第63話 初めて芽生えた強烈で抗えない欲求 アレス

――天上界 アレスパレス ゴーティングルーム


 アレスパレスにある執務室たるゴーティングルームでは、秘密裏にあの蠅頭の怪物の調査がなされていた。

 秘密裏というのは祖父であるデウスから当面のレムリアへの一切の関与の禁止を厳命されたから。ゆえに、これは決して許されぬ行為。

 もちろん、アレスにもあれが己の手に負えない存在であることは百も承知。あの最強神デウスが自身で動くといったのだ。あれは天軍の討伐案件。もはや一介の上級神に過ぎないアルスにどうこうできるレベルを超えている。

 それでも――アレスにとってあの蠅頭の怪物は大切な配下を玩具にされた憎むべき敵。到底黙ってみていることなどできやしなかったのだ。


「あとは、あの中ですか」


 丁度、アメリア王国イーストエンドの北に広がるノースグランド全体をすっぽりとドーム状に覆うように展開されている透明の膜。アレスがあの膜に気づいたのは本当に偶然。蠅頭の怪物の捜索のため、レムリア全体をくまなく捜索していたのが原因だ。

 あの膜は景色を反射して内部の構造の一切を遮断している構造のようだ。いや、もしかしたらそんな単純な構造ですらないのかもしれない。なにせ、あの透明の膜を分析しようと術を発動させてはみたがあっさり、キャンセルされてしまったのだから。あとは実際にあの中に入ってみるしかない。

 まだあの膜については天軍にも報告してはいない。むろん、あの蠅頭の怪物は完全に天軍処理案件なのは重々承知している。それでも、このまま指を銜えてみているだけ。それだけは絶対にごめんだった。

 だから――。


「ラミエル、頼みますよ!」

「は!」


 跪きながら、首を垂れる純白の羽を生やした少女はアレスに力強い口調で答える。

 現界が可能ならばアレス自身が赴きたいのが本心だ。だが、アルスは既に上級神。己の管理世界であっても現界は大きく制限される。実際に歩き回って調査することは不可能だ。

 それに下手に動けばデウス様たち天軍にアレスが独自に動いていることがバレかねない。諜報活動に特化した彼女に託すしかない。

 もちろん、この調査は敵の腹の中に潜り込むようなもの。危険度は最高クラスとなる。本来ならまだ未熟な彼女に委ねるべき事項ではない。


「いいですか。この調査は大変危険です。もし、少しでも身に危険を感じたら、すぐに帰還しないさい」

 

 アレスの渾身の説明をするも、


「は! 必ずや、この使命、成し遂げて御覧に入れます!」


 ラミエルはアレスの期待とは真逆の返答をしてくる。


「くどいようですが、危険なら任務など放り投げて帰還しなさい。これは私からの命令です!」

「は!」


 頼られたことがよほど嬉しかったのだろう。顔を歓喜一緒に染めてゴーティングルームから姿を消すラミエル。


「私は卑怯ですね」


 これは私怨だ。その醜い感情のままに配下に新たな危険を課そうとしている。特に敵は既に天軍処理案件であるとデウス様が宣言するほどのもの。その上級神のアレスでさえ相手にすらならぬ絶対的強者に、大切な部下を送り込んだ。自分は安全な場所でその報告を待つなど、本来、神がしてよい行為ではない。それでも――。


「私は許せない! いや、許すわけにはいかない!」


 この今も胸を焦がす感情だけは嘘ではなく、偽りない真実。

 思い返せば、アレスはずっと己を殺して生きてきた。そのアレスに初めて芽生えた強烈で抗えない欲求。この芽を植え付けたのはあの蠅頭の怪物とその主人である『至高の御方』なる正体不明の神。


「必ずや一矢報いてやります!」


 アレスは両手を痛いくらい握りしめ、今一度決意の言葉を口にした。

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