第122話 化け物老紳士 

 悪軍特殊部隊は、数部隊に分かれて真っ白な霧の中をさ迷い歩いていた。

敵の首領格であるあの獅子顔の神の首をとれとオセから命じられたのだ。

 

『この霧、敵の能力か何かだと思うか?』


 特殊部隊の顎髭を蓄えた部隊長が傍の副隊長に言葉を投げかけると、


『それ以外にないだろうさ。視覚の攪乱とは、随分姑息な手を使ってくれる。こんなもので悪軍精鋭たる我らを止められると本気で思っているところが実に愚かしい』


 小馬鹿にするように感想を口にする。


『はっ! そう言ってやるな。敵側も必死なんだ。ま、捕らえたら好きに遊んでいいとのお達しだし、中々楽しめるんじゃないのか』


 舌なめずりをしながら部隊長がまさに悪というにふさわしい形相でほくそ笑んだとき、


(前方に何かいるぞ!)


 索敵をしていた隊員の一柱ひとりが念話で全隊員にそんな報告をしてくる。

 その前方には、長身で細身の形の良い髭を生やした白髪の老紳士がやけに長くボロボロの長剣を持ちながら佇んでいた。

 相手は無防備。そのはずなのに部隊長にはこの白髪の老紳士に何か強烈な薄気味の悪さのようなものを感じていたのだ。

 その感情にせかされるかのように、部隊長は右手を上げてその老紳士を取り囲む指示を出す。

 全部隊員6名が必殺間合いで武器を構える。


『ん? この感じ、貴様、まさか――』

「人間ですよ」

『人間? 貴様がか?』

「ええ、私は人です」


 確かにこの独特の感覚は人のもの。しかし、この獰猛な獣を前にしたような圧迫感は、とても人とは思えなかった。


『人ねぇ……』

『運悪くこの戦場に迷い込んだか』


 無力な人と聞き部下たちは余裕の表情で構えを解く。これが本当に人ならば悪軍最精鋭とも称される悪軍特殊部隊ならば瞬殺だ。部下たちの態度も決して間違っちゃいない。


『警戒を解くなッ! こいつは人なんかじゃない!』


 そう激高する副隊長に、困惑気味に顔を見合わせる部下たち。さもありなん。副隊長の顔は石のように強張り、玉のような汗が張り付いていたのだから。


「ふむ、貴方、一番厄介ですね」

 

 老紳士の背筋が寒くなる言葉が発せられるのと同時に、


『ぐげっ!』


 副隊長の眉間に背後から・・・・突き刺さるボロボロの長剣の剣先。


『ヤバイッ! 退避ッ!』


 部隊長の声が発せられる前に一斉にバックステップで距離を取り、武器を構える部下たち。部下たちの顔には、今までのような余裕は微塵も存在しなかった。

 白髪の老紳士のボロボロの長剣の刀身の半分は消失しており、その断端は真っ白な靄のようなものがかかっていた。老紳士はボロボロの長剣をその黒色の霧からズルリと引き出し、軽く振って血糊を落とす。同時に俯せに倒れ込む副隊長だったもの。


『貴様は一体?』


 副隊長は大尉。つまり、将校だ。悪軍将校は悪軍の中でも上位に位置する強者。しかも、この特殊部隊は特に戦闘に特化した者だけを集めた最精鋭。その強度は少佐にすら匹敵する。それがよくわからぬ攻撃で絶命してしまう。そんな人などいるはずがない。

 

「そうですね。挨拶がまだでした。私はドレカヴァク様の第一の眷属にして『悪邪万界』の一員。あの至高の御方の意思みこころを伝える神官の一人、ルーカス・ギージドアと申します。悪軍の皆様とは短い間となりますが、どうぞお見知りおきを」


 胸に右手を当てると恭しく一礼する。

 ドレカヴァク!? 今こいつはドレカヴァクと言ったのか⁉ その名は元悪軍最恐とも恐れられた中将の名。直大将確実とまで言わしめた最恐の悪神。どういうわけか、ある時を境に姿を悪軍から姿を消した神でもある。


『ドレカヴァク中将の眷属なら、我らと同じ悪軍のはず! なぜ、その貴様が我らを襲うッ!』


 事実上、部隊長のこの問がトリガーだった。


「我らが……悪軍と同じ? き、き、貴様は今そう言ったのか?」


 先ほどの冷静な姿とは一転、その顔は悪鬼のごとく歪んでいく。


『ひっ!?』

『ば、ばけもんっ!』


 悪軍特殊部隊は文字戦闘のプロ。ある意味、個人戦では負けなしの実力を持った猛者ばかりだ。その全てがただ、目の前の人を自称する化け物に怯え切っていた。


「それは我らの神への冒涜……許し難し……許し難し……許し難し、ゆ・る・し・が・た・しぃぃぃ!」


 ブツブツと据わりきった目で呟きながら、剣を無造作に振る。間合い的には絶対に届かぬ距離、なのに、ズルッと部下たちの頭部の上半分が、ゆっくりと落下していく。糸の切れた人形のように地面に崩れ落ちる部下たち。気が付くと、部隊長以外はものを言わぬ躯と化していた。


『ま、待ってくれ! これは何かの手違いだ! 我らはあんたの敵ではないっ!』


 必死だった。ただ、懸命にこの怪物から逃れるべく命乞いの言葉を紡ぐ。

 しかし、それは――。


「敵に決まっているだろう! 我らが神は貴様ら悪軍の存在そのものを不快にお感じになっているのだっ!」


 怒号を発しながらも左手でナイフを抜き放ち、ダラーんと脱力した状態でゆっくりと迫る老紳士。


『ひっ⁉』


その悪夢の象徴のような存在から逃れようと後退るが、


『ぐぎぃ!』

 

 右足先に生じる焼け付くような痛み。視線を落とすと、ナイフが足の甲に深く突き刺さっていた。

 わけがわからない。

 ――ドレカヴァク中将の眷属に襲われている理由がわからない。

 ――この怪物が人と自称する意味もわからない。

 ――同胞と言ったことになぜそこまで激怒するのかもわからない。

 ただ一つ、わかること。それは――この怪物がそんな慈悲など一切認めない、非情極まりない存在であること。


『く、来るなぁッ‼? 化けもめぇっ‼』


 喉からあらんかぎりの声を振り絞ったとき、白髪の老紳士は、部隊長の前までくる。そして、とびっきりの恐怖と絶望の中、部隊長の意識はプツンと消失してしまった。

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