間を無駄にしたな。もういい、死ね』

 ルチールに向けて大口を開ける。幾多もの火柱がその大口から迸り、次の瞬間、灼熱の炎のブレスが放たれた。

(ここまでですか……)

 視界が真っ赤に染まってルチールがまさに死を覚悟したとき、突然何か黒色のものがルチールの前に立ちふさがる。それが黒髪の人間の少年であると理解したとき、炎蛇公の口から放たれたはずの灼熱の大火は少年の異様に長い剣に纏わりついていた。

「返すぞ」

 少年が長剣を横なぎにすると、炎は時を遡行するかのように口の中に吸い込まれていき、大爆発を引き起こす。

『ぐがぁぁぁーー!』

 焼けただれた匂いと炎蛇公の絶叫が響き渡る。

「おいおい、まさか炎の属性持ちのくせして、己の炎でダメージを受けているのか?」

呆れたような黒髪の少年の言葉に、

『こ、小僧、炎竜まで進化したこの我に何をしたぁっ⁉』

 炎蛇公は疑問で返す。

「単にお前の炎をお前に返しただけだ。まあ、多少の魔力のブレンドをして威力の底上げは図ったがね。だが、そんなもの炎の無効や絶対耐性を持っていれば容易に避けることができるだろうよ」

 さも当然の様子でとち狂った発言をする黒髪の少年に、

『炎の無効や絶対耐性なんて、神話の中の話じゃないですかっ!』

 思わず声を張り上げてしまっていた。少年は億劫そうに肩越しにルチールを振り返ると、

「それは見解の相違とういものだ。まあ、今はこの木偶の処理が先決だ。込み入った話は後にしよう」

 黒髪の少年がグルリと眺め回しただけで、小型の炎の竜は数歩後退ってしまう。

『この我を木偶だとぉっ! 許し難し! そいつを殺せ!』

 炎蛇公の怒号にも似た命が飛ぶが、ピクリとも動かない小型の炎の竜たち。

『何をしているッ⁉ 我は殺せと言ったのだっ!』

「叫んでも無駄だ。既に殺した」

 黒髪の少年が長剣を一度振ると、小型の炎の竜たちは粉々に弾け飛ぶ。

『き、貴様、ど、どうやったっ⁉』

 驚愕の声を上げる炎蛇公を黒髪の少年が心底うざったそうに視線を向けると、その姿が消失する。直後、黒髪の少年は炎蛇公の目と鼻の先へと佇んでいた。

『―――ッ⁉』

 大慌てで逃げようとする炎蛇公の脇腹の炎の鱗を黒髪の少年は左手で鷲掴みにする。

『な、なぜ、我に触れて燃えぬっ⁉ 無事でいられるッ⁉』

「しらけるから、もうこれ以上余計なことを口にするな」

 凍えるような声色で黒髪の少年はそう告げると、右手に持つ長剣を背中の鞘に納めると、炎蛇公をその鷹のような鋭い目睨みつける。

『う、うごけん!  こんな人ごときに竜種となった我が押し負ける? しかも、相手は人でも虫のように弱い餓鬼だぞっ! ありえぬ! そんなことは絶対にあり得ぬわぁっ!』

 みっともなく現実逃避する炎蛇公に、黒髪の少年はニタリと笑みを浮かべる。

『ひっ⁉』

  その顔を一目見て炎蛇公の口から小さな悲鳴が漏れる。刹那、黒髪の少年の右拳が炎蛇公に叩き込まれた。不自然なほど、弓なりになる巨体。

『ぐがッ! 一体何が――ッ⁉』

 痛みで呻き声を上げる炎蛇公が黒髪の少年と視線が合う。たったそれだけで、炎蛇公の顔から急速に生気が失われていき、

『ああぁぁ……』

 罅割れたような恐怖の叫びが部屋中に木霊した。

 黒髪の少年は右肘を絞り込む。そして――。

「例え私が人だろうが、お前ごとき木っ端火トカゲに後れを取るほど私は弱くない。お前ごときに剣術など必要ない。私は今からお前を殴る。むろん手加減はするさ。だが、それがお前にとっての救いになるとは努々思わぬことだ」

少年の氷のような冷たい目が炎蛇公を射抜く。

『ゆ、ゆるじでください!』

 必死に命乞いをする炎蛇公に、黒髪の少年の口端があり得ないほど吊り上がり、

「私がそんなお人好しに見えるか? 見えぬだろう? 精々、歯を食いしばれ」

 どこぞの悪魔のような形相でただそう宣告すると、黒髪の少年は右拳を炎蛇公に打ち込み始めた。



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