第152話 新たな目標 アスラ 

 アスラが目を覚ますとそこは草木も一本もない荒野だった。頭を振って立ち上がると、傍には前鬼と後鬼が寝ていた。

『おい、前鬼! 後鬼!』

 二柱の名を呼びながら身体を揺すると、

『アスラ……様?』

『兄貴……』

 二柱とも当初はぼーとした顔をしていたが、アスラの背後に視線を向けると、真剣な顔で飛び起きて構えをとる。

「起きたか」

 背後から声がアスラにかけられて、とっさに振り返ると、そこにはあの怪物、カイ・ハイネマンがポケットに両手を突っ込んだまま佇んでいた。

『あんたは――』

「あー別に身構えんでいい。私は現状を伝えにきただけだ」

『現状?』

「ああ、そうだ。想定外のアクシデントって奴……」

 カイ・ハイネマンはそう口にすると、しばし、顎に手を当てて、

「いや、そうとも限らんか。この図鑑が反応した以上、私が望んでいたとか? いや、あの馬鹿王子の件もある。流石にそれはないか。だが、確かに興味をもってしまったのも事実……」

『おい!』

「そうだな。私の意図など、この際どうでもいいか」

 怪物はアスラたちを凍えるような瞳で眺め見ると、

「お前たちの所業は心底、吐き気がする。いつもの私なら確実に屠っているところだ。お前たちが生き残ったのはただの私の気まぐれ。それ以上でも以下でもない。立場上、お前たちの所業をおいそれと許すわけにもいかぬ。ゆえに――」

 どこからか木の棒を取り出してその先をアスラたちに向ける。

「徹底的にその腐りきった根性を叩きなおす! ノルン、ここでの時間を限界まで時間を引き延ばせ!」

「ラジャーでしゅ!」

 

 プカプカと浮遊する白髪の少女が右手を挙げると、煙のように背景に同化していく。


「これは制裁も兼ねている。楽にはさせん。精々足掻くんだな」


 どこかで言われた言葉を最後に、アスラの腹部に途轍もない衝撃が加わる。天と地が高速で前後していく。


『ぐっ!』


 どうにか起き上がり、咄嗟に顔を上げるとカイ・ハイネマンが木の棒片手に眼前に佇んでいた。


「いいか。もう一時も息を抜くことは許さん。もし、抜けば即死だと思え。それで死んだら、それまで。それだけのことだ」


 カイ・ハイネマンの姿が消える。刹那、やはり、盛大に遥か上空に吹き飛ばされていく。そして、眼前にはカイ・ハイネマンが左拳を握り左ひじを引いていた。


『おおおおぉぉぉぉぉぉぉっーーーーー!!』


 獣のような絶叫を上げつつ、永遠ともいえるアスラたちの苦行が開始される。



 どのくらいの時間がかかったのだろう。永遠とも覚えるような長い年月、アスラはひたすら、怪物に木の棒でどつき回され続けた。何度瀕死の重傷を負ったかわからない。その度にスライムどもに一瞬で癒される。あのスライムはヒーリングスライム。あれは元アポロの眷属だったが、あまりのチート能力のために、バランスブレイカーの筆頭としてあの悪質なダンジョンに封印されたはずだ。当初はなぜ、封印されたヒーリングスライムがカイ・ハイネマンに仕えているのかなど、様々な疑問が頭をよぎっていたが、次第に何も考えなくなる。

 そして、ひたすら、癒されてはどつき回される日常を送っていた。

 瀕死の重傷を負って身動きすら取れなくなっていると、カイ・ハイネマンが近づいてくる。


「多少はましな顔つきになったようだな」


 木の棒を肩でトントンと叩きながら、そんな感想を述べる。最初は必死で逃げ惑っていた。だが、いつからか、その内心にも変遷が起こる。


『絶対にあんたに一撃入れて見せるっ!』


 奴に一撃入れる。それだけを目的として今、剣を振るっていた。


「私に一撃をねぇ……」


 カイ・ハイネマンは興味深そうにアスラを眺めていたが、


「やはり、お前、少々見ないタイプだな。しかし、いかんせん、今の弱すぎるお前ではいくら時がかさもうと不可能な話だ」


 おそらくカイ・ハイネマンは単に真実を話しているに過ぎない。そうだ。こいつに、一撃を入れる。それは今の実力差では天と地がひっくり返ってもあり得ない話だから。いや、おそらくアスラだけではない。あの最強を誇っているベルゼバブでも同じだろう。こいつを本気にさせる。それは――。


『必ずだっ!』


 アスラが吠えるとカイ・ハイネマンは背を向け肩越しに振り返ると、


「大層な期待はしないで待っているよ」

 

 どこか寂しそうにそう呟くとその存在ごと消えてなくなる。

 どつかれ続けてから始めてほんの少しだけ、カイ・ハイネマンという真正の怪物というものを理解できた気がした。あいつがずっと何を望んでいるのか。そして、それが今後も決して叶うことがないことも。


『アスラ様』

『兄貴』


 傍に近づいてくる義兄弟たちに、


『くそっ……強ぇよな……』


そう声を絞り出す。無言で頷く二柱ふたりに、涙がにじんできた。その理由は同じく悔しさであったが、その方向性は若干変わっていたんだと思う。


『俺は絶対にあいつに、一撃を入れてやる!』


 歪む視界を拭おうともせず、声を張り上げていた。それはアスラが最強の王以外で初めて明確に持った目標だったのかもしれない。


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