第10話 摩訶不思議
深い水底の中から浮き上がっていくような独特の間隔の中、騒々しい鳥の声が聞こえてくる。そして肌を刺すような冷たい空気に、
「くしゅんっ!」
アレスは一度、クシャミをすると起き上がって、周囲を見回すとそこは年期の入った木製の一室のようだった。
「ここは?」
初めて見る場所だ。
(なぜこんなに寒いのです?)
生まれて始めて生じる鋭い寒さに両手で自身の身体を摩りながら自問する。
神格を有する上級神のアレスの肉体には一定の暑さや寒さなどの状態異常について強い耐性をもっている。そもそも寒さなど感じるようにできてはいない。なのに、今全身を襲っているこの耐えらぬ寒さは?
重たい身体で立ち上がったとき、
「アレス様、お目覚めになられましたかっ!?」
黒髪をオールバックにし、チョビ髭を生やした男性が部屋に声を張り上げて飛び込んでくる。
「へ? えーと……」
彼は誰だろう? アレスの名を知っていることからも、知り合いだとは思うのだけれど。
「アレス様……なのですよね?」
黒色の髪をオールバックにした精悍な風貌の青年は躊躇いがちに尋ねてくる。
「そうですが、君は?」
「私はシルケットですっ!」
「は?」
思わず間の抜けた声を上げしまった。当然だ。どう見てもシルケットには見えないから。姿もかなり若いし、髪型も違う。あんな髭など生やしていなかった。何より、目の前の男性はアレスが管理する世界レムリアの人間族にしか見えなかったから。
しかし、一方でその話し方のしぐさや、アレスに対する態度は確かにシルケットそのもので――。
「本当に、シルケット……なのですか?」
到底信じられない事実を確認していた。
「ええ、どうやらかなり面倒な話になっているようです」
シルケットはとてもじゃないが信じがたい話を始める。
シルケットの話は普通なら一笑に付してしかるべきものだった。
ここはレムリアにある人間たちが治める中立学園都市バベル。アレスたちは、それぞれアリエル、シッケという人間の兄妹であり、オウボロ学園に通う学生ということになっていた。
確かにこの肉体からは神力はもちろん、あまりに微力な力も感じない。アレスたちが人の器に入っているというのもあながちありえないとは言い切れない。
「姿は大して変わらないのが、せめての救いですか……」
置き鏡で己の姿を眺めながら、そう独り言ちる。立てかけられていた置き鏡には、 癖ッ毛のある金色の髪に真っ白の肌の少女が佇立していた。これはアレスだ。容姿や性別、髪飾りまでこれはアレスそのもの。唯一の違いは白銀の髪が金色へと変わっていることくらいか。
「シルケット、お前のその姿は?」
「髪の色は異なりますが、これは私の若い頃の姿です」
「だとすると、この姿は術式が暴走して私たちの魂が人の身に入ってしまったと?」
珍しいことではある。あるが、相当難解な術式であり、こんな副作用もあってしかるべきかもしれない。
「姿が我らと瓜二つの姿になっているのにはかなり違和感がありますが、アリエル、シッケという存在がこのバベルで確かに存在している以上、術式が暴走して魂が似通った肉体に入ってしまった。そう考えるべきでしょうな」
「天上界との連絡は?」
シルケットは大きく首を左右に振ると、
「一応、アレスパレスへの連絡は試みましたができませんでした。天上界との一切の通信は不可能。そう考えるべきでしょう」
「人の身になった弊害というやつですか?」
「ええ、私の力のほとんどが消失しています。これは魂が人の器に封じられているというより……」
言いよどむシルケットの姿に、沸々と背筋に冷たいものが走り、
「魂を含めた存在そのものが人間となっていると?」
これは起きてからずっと感じていたことだ。重荷を背負っているようなこの肉体の不自由さに、己から全く感じられない神力。こんなのは生まれて初めての経験だ。もし、人間の肉体に封じられているのみなら、魂は神のままであり、少なくともアレスパレスとは連絡が取れるはず。さらに、魂から生じる神力も多少は扱えるはずなのだ。この現象を説明するための唯一の解は、この肉体の魂と融合して正真正銘の人になってしまった、ということ。
しかし、それならば説明がつかぬことがある。
「だとすると、なぜ、このバベルの周囲のものたちは私たちを違和感なく受け入れているのです?」
「そこです! そこが私にもわからないのです! ですが、あえてこの現象を矛盾なく説明するなら、もとより肉体と魂の融合という事象が少なからず世界の事象そのものに影響を与えたとしか」
「世界の事象そのものに影響を与えたっ⁉ バカな! 世界の事象の改変などという特大の奇跡が自然偶発的に発生したと?」
事象の改変は、神にすら不可能とされた奇跡の一つ。それが運が悪く、アレスの術の暴走で起こるなど悪い冗談もいいところだ。
「そうとしか、このイカレタ現象を説明がつきません」
シルケットは思いつめたような様相で大きく頷き肯定する。
(冷静になるのです!)
ここで焦っても意味はない。機知に富むシルケットが判断したことだ。それなりの信憑性はあると考えるべきだ。
「シルケット、お前はこれからどうするべきだと思う?」
「今の私たちは肉体的にも魂的にも完璧に人間です。ただちに天上界と連絡をとるべきなのでしょうが、おそらくそれは叶いますまい」
ただでさえデウス様のレムリアへの一切の不関与の命により、大規模なジャミングの術式が発動中なのだ。アレスたちの魂に刻まれていたアクセスコードでもなければ連絡は不可能といってよい。アクセスコードはシルケットが試して既にできないことを確認している。
「私もそう思います。直ちにラミエルを探したいところですが……」
「今の我らはただの人間。この肉体が死ねば十中八九、我らも滅びます。それはおすすめいたしません。まずは今、我らに置かれた生活を送りながらラミエルの情報を聴取するべきかと」
「そう……なのでしょうね……」
なぜ、こうもやることなすこと裏目裏目にでるのだ。
あの蠅頭の怪物への憎悪により配下を送って通信が途絶する。その配下を救おうとすれば、術が暴走して神の力さえも失いただの人間に成り下がる。
「とりあえず、こうしていても始まりますまい。食事をいたしましょう。この人の身では食物を摂取せねば動けなくなってしまいますからな」
「食事をとらねばならないですか……実に不便な身体ですね……」
神の肉体ならば食事などせずに動き回ることができたものを。
アレスは内心で次々に難解な問題を突き付けてくる運命に愚痴を言いながらも、重い腰をあげたのだった。
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